四十八話 隠された力

「まずいな」

「えぇ、敗戦濃厚かと」


世界が闇に溶け込む頃、突撃指示を今か今かと待っていたリーシェッド達は、戦況の傾きに酷く焦りを感じていた。

各部隊、死者すら出していないものの後衛の牽制部隊の魔力が尽きかけている。弾幕が弱くなった影響か、甘海に僅かながらも召喚を許してしまっていた。何をしているのかミッドフォールとコルカドールは姿ひとつ見せず、刻一刻と形勢が傾く様にリーシェッドは不安を募らせる。


その時、ようやくミッドフォールから意思疎通魔法が繋がれる。


『リーシェ、何人か近接に送り込んで欲しい。北のガルーダ部隊が堕ちそうなんだ。こっちはもう少し時間がかかる』

「この緊急時に何をしておるのか。しかし我は出られんぞ。まだ甘海との魔力差はかなりある」

『うん、それなら……』

「私が行きましょう」


ミッドフォールの言葉を切るように、シャーロットは手首を鳴らしながら立ち上がる。


「分かった。ならばココアを連れて行け。ラフィアは我を乗せねばならんしな」

「いえ、一人で十分です」

「シャーロット!!」


怒声を上げたリーシェッドは、シャーロットが意固地になっていることはすぐにわかった。シャーロットは甘海を嫌っている。その原因であるリーシェッドは出来るだけ口を挟みたくないのが本音だが、状況が状況だけに無視もできない。


「冷静になれ。いくらお前でも……」


しかし、振り返ったリーシェッドは言葉を飲み込んだ。

暴走しているかに思われた従者は、とても柔らかな微笑みを浮かべていたからだ。


「大丈夫。冷静ですよ」

「…………」

「本当に、ココアは必要ありません。むしろ足を引っ張り合ってしまいます。それに、本来私は魔術師を相手にする方が得意なので」

「……信じてよいのだな?」

「もちろん。リーシェッド様は知らないでしょう。私、一人でも結構強いんですよ」


返す言葉を待たずして飛び降りたシャーロットは、北側に向けられていた甘海の攻撃が中断されたことを確認して頬を釣り上げた。

甘海は、甘海の中の死の魔力は直感していた。空から降ってくる何かが自分にとって良くないものであると。

シャーロットがふわりと地面に着地する頃には味方の弾幕も収まる。甘海の意識がシャーロットに向いている今が手当てのチャンスなのだ。その意図を組んだ彼女は、時間稼ぎにと丁寧にお辞儀をした。


「こうして二人きりで向かい合う機会を心待ちにしておりました。私は不死王リーシェッド様の第二……」


刹那、甘海の容赦無い闇の矢が、シャーロットの頭部を弾き飛ばす。

そして、当たり前のように急速再生する彼女を見て僅かに硬直した。


「挨拶くらい最後まで聞くものですよ随分とせっかちな方ですね」

「…………」

「おや、驚かれましたか。不死王に力を貰っておいて不死者を見たことがないとは。なるほど、意識はなくとも思考はしている。そんな所でしょうか」


今度は骸骨の腕を伸ばし頭だけでなく心臓、四肢をもぎ取る。もちろん意味などない。すぐさま元通りに癒えて涼しい顔で立ち伏せるシャーロットは手首をくるくると回して一歩前に踏み出す。


「大体半分といったところですね。これだけ消耗して私より格段にお強いとなると、リーシェッド様のお力には感服するしかありません。まぁ、本人には言いませんけど。すぐ調子に乗る方なのでね」


次は塵も残さず消滅させてやると魔力を高めた甘海は、宙に巨大な闇の拳を生み出して一気に振り下ろす。まるで大地を割る魔神の一撃を思わせるほど高密度の魔法。しかし、その魔拳がシャーロットに届くと同時に幻のように霧散した。

甘海が空を見つめ、何が起こったのかと長考に入った隙をついて接近したシャーロットが渾身のかかと落としを放つ。直前でそれに気付いたとはいえ、十分に防げると判断した甘海は何の構えもなく骸骨の腕を召喚して妨ごうとした。

完全に間に合っていた。甘海とシャーロットの間には複数の腕が盾のように広がっていた。

しかし、またも霧のように掻き消え、シャーロットのかかとを顔面で受けた甘海は地面を割りながら叩きつけられたのだ。


リーシェッドの闇魔法防壁はとにかく堅い。タルタロスの炎鐵を跳ね返し、織神を所持したラグナでさえ簡単に触れることを許されなかった過去の事例が頭に残っていた魔王達は一同に驚愕した。誰もが不可能だと思っていた甘海への物理攻撃を、魔王ですらない第二系位の側近がやってのけたのだから。

それは、リーシェッドですら予想外の出来事であった。


「あれが、本当のシャーロット?」


彼女の目には、彼女が知っているシャーロットの姿はなかった。


地面にめり込む瞬間、背後にもう一つ腕を出していた甘海はゆっくりと立ち上がる。衝撃は緩和した。顔の傷は既に回復して鼻血すら出ていない。

それでも、目の前の女が先程までの礼儀正しいメイドではないと本能が訴えかけ、ここで初めて攻撃の構えを取った。


「あまり、醜い姿は見せたくないのですが。それは我儘と言うべきでしょう」


メイドのカチューシャを外し、給仕服を脱ぎ捨てたシャーロットの変貌に警戒する甘海。

いつからか、彼女の変化は容姿に現れていた。長く束ねられた黒髪は解かれ、昼空の青を薄く反射したような透き通った白髪となり風になびく。尖った耳はあらわになり、深い漆黒を呑み込んだ肌に浮かぶ血のように鮮烈な瞳。奇しくも、リーシェッドと、リーシェッドから全てを奪い去った甘海とよく似た風貌に様変わりしていた。

そして、メイド服の下は肌に張り付く袖のない機能的な服に古代の紋様が施された末広がりの長いパンツスタイル。普段リーシェッドが着用している衣服を身に付ける姿は、本来彼女が着て然るべきといった調和性を生み出していた。

リーシェッドですら知らない。シャーロットの真の姿を。シャーロットがリーシェッドの為に作ったこの衣服に込められた効果を。


「この服、今の貴方にも効果があるのでしょうか。いえ、試すつもりはありませんが」

「…………」

「ただの魔力コントロール補正ですよ。まぁ、にしか使えませんけどね」


ルビーの瞳が甘海を映す。不吉の象徴として忌み嫌われていたダークエルフ。その純血である彼女は元主であるリーシェッドの両親に飼われた日からずっと隠してきた。リーシェッドに気付かれないように。彼女がダークエルフの遠い混血であることを勘づかないように。

一度だけ、幼少のリーシェッドはシャーロットに聞いたことがある。


『昨日殺した人に言われたの。ほの暗い肌に白い髪。お前はダークエルフなのかって』

『違いますね。リーシェの目は青色ですし、耳も尖ってません。第一、ダークエルフは闇どころか普通の攻撃魔法も使えませんので勘違いも甚だしい』

『そうなんだ。でも、私もシャーロットと同じがよかった。綺麗な黒髪に黒い目。雲みたいに真っ白な肌なら怖くないもんね』

『そう、ね』


過去に羨んだリーシェッドを想い、決して元の自分には戻らないと誓っていたシャーロット。二百年は誤魔化せたなら上々だろうかと自分を肯定することで気持ちを持ち直していた。


「…………」

「物思いに浸っている場合ではありませんか。しかし、時間稼ぎが目的ですのでもう少しネタばらしでもさせていただきます」


突如、甘海を護るように囲んでいた闇の防壁が切り裂かれるように消滅する。

その原因となるダークエルフの手には、太く鈍器にも似た刃物が握られていた。


「これは武器と言うよりダークエルフの扱うものとして一般的な肉切り包丁のような物です。魔界では『断首刀』や『絶命刀』と呼ばれている呪いの品ですが、ダークエルフの魔力伝導率がかなり高いだけの名もない刃物です。貴方達の世界でいうところ、『マチェーテ』によく似ていますね」


何度防壁を出現させようと、切り裂かれる度に魔素として宙に溶ける。誰も使わなかった魔法の無効化を前に甘海は初めて眉を潜めた。

魔王を前にして堂々と歩を進めるシャーロットは、自分を優位に見せるためもう一つ小芝居を打つ。


「例えば、この刃物を、マチェーテを取り上げれば無効化出来ないのではないのか? そう考える方は多くいました」


言いながらマチェーテをするりと落とし地面に刺し込む。その瞬間、甘海は地面に闇の空間を広げる【黒龍の巣】を発動したが、シャーロットが小石を飛ばすように蹴るとすぐさま消し去られた。


「聞いていましたか? これは『ダークエルフの魔力伝導率がかなり高いだけの刃物』と言いましたよね。無効化は私自身の能力なのです」


地面からマチェーテを引き抜いたシャーロットは、重心を前にした独特な構えを取る。それはリーシェッドが徒手空拳を行う際に使われる突進の構えだ。

何度かリーシェッドと手合わせをした甘海は知っていた。だからこそ、柔法の姿勢でカウンターを狙うのは当然のこと。彼女達の組手もしっかり見ていたシャーロットは嘲笑せずにはいられない。


「そういえば、この攻撃を組技で破っておられましたね。一応言っておきますが、リーシェッド様に戦い方を教えたのは私です。簡単に止められるなんて考えない方がよろしいかと」

「…………」


尚も動かず、忠告を聞かない甘海に対してシャーロットは大きく踏み込む。低い位置から一気に距離を詰めた彼女は身体を回転させ、下から来ると見せかけた袈裟斬りを放つ。

軌道を読んで紙一重の回避をした甘海へ追撃の後ろ蹴り。しかし、甘海は反射神経だけでそれを受け止める。完全に体重を乗せられた重い一撃に多少仰け反りながらも、反撃が可能であるとシャーロットの足を掴み魔力を高めた。

その瞬間、甘海の腕は宙を舞った。

なんとシャーロットは、死角からマチェーテを投げていたのだ。


「二手三手、それ以上を読み切らねば勝負にすらなりませんよ。せいぜい脳が溶けるほど思考することです」

「…………」

「……腕が千切れたというのに、顔色一つ変えないのですね。まぁ死にはしませんしすぐに復元するでしょうけど」


魔力の糸で繋がれたようにシャーロットの手元に戻ってくるマチェーテ。こびり付いた赤い血をなぞりながら、シャーロットは考えていた。


(効かないと分かっていながら魔法を使うつもりでしたね。それに、リーシェッド様の【闇の剣】を出せるはずなのに迷わず格闘の構え。……これは少々まずいかもしれません)


未だ無傷。この場の誰にも出来ないであろう完封を見せつけるシャーロットは密かな焦りを抱いていた。

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