第3章 ペアレンティング・クライシス ②ステップ・バイ・ステップ

 翌朝、美羽は空の泣き声で目を覚ました。

 ノロノロと起き上って「ハイハイ」と空を抱きかかえる。カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。

 ――あれ、昨夜、夜泣きしたっけ?

 おむつを替えながら、ぼんやりした頭で考える。

 ――1回だけ起こされた気がする。そっか。夜泣きが少なくなったんだ。

「ちょっと大人になったんだね」

 おむつを替えたら泣き止んだ空の額にキスをする。抱き上げて哺乳瓶をあてがうと勢いよく吸った。

 リビングで寝ていた流が「おはよ」と寝室のドアを開けた。とたんに、トーストの香ばしい香りが流れ込んでくる。

「なんか、昨夜はあんまり泣いてなかったみたいだね」

「うん。一回しか起こされなかった」

「へえ。夜泣きって減っていくんだ」

「そうそう」

 空が哺乳瓶を離したので、「お腹いっぱいになった?」と話しかけると、「ぐふ~」と美羽を見上げる。

 ――かわいいっ。

 美羽は思わずつぶらな瞳に見とれてしまった。

「朝ご飯作ったよ。冷めないうちに食べよ」

「うん」

 空を抱っこしたまま立ち上がる。これなら、今回はそれほど苦戦しないで済むのかも、と美羽は思った。


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「――と思ったんだけどね。朝ご飯食べてる時に、静かだなあ~と思って見たら、ガラガラを口に突っ込んで取れなくなって、窒息しそうになってたの。顔を真っ赤にしてバタバタしてるから、ビックリしたよお。必死で取り出したら、大泣きするし」

 ランチタイムに香奈と一緒にパスタを食べに来ていた。美羽は話しながら、アイスティーを一口飲んだ。

「窒息って……ロボットでしょ? スイッチが切れるとか?」

「うん、作動しなくなるんだって。そうしたら業者の人が来て、レンタルを継続するかどうかを判断するんだって。問題ないってなったら、また起動してもらえるの」

「へえ~、そんなシステムになってるんだ。細か~い」

「掲示板では、3回スイッチが切れた人が強制的にレンタルを打ち切られて、認可証をもらえなかったって嘆いてた。なんか、3年ぐらい待たないともう一度レンタルできないんだって」

「本物の赤ちゃんだったら、3回死んでたってことだから?」

「そう。その人は、みんなから責められてた。『なんで3回もスイッチが切れるような状況になるのか不思議。そういう人は親にならないほうがいい』って攻撃されて。その人は『まだ18歳だから、何をどうすればいいのか分かんない』って言ってたけど、それなら分かるようになるまで待てばいいって話だしね。そういう意味では、レンタルベイビーをやるのっていいのかもしんない」

「18でレンタルベイビーをやろうって思うなんて、それだけで偉いなって思うけど……」

「でも、遊び半分でやる人も結構いるみたいだよ。事前の講習会の段階で、そういう人を判別して、登録させないようにしようって話も出てるみたい」

「……なんか、やっちゃいけないことがどんどん増えていってる感じ」

 香奈は複雑な表情になった。

「そうだけどね。でも、ある程度の制限は必要かも」

 美羽はミートソースパスタをフォークに巻きつけて、口に運べずにいた。香奈はキノコのクリームパスタを頬張りながら、美羽の様子に気付いた。

「もしかして、食欲ないの?」

「うん。今回はそれほど疲れないだろうって思ってたんだけど。朝もそれほど食べれなかったんだよね」

「大丈夫? 倒れないようにね。今月は研修もあるんだし」

「そうなんだよね。新しいパーマを覚えなくちゃいけないんだよねえ。研修のこと、すっかり忘れてた」

「店長に相談したら?」

「うん、相談したら、新人の指導はしなくていいから、研修はなるべく受けてほしいって言われた」

「そっか。来月からメニューに加えたいって言ってるしね」

 香奈が「デザートだったら食べられるんじゃない?」と薦めたので、自家製プリンを頼むことにした。

 香奈に自分の分のパスタを「食べる?」と差し出すと、「もったいない」と半分ぐらい食べてくれた。香奈は細身だが、意外と食べるのだ。

「そうだ、今日から離乳食に挑戦しようと思って」

「へえ、そういうのもできるんだ」

「ちゃんとセットの中に離乳食も入ってるんだよ。最初は一口与えればいいだけだから、簡単なんだけどね」


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――なんて言ったけど、ぜんっぜん簡単じゃなかった。

 美羽はベビーチェアや床に飛び散ったおかゆを拭きながら、げんなりしていた。空は手足をバタバタさせながら大泣きしている。

 おかゆと言っても、水っぽいおかゆのように仕立ててある作り物だ。一食ずつ、レトルトパックに入っている。それをレンジで人肌に温め、フーフーしてから空の口に運ぶと、顔をそむけ、スプーンを振り払い、食べようとしない。口に含んだと思っても吐き出すから、よだれかけもベタベタだ。

 おかゆはこぼれても害がない素材で出来ていて、使い捨てになっている。あまりにもリアルなのでちょっとなめてみると、嫌な味がしたので、慌てて口をゆすいだ。

 ――嫌がるとは聞いてたけど。ここまで激しく嫌がるなんて……。

 結局、諦めてミルクにすると、すごい勢いで飲み干す。

 ――1日に1回は離乳食を食べさせることになってるけど。どうしよ。ミルクだけじゃダメなのかなあ。

 ミルクをあげている最中に、流が「ただいま」と帰って来た。

「お帰り」

「離乳食、どうだった?」

「ダメ。ぜんっぜん食べようとしなかった。口に入れても吐き出しちゃうし、スプーンを叩き落とすし、諦めてミルクにした」

「ふうん。まあ、最初はうまくいかない設定になってるのかもね」

 流はテーブルに「これ、中華を買ってきた」と白い箱を並べだした。

「美羽、ここの五目あんかけ焼きそば、好きでしょ?」

「ありがと~、久しぶりに食べる」

 夕飯を食べている最中も、ベビーチェアをテーブルのそばに置き、空の手元には何も置かないようにしていた。

「ギョーザ、おいしいぞ。食べてみる?」

 流が空にギョーザを食べさせるようなジェスチャーをする。空がギョーザをつかもうとしたので、「おっと」と慌てて引っ込めた。

「何でも握ろうとするから、気を付けてね」

「すげえ、ここまで動くようになると人間っぽい感じがするよな」

 美羽がお風呂に入っている間は、流が空を面倒を見てくれたので、のんびり入れた。バスローブを羽織ってリビングに入ると、流が空をペンギンのぬいぐるみであやしている。空はキャッキャッと笑い声をあげている。

「かわいいでしょ」

「うん。こういう反応があると、構ってあげたいって気になるな」

 ようやく流も子育てに参加する気になったようだ。

 前回、Cランクになった後、流はランクアップするための講習会に渋々参加した。その1回きりの講習会でさえ出るのを嫌がっていたのを、美羽が説き伏せたのだ。

 講習会では実習であれこれやらされたらしく、「抱っこひもの使い方も教わったから、たぶんできると思う」と帰って来て報告していた。

 やらされ感しかないという感じだったが、空と接しているうちに自分からやってみたいと思えるようになったのかもしれない。

 ――流も成長したってことかな。

 笑顔で空をあやしている様子を見て、美羽は微笑ましく感じた。

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