五十話 幕引きの時

「ふぐぁっ!」

「カタ……っ」


縦横無尽に飛び回るラフィアとココアに対抗するため、また新魔法を生み出した甘海は漆黒の翼を生やして空中戦を始めていた。ラフィアを魔力の大槍で貫き、ココアを拳で粉砕する。二人は空での機動力を得た甘海に手も足も出ず、何度も即死級のダメージを受けていた。

相手になるわけが無い。シャーロットが異質であっただけで、本来第二系位ですら契約元の半分ほどの実力に落とされるのが召喚。リーシェッドより強い甘海が第三のラフィアとココアに後れを取るわけがない。

不死者でもなく、大きく消耗した各部隊は傍観するしかない。賢王ですら下手に手を出すと国民だけでなく自分の命すら危うい。死の魔力を魔王規模で使う甘海は予想以上に危険なもので、それほどまでに追い詰められていた。


『リーシェッドしっかりしろ! お前が折れちゃもう助けられねぇぞ!』

『リーシェ、辛いのは分かるけど今は戦場にいるのよ! 目的を思い出して!』


歴戦を共にした王達からの声も今のリーシェッドには届かない。絶対に居なくなるはずがないシャーロットの損失は、彼女にとって世界そのものを失うに等しかった。

彼女の頭にはもはや後悔や悲しみの感情が消失し、シャーロットとの思い出がただ漂っているだけだった。






『初めまして、お嬢様。この度貴方の世話役として雇われましたシャーロットです』

『………………はじめまして』




『お嬢様、部屋はもう少し綺麗に使いましょう。掃除をすると多少気分も晴れますよ』

『シャーロットさんがすればいいでしょ! もう放っておいてよ!』




『ねぇシャーロット。貴方顔は怖いけど優しいのね。何でこんな所にいるの?』

『まぁ……仕事ですので。あと私、子供好きなんですよ』

『意外だぁ。ねぇねぇ! 私のお姉ちゃんになってよ! そうね、シャルって呼んでいい? 私にも愛称つけて!』

『いいですけど……リーシェ』

『あぁ素敵! ふふ、リーシェ。皆にも呼んで欲しいなぁ』




『シャルー、髪の毛洗ってー』

『リーシェは本当にものぐさですね』

『だから敬語ダメだってば、姉妹なのー!』

『はいはい、早くこっちに来てよリーシェ』

『えへへ。あ、お歌勝負しない?』

『いいけど、私上手いわよ? 音痴なリーシェは一生勝てないと思う』

『じゃあ私が勝ったらお風呂上がろうね!』

『…………のぼせちゃうよ』




『ふぅ……ぐぅっ、うわぁああん!』

『リーシェ、大きくなりましたね』

『ごめん、ごめんなさい! わたしぃ……っ』

『構いませんとも。これからは二人だけで生きていきましょう。あ、死んでるのですかね? 死んでるのに生きて……ぷぷっ』

『軽すぎるよぉおおおうぇえええ!!』




『我は決めたぞ。苦しみをばら撒く魔神をこの手で倒す。我の家族を殺してくれたことには感謝しておるが、同じようなことをしておるそうではないか! 悪は滅ぼすぞ!』

『あの、リーシェ?』

『リーシェッド様と呼べ。して、なんだ?』

『……リーシェッド様。その時代を先取りしすぎて逆に遡ったような頭の悪い喋り方は』

『ちょっ、口が悪過ぎるぞ! これは深い考えの上に編み出した威厳のある喋り方だ!』

『その考えとは』

『我、小さいから舐められるだろ?』

『……アホくさ』

『こらぁーーー!!』




『リーシェッド様、魔王になっちゃいましたね。感想を一言でどうぞ』

『プレッシャーで吐きそう』

『でしょうね』

『な、なぁシャーロット。我はちゃんと王様出来るのか? 王って何をすれば良いのだ?』

『はいはい、私がサポートしますのでご安心を。これでも王族だったので』

『シャーロット!』

『まずはこの山のような帝王学の本から読んでください。一週間以内に』

『シャーロットぉおおおおおおお!!』




『国もかなり形になってきましたね』

『…………なぁシャーロット』

『どうしました暗い顔で』

『もし、もしなんだが、反乱などがあったらどうすればいいと思う?』

『は?』

『いやな、国には少なからず反乱因子というか、逆らう者が出ると聞いて……我、国民が大好きなのだ。いくら悪い事を考えていても手は出せない……』

『また要らぬ心配を。ですが、その時は私が対処しますよ』

『本当か? 我を守ってくれるのか?』

『えぇ、私が守ります。貴方と、貴方が愛した者達を全て。お任せ下さい』

『へへ、シャーロットは頼りになるなぁ』










嘘つき。




守れていないではないか。

我が愛した、お前自身を。









リーシェッドはシャーロットをあまり動かさないよう、静かに抱いた。責めるつもりもない。怒るつもりもない。部屋で一人、お気に入りのぬいぐるみをキュッと包み込む少女でしかなかった。


動かない主をフォローする為に死力を尽くすラフィアとココアは、残りの魔力を全て投げ捨てる覚悟で攻撃を続けた。黄金の龍はあらゆる物を消滅させる黒炎を零距離で放ち、ドッペルゲンガーは主の姿を型取り雷の九頭龍を四方から穿つ。そのどれもが甘海の闇に喰われる様は正に地獄。限界を超えた二人は刻一刻と再生速度を落としていた。


『…………!』

『……っ! ……!!』


激戦区の中心にいながら音のない世界に置かれたリーシェッドへ誰かが叫びかける。しかし反応はなく、指一つ動く気配はない。

そんなリーシェッドが僅かに意識を戻したのは、彼女の従者達がすぐ側に撃墜された時であった。

大地を砕き、血と砂煙が花火のように舞う。


「早く! 早く再生して!」

「……っ!」


ラフィアとココアが恐怖に満ちた焦りを見せた裏側で、今までとは比にならない魔力の膨張が始まる。虚ろに空を見上げたリーシェッドの目に映ったのは、不死王たる彼女が持つ最も危険な魔法を発動した甘海の姿であった。


「……………………【終焉・月喰い】」


空一面を覆う光を通さぬ闇の雲。暗い夜闇すら喰らい尽くす漆黒の空間は半径千メートルの生命体から命を吸収する。もちろん、直撃を受けて凌げる者はこの場に存在しない。あのミッドフォールが新たに禁忌として扱ったほどの災害魔法だ。

リーシェッドは先程から耳についていた仲間の言葉を思い出す。あれは緊急避難勧告だったのだ。甘海を包囲する数千の魔族は我先にと距離を取り、阿鼻叫喚が辺りにこだましていた。

この魔法は絶対的な攻撃意志。殺意の衝動で発動する。防衛本能で動いているはずの甘海が唱えるわけがないと踏んでいた作戦が裏目に出てしまった。


「主っ!! 主だけでも速く!! 遠くへ逃げて!!」


翼を蜂の巣にされたラフィアは飛べない。ココアは気絶寸前で頭すら上げられない状況。力を取られたリーシェッドは不死の能力が残っているかも分からない。絶体絶命が目の前に迫っていた。

暗雲が甘海の手を離れ、空気を押し沈めるように地盤が揺らぐ。瞬きをする度に光は飲み込まれ、森の木や小石が闇へと舞い上がっては消えていく。

完全に地表が割れ始め、余りに強力な魔力に直下の重力が何倍にも跳ね上がる。目を見開いたリーシェッドは足を持ち上げることすら出来なくなっていた。




あ、死ぬ……かも……。

シャル……私もそっちへ……行けるかな。




不死者として生きて、初めて本当の死を覚悟する。

シャーロットを抱き締めたまま、視界が消えていく様をただ受け入れる。

作戦は失敗。もう甘海を止める術はない。








リーシェッドの顔を掠めるように伸びる腕。


長い指が闇に触れ、くるりと円を描く。


闇は紐解くように分解される。







「相変わらず、不味そうな綿飴ですね……」

「…………………………シャー、ロット?」

「何ですか、その顔は……ケホッ」


頭が追いつかず、ゆっくり口を開け閉めするリーシェッド。死んだはずのシャーロットが薄く片目を開き、消え入りそうな声を出す姿が信じられなかった。


「なんで……死んだはずなのに。第二系位召喚だって、今も切れて……」

「第二系位は、あぁ、切られてますね。トドメを刺されなくてよかった。次はきっと、生き返れないですから」

「????」

「だから、契約を切られたのですから、今はただの下級アンデットになっただけで……もしかして、召喚の仕組みを忘れて私が絶命したと思い込んだのですか?」


シャーロットが生きていることを喜ぶより先に、リーシェッドは顔を真っ赤にして混乱する。

死体を媒体として生き返らせるリーシェッドの特殊召喚。それに契約を重ねた物が第三以上の系位召喚に当たる。召喚自体が死者蘇生に近しく、主の魔力と繋がっているわけではなく完全に孤立した生命体なのだ。第二召喚を切られたと言うのは、簡単に言えば契約のみを切ってリーシェッドの魔力を抜き取るだけ。シャーロット自身の魔力が残っているのに勝手に絶命するわけが無い。


つまり、盛大な勘違いである。


「だだだだだってお前!! トドメを刺されただろう三回も!! それにいつまで経っても起きないとかなぁ! なぁ! なんなの!?」

「恥ずかしいのは分かりますが、泣かないでください。契約を切られたのは殴られた後ですし、それまで無傷だったのですぐに生き返ってはいましたよ。回復の途中で切られたので内蔵はイッたままですが」


涙と鼻水にまみれてワンワンと喚き散らすリーシェッドだが、その手は決してシャーロットを離すことはなかった。


「主、シャーロット。気を抜くのは早いわよ。次が来る……」

「ラフィア!」


シャーロットが蘇ったことにより張り詰めていたものが切れてしまったラフィアは、一言残して眠りにつく。彼女の最後の警告に身構えて甘海を注視すると、重々しく持ち上げられた指が真っ直ぐシャーロットを指していた。

時間を掛けて練られた魔力は矢の形へ変化する。しかし、勢いよく放たれたそれは誰にも触れることなく、地面から伸びるに妨げられた。


「させないよ」

「ミッド兄!! コル!!」

「ごめん、待たせたね」

「待たせすぎだ大馬鹿者共!!」


リーシェッドを守るよう正面に現れた二人の魔王。ここに来て、他とは比にならないほどの魔力を有した敵が立ち塞がったことで、甘海は動きを止めて思考を始めた。

何故こんな崩壊にも等しいタイミングでのこのことやって来たのか問い詰めるため、リーシェッドはミッドフォールのマントを強く引っ張った。


「なんでずっと出てこなかったんだ! お前達が一番の頼りだったのに!」

「ごめんよリーシェッド。僕の新魔法がなかなか組み上がらなくてさ」

「コルの……新魔法?」


コルカドールは珍しく申し訳なさそうな顔をする。事実、ミッドフォールの手を借りなければ生み出すことが出来ないほどの魔法を作り上げていたのだ。


「ミッドフォール。甘海くんの足止めをお願いするよ。出来るだけ離れさせないでね」

「分かってるさ」


大きなマントを翻し、ミッドフォールは甘海の背後に瞬間移動をする。魔力が底を尽きかけ、翼が消えそうな甘海は退路を求めて飛び回る。

残ったコルカドールは甘海を包み込むように両手を広げて前に突き出し、狙いを絞りながらリーシェッドへ語りかける。


「僕は空間魔法ってのが苦手でね。ガルーダやミッドフォールみたいには使いこなせないんだ」

「え?」

「大変だったよ〜。でも、今回の作戦は逃げられちゃどうしようもないもんね。ただの空間魔法じゃ、闇の属性を止められないもの。僕がやるしかなかったんだ」


コルカドールの両手が光を放ち、莫大な魔力が集中する。両手の指を近づけて触れ合う直前で止まり、タイミングを待つ。

そして、甘海が射程内に追い込まれたことを確認して魔法を発動させた。


「【星の箱庭】」


鍵を閉めるように両手首を逆方向にカチッと捻った瞬間、甘海の周囲に十の光が出現しクリスタルを描く。透明な空間に囚われた甘海は勢いよく見えない壁に激突して宙で回転した。

ただの捕縛空間。その形式に既視感はあれど、この魔法がどれほど有り得ないかを理解したリーシェッドは息を飲んだ。


「まさか……空に聖域を出したのか?」

「そうさ、彼女はもう逃げられない。フェニックスの羽を持っている君はすり抜けられるよう調整してあるから、後は二人だけで話し合っておいで」


どれだけ足掻いても脱出の出来ない甘海を横目に、得意げに笑うコルカドール。だが、やっていることはそんなに軽いものではない。

聖域は紋章魔術と呼ばれる、いわゆる儀式や召喚の類に属する。何らかの『物質』に紋章を刻み込むことで発動する紋章魔術を、何も無い空に浮かび上がらせるなど冷水を燃やすように異質なことだ。数多の魔法を進化させた甘海ですら召喚には地面を使っていた。魔力の本能で動く彼女がそうしたのならば、【星の箱庭】は不可能に近い原理で発動している事になる。


コルカドールは約束通り、リーシェッドと甘海だけの舞台を作り上げた。賢王並びに協力者達の尽力によって、甘海の魔力は限りなくリーシェッドに近づいた。

後は、不死王として終止符を打つのみ。

窮地を越え、全ての準備が整った。


「リーシェッド様」

「シャーロット?」


シャーロットの手が、リーシェッドの手を優しく包む。魔石の抜けた腕輪を指でなぞり、不安そうな主を見つめる。


「その腕輪は、それ自体が小さな魔石です。使い方を教えますね」


シャーロットが目を瞑ると、彼女の魔力がリーシェッドに流れ込む。それはダークエルフが持つ能力を正しく使用したもの。シャーロットの魔力が、リーシェッドの魔力を優しく導いた。


「これが、魔力干渉か……優しいな」

「本来、子供にしてあげるものなんですけどね。まぁリーシェは子供か」

「余計な事を言うなってば……馬鹿」


傷ついた従者を静かに下ろし、リーシェッドは立ち上がる。不格好なマントを翻し、小さな身体を大きく沈めた。


「行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。リーシェッド様」


幕引きの時間は確実に訪れていた。

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