四十九話 シャーロット

『おいおい、あのメイドこんな強ぇのかよ』

『魔法無効化なんて全魔族の天敵じゃない。ダークエルフが不吉の象徴と呼ばれるだけはあるってことね』

『このまま押し切れないのか?』

『もしかすると、いやしかし』


甘海の絶え間ない攻撃を余裕の表情で捌き、赤子の手をひねるようにあちらへ殴り飛ばしこちらへ蹴り飛ばしたりと圧勝し続けるシャーロットに興奮を隠せない魔王達は、意思疎通魔法を繋いで観戦モードに入っていた。こんな作戦要らなかったんじゃないか、リーシェッドを知り尽くしている彼女なら一人でも完遂可能ではないのかと大きな期待を乗せる。

だが、逆にシャーロットを知り尽くしているリーシェッドは妙な不安がずっと胸に残っていた。華々しい従者の活躍。見ている者をスカッとさせる豪快さ。なのに……。


「シャーロット……」


リーシェッドの瞳が悲痛に歪む。


本当にお前なのか?

お前はもっと賢く、狡猾な立ち回りを得意としていた。そもそも戦闘より読書が大好きで、頭の回転など悪口を饒舌に重ねるくらいでしか使わないだろう?

ダークエルフという事にも気付かず、無力化も知らなかったけど、その程度にしかお前を見てこなかったわけだが。

それは本当に正解なのか?


自身でも説明のつかない苦しさを感じながら見守るリーシェッドは、そこにいるのがシャーロットではないように思えていた。

シャーロットは、あんなリスキーな戦い方をしないと。リーシェッドを守ると約束したのに、あんな死を覚悟した目をしないはずだ。







「…………!」

「それは二分十四秒前に見ました」


両側から迫り来る黒い羽の抱擁を消滅させ、天を突き抜けるような足刀を甘海の顎に食らわせる。

既に辺りには甘海の血がそこかしこに飛び散っており、これが普通の魔族であれば何度も死んでいるほどの削りに成功していた。甘海の魔力も残り四分の一を切っており、シャーロットの最大魔力の少し上くらいには弱らせた段階だった。

しかし、平然と甘海を見つめるシャーロットは異様なほど汗をかいていた。傍目から優勢を取れていようと、少し気を抜けば一発で逆転されることを理解しているからだ。


(まだ、まだ大丈夫……)


シャーロットは甘海から見えないよう震える手を後ろに隠して拳を握っては解いた。自分の残り魔力や集中力を確認し、現状維持が可能かを何度も思考する。

魔法無効化。魔術師に対して無敵を誇る凶悪な能力だが、もちろん無尽蔵に続けられるわけではない。その正体は、膨大な魔力元素学から導かれる高度な魔法分析と並外れた直感。そして明確なイメージと反射神経を用いて行われる特殊な『魔力コントロール』である。

シャーロットの無効化には条件がいる。相手が使った魔法の意図や効果。術式の仕組みや組み上げる手順に使われる魔力量。その全てを一瞬で頭の中に浮かべて相手の手を取るように魔力をコントロールし暴発させる。

ダークエルフの能力は『他人の魔力に少し干渉できる』こと。本来ならば誰でも出来る魔力コントロールを自らが極め、他人の魔力コントロールを僅かに補助する程度のもの。自転車に乗る子供の背中を支えるような優しい能力だ。それをここまで進化させたのは、ダークエルフの中でも特に博学なシャーロットが経験と研究を重ね続けた賜物だ。そして、相手がただでさえ知り尽くしている主の魔法を使ってくれているからに他ならない。

それでも、甘海が出す魔法を予測し、刹那に近い時間で後追いの解析をした後、直撃する間際で術式を分解する。一度や二度ではない。そんなことを肉弾戦の最中に何度も続けていれば思考力が見る見る削られ、その異常は身体に表れる。多少なりと自身の魔力は減り動きも鈍くなる。膨大な魔力を有する甘海に対して決して優勢ではない。文字通りの時間稼ぎであった。


「もう出し尽くしましたか? 分かっていますとも。それはリーシェッド様の魔力ですから」

「…………」

「……気に入らないですね。いい加減お返ししてはどうですか? それはあの方が血と痛みにまみれて手に入れた力です」


シャーロットは自覚していない。思考力が落ちたせいで無意識に感情的になっていることに。

歯を食いしばり、彼女は続けた。


「姉と慕われているようですけど、貴方は彼女の何を知っていると言うのですか? ただじゃれあっただけで家族を名乗るなど傲慢。付き人として不愉快極まりないのですよ」

「…………」


人形のように興味なさげに聞き流し、見せつけるようにリーシェッドの魔力を無駄に使い防壁を張る甘海。

当たり前だ。彼女に意識はないのだから。

溜まり過ぎた疲労からそれが頭から抜けていたシャーロットは急激に言葉を強くする。


「あの方に、リーシェに家族はいない……肉親に弄ばれ、逃げ場のなくなったあの子が選んだのが私だ! 姉として甘え、師として敬い、本当の家族と言って頼った……っ。その私が殺された後も孤独に耐え切れず蘇らせたんだ! 私が生き返った時、彼女はなんと言ったか知っていますか!?」




ごめんね……シャル、お姉ちゃん……ほん……ごめ…ん…私……。




墓とも言えぬ土山からシャーロットを掘り返し、禁忌を犯して、甘えたいはずなのにずっと泣きながら謝り続けた。

ネクロマンサーの娘として生まれたただの女の子であったリーシェッドが、自分の為だけにシャーロットを蘇らせた。これがリーシェッドのトラウマの終着点。その記憶が明確に浮かんでしまったシャーロットはもう止まらない。


「あの子が頼れるのは私だけなの! あの子の家族は私だけ! 後からノコノコと現れて数日の短い期間を共にしただけの貴方に居場所なんてない! 今すぐリーシェの全てを返して消え失せろ!」


ここに来て、カウンターに徹していたシャーロットからの接近。そのマチェーテに込められた破壊力に合わせて、全身を隠すように闇を展開する甘海。

シャーロットは視界が遮られたせいで見えなかった。


「ごめん……なさい……」

「っ!!」


突如聞こえた甘海の声。切り裂いた闇から覗く彼女の泣きそうな顔。このタイミングで、生き返ってしまったのだ。

その顔が、あの時のリーシェッドと重なる。自分を守るために動き、自分を追い詰めていくひ弱な女の子が重なる。

シャーロットは動きを止めた。思考を止めた。いつだって起こりえた状況に、予想していたはずなのに、全く頭がついて行かなかった。

生き返れば、また死ぬというのに。




どくん。




甘海が鼓動する。呪いが発動し、魔力が急激に膨らむ。死の気配が辺りを包んだ。


「シャーロット!!」


空から投げられた主の声は聞こえた。確かに聞こえたのに、シャーロットは甘海の顔から目が離せない。

先はリーシェッドを投影して攻撃の手を止めてしまったはずなのに、今は自分を鏡で見ているようで恐ろしくなった。


あの時、本当に謝りたかったのは自分だ。

愛する妹を守れなくて死んだ。

だから、謝りたかった。


甘海の手がシャーロットの首を掴み、遠くの山まで貫通するかに思えるほど鋭い突きが腹を抉る。


「……ぁ……くっ……っ!」


だが貫通しない。死神としての甘海はわかっていたのだ。グーラに最も有効なのは打撃。体内でダメージを蓄積させなければならないと。

シャーロットはさらに強く喉を締められ、声も出ぬまま重ねるように三度の打突を食らう。しかも、ただの拳ではなく歪に揺らいだ未知の術式が込められた攻撃。


(あぁ、そんな顔するから……)


手足が動かない。無効化なんてもう出来ない。力なく持ち上げられたままのシャーロットは、自分達によく似た顔の甘海をただ見下ろす。


「やめろ! やめてくれアマミ姉!」


甘海の腕はシャーロットに魔力を流し込んでいた。その感覚が不自然に自分に繋がったリーシェッドは、とうとう指示を待つことなくラフィアから飛び降りる。

それだけはしてはならないと。

絶対に許してはならないと。

急速接近をするリーシェッドを見上げ、甘海は尚も手を止めない。弱いままの魔力源が無防備に降りてきている。反撃するならこれ以上はない。それなのにシャーロットから手を離さない。

そして、リーシェッドが後数秒で接触するその時、頭の中で何かが切れたような感覚と共に、甘海の手からシャーロットが零れ落ちる。


「………………ぁ、ぁ……」


最悪の気配に追われ、不格好に地面に四肢をついて、転がるようにシャーロットへと這い寄る。

眠ったように動かないシャーロットから、初めての家族で大好きな姉から。

リーシェッドの魔力が消滅している。




第二系位召喚を、解除されてしまっていた。




「う"ぁああああああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!!!!!」


戦場にこだまする不死王の哭き声。

悲しみ、後悔、怒り、寂しさ。様々な気持ちがぐちゃぐちゃにかき混ぜられた咆哮がただ広がり、落ちた涙は動かないシャーロットの頬をするりと流れていく。

あの時止めればよかった。何度でも介入の余地はあった。なのに一度も動かず、期待という隠れ蓑に自分の本音を隠した。

結果、シャーロットを二度の絶命に追いやる。一度目も、二度目も自分のために死んでしまった優しい姉。リーシェッドは見えない罪悪感に飲み込まれていた。


召喚は同じ対象に二度も使えるほど万能ではない。だから生命に使ってはならない。

切れてしまえばもう二度と、シャーロットを蘇らせることは出来ないと知っていた。


「主! 危ない!」


空から甲高い声が聞こえ視界に意識が回ると、無機物のような目をした甘海が魔力の込められた腕を振り上げていた。

振り下ろされる直前でどうにか間に合ったラフィアはリーシェッドを護るように羽で包み込み、その痛みを全身で受ける。次の手が来る前にココアの巨大な雷撃が甘海を襲い、避けられはしたがどうにか距離を取ることが出来た。


「主、一回引こう。アタシ達じゃこの子を止められない」

「カタカタ……」


リーシェッドは動かない。シャーロットを見下ろしたまま沈黙し、自分を守る従者達の声は届いていなかった。

愛する者を失う気持ちが痛いほど理解出来るラフィアは何も言えず、リーシェッドに背を向けて聖魔力を解放する。


「くっ、ココア行くわよ! コイツはアタシの聖魔力で殺す! サポートしなさい!」

「カタカタカタカタ!!」


厳しくもどこか優しかった理想の先輩への弔い合戦だと、ラフィアとココアは甘海に向かって飛んだ。せめて主がお別れを言える時間は稼がないといけない。そんな絶望的な戦いが始まる。




甘海の魔力は、残り五分の一を下回っていた。

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