「永遠の観覧車」

マンションのワンルーム。

部屋にはスミ子とユウキの二人だけ。


部屋には腐臭が漂い、

黒ずんだ死体がベッドの端で首をくくっている。


だが、死体の青年は確かにここにいたのだ。


数秒前には普通の人間と同じく、

スミ子たちと一緒にエレベーターに乗り込み、

廊下を歩き、普通の人と同じように話していた。


なのに、どうして…


「空間に取り込まれた者の残滓が稀にさまようことがあるんだ。

 …いわゆる、幽霊とかお化けとか呼ばれるものに近いのかな。」


スミ子の疑問を察したのか、

ユウキは青年の死体を見て目を伏せる。


「顔の布を剥ぎ取ったと言った時点でおかしいと思っていたんだ。

 爺さんは死ぬ前に虚に飲まれ、虚人になっていた。

 顔を見た時点で青年はすでに空間に飲まれていたんだろう。

 中で何が起こったかは青年のみぞ知るところだが、

 ま、自殺した後に空間の残滓として永遠にうろついていたんだな。」


そう言いつつ、ユウキはスマホを取り出す。


「…ま、ここはもう空間の中じゃあないようだし、

 とりあえずどうするか警察諸々含めて曽根崎さんの指示を…」


だが、スマホを耳につけた時点でユウキの動きが止まる。

スミ子もそれにつられてドアを見つめ…驚く。


ワンルームの玄関先に着ぐるみがいた。


遊園地で見るような大きなクマの着ぐるみ。

肩に巨大なショルダーバックをかけた着ぐるみ。


黒く丸い耳を持つその着ぐるみは

狭い玄関に体を押し込めながらも、

可愛らしい仕草で首をかしげて見せた。


『イヤー、ソレハ困ルネ。

 何シロ、コチラモ彼ヲ探シテイタンダカラ。

 空間ノ中ニ隠レテタセイデ、探知デキナカッタンダヨネ。』


着ぐるみの発する言葉は妙に甲高く、

どこかおどけたようにスミ子たちに話しかける。


…だが、スミ子は知っていた。

その着ぐるみに見覚えがあった。


それは病院で見た着ぐるみ。

スミ子に鳥を追うように言った病院の魔女。


マザー・ヴンダーが自分の手足として使役する着ぐるみで、

中には生きる望みを失った人間の女性が眠っているはずだ。


『エー、ソンナニ警戒シナイデヨォ。

 別ニ取ッテ喰ウトカシナイシサァ、』


そう言うなり、着ぐるみは突然スミ子の方へと近づくと、

腕を取ってズルズルと歩き出した。


「へ?」


着ぐるみの握力は思ったよりも強く、

スミ子はなすすべもなく外へと連れ出される。


「おい、何するんだよ!」


ユウキも慌てて後を追い、

二人はドアを開けた先の廊下を歩く。


「ちょっと、やめ…」


スミ子は必死に腕を離そうともがくが、

…その時、気がつく。


廊下の先、エレベーターのドアの前。

そこに、着物姿の老人がいた。


白装束は擦り切れ、顔に張り付いた布も黒ずんで見える。

だが、それ以上にまずいことが目の前で起ころうとしていた。


エレベーターのドアの中、

一人の青年が立っていた。


それは、スミ子も知らない青年。


陰鬱そうな顔で着なれないスーツ姿に、

卒業式でもらうような小さな花束を持っている。


青年は老人を見ても物怖じしない。


むしろ自身の考えに思い詰め、

どこか捨て鉢になっているような

雰囲気すら漂っていた。


そして、見慣れぬ青年は不意に手を伸ばす。


どこに?

目の前の老人の布に。


スミ子はとっさに走り出した。

着ぐるみはいつしかスミ子の手を離している。


だが、そんなことに気づくよりも先に、

スミ子は手を伸ばしていた。


青年の手が布をつかむ。


布は引き剥がされ、

老人の顔があらわになりそうになる。


スミ子はそのすんでのところで、

老人の顔に手を伸ばした。


青年を横から突き飛ばす形で、

老人の顔を覆うように。


なぜそんなことをしたのかはわからない。


だが、そうしなければいけない気がした。

それが唯一、青年の命を救う行為だと感じていた。


ズズッ


横に撫でられていく老人の顔。

巨大な穴の空いていた老人の顔。


だが、その穴が塞がっていく。

まるで穴など空いていなかったかのように塞がっていく。


ズズッ 


…その時、スミ子は老人の顔を見た。

穴の空いていない、元の顔を見た。


そのとき、スミ子の口から思わず言葉がもれた。


「あなたは…」


しかし、それ以上は続けられない。

老人の顔に再び布がかけられた。


今度は純白の布。

真新しい白い布。


そして、顔に布をかけたクマの着ぐるみは、

崩れるように倒れていく死体を丁寧に腕で支えると、

スミ子に一つ頭を下げた。


『…ここはひとつ「ありがとう」と言っておくよ。

 何しろ「今」の私じゃあ相手を空間ごと封じるしかできないからね。

 空間を丸ごとひとつ改善するだけの力はこの時間軸に残っていない。

 溝口の嬢ちゃんでしか…なし得ないことだったのさ。』


突然の流暢な言葉、

だがそれは先日聞いたマザー・ヴンダーの言葉で間違いなく…


『アー、モウ無理ダワ。ココカラ先ハ、タメ口ネ。

 トリアエズ、今カラ君タチヲ元ノ時間軸ニ戻スカラ、

 死体ト青年ノ後始末ハ、コッチデシテオクシ安心シテ?』


何を安心すればいいのかまるでわからないが、

混乱するスミ子のもとに駆けつけたユウキが叫ぶ。


「おい、そんな奴の言葉なんか信じるな。

 それにこの場所は…」


だが、それ以上の言葉を続ける前に、

スマホを持つユウキの口元を誰かが抑えつけた。


それは、スミ子が昨日の病室で見たトラの着ぐるみであり、

いつしかユウキは着ぐるみに体をがっちりホールドされていた。


そして、スミ子の腕をもう一体の着ぐるみ、

…今度はウサギの着ぐるみが腕をつかみ、こう言った。


『大丈夫、チョット空間ヲ飛ブダケダカラ、

 変ニ動カナケレバ30秒デ着クシ…』


「え?」


その瞬間、地面が消失した。

いや、消失しただけではない。


暗い。真っ暗な闇。

スミ子は自分たちが闇の中に放り出されたことに気づいた。


だが、その腕をウサギはしっかりと握っているようで、

声だけがスミ子のもとに届く。


『ホラ、観覧車。アレヲ捕マエルノ。

 アレハ過去ト未来カラ切リ離サレタ空間ノ異物。

 アレヲ使ッテ帰ルンダヨ。』


そのとき、ぼんやりと足元が明るくなった。

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