第36話 Je suis tres heureux avec vous

 やがて酔いが回った三人の淑女は


「はにゃ~」

「ふにゃ~」

「ほにゃ~」


と、断末魔のヘニャヘニャ声を吐き出しながら、カウンターに突っ伏したのであった。


 って、これって体が戻……あああああ!

 全身から魂に伝えられる溶岩のような火照り! なにより、か、体が……いうことをきかない!

 焦点も定まらないし、呼吸も荒く苦しい! まるで金魚みたいに口をパクパクする。

 この野郎、マルゲリータめ! ヤ○逃げじゃなく酔い逃げかよぉぉぉ!


 何とか体を起こすと、やっぱり、マティルデお嬢様もマリーさんも引っ込んで、平井お嬢様と戸辺さんも、顔を真っ赤にしてもだえていた。

 ……なんだろう、戸辺さんはこの前見たからいいとして、平井お嬢様のお顔、ものすごくいろっぽい。

 う~ん、男の人がお持ち帰りして○○したくなる気持ちが……わかったような……そうでないような……ダメだぁ! 思考がぶっ飛んでいやがるぅ!


「んだぁいたい戸辺もずるいわよねぇ~一人だけ抜け駆けしちゃってさぁ~。瑠夏がぁ~働いているお店に行くのにぃ~、なぁに気合い入れてると思ってたらぁ~、 ハヤブサ様ってぇ~素敵な殿方もぉ~いらっしゃるなんてさぁ~」


 平井お嬢様は何とか体を起こすと、戸部さんにくだを巻いてる~。もうお嬢様じゃないな~。支持者が見たらって……もうどうでもいいわ~。

 あれ? ハヤブサさんがまた悪魔の笑みを……。


「平井様、当店にはわたくしとカルラの他に、三人の従業員がおります。戸辺様は先日、スワン、白鳥が出勤の時にお越し頂きましたね。その節は誠にありがとうございました」

 胸に手を当てながらにこやかに口を開いた。


 やっちゃったよ……ここでハヤブサさんは、二人の魔女の思惑が渦巻くかまの中に、イモリの黒焼き、いや、白鳥さん、目黒さん、乾さんを放り込んじゃったよ。

 ”キッ!”っと平井お嬢様の目つきがフェンシングのフルーレのように、ヘナヘナな戸辺さんの体を貫いた!


「ど~いうこと戸辺? わたくしは説明を求めましゅわ」

 語尾がかわいいのは置いといて……。

”チッ!”

 ヲイ戸辺さん、なに平井お嬢様から顔を背けて、人の体に向かって舌打ちしているんだよぉ……。


「ど~もこ~もありませにゅわ。いくらおひょう様でも、ぷらいべぇ~とのことまでは口出ししゃれるいわれはごじゃいませぬ」

 和尚様と思ったらオヒョウ様か。平井お嬢様じゃなくヒラメお嬢様って……ププッ!

 ダメだ……自分のぶっ飛んだ思考が自分のツボに入っちゃった! 顔を伏せてごまかそう。


「まぁひいわ。瑠夏、あとで皆様のシフトを教えてちょ~だい。瑠夏がお世話になっているから”皆様に”一言ご挨拶したいでしゅわ」

「えっ! いやしかし、それは……」

 戸惑う織音さんだけど


「ご安心下さい平井様、このハヤブサが責任を持ってカルラからお知らせ致します」

 再び胸に手を当てながら一礼する隼さん。

”チッ!”

 ヲイ戸部さんよぉ。二回も人に向けて舌打ちしないでくれよう。


 こうして今宵の宴は幕を閉じ……なかった。

 それからも淑女同士の醜い争いがあり、やがて双方力尽き、一時休戦を迎えたのであった。


『すっかり……遅くなってしまったわね……る、る、瑠夏ぁ』

 平井お嬢様は含みどころか全身から桃色のオーラを漂わせながら、こう、のたまったのである。

『申しわけ……ありません織部様。私一人の……力では、お嬢様をご自宅まで……お連れ……』

 ヲイ戸部さんよぉ。確かに貴女の言葉はとぎれとぎれだけど、一文字一文字はっきり聞こえるのは気のせいかい?


 ハヤブサさんは

「カルラ、お前のお客様だ。最後まで責任をもて。店のことは俺がやっておく」

と、後片付けを始めてしまった。

 うん、完璧に織音さんに押し付けたね。


「申し訳ありません青田さん。二回もお部屋をお借りいたしまして……」

 戸部さんを背中に、そして平井お嬢様を軽々とお姫様抱っこしている織音さんは、平然と階段を登っていた。普段と変わらぬ口調私に申し訳ない顔を向けた。

 かくゆう私は先生方がつかまる手すりを握りしめながら、何とか階段をよじ登っていた。


「店のワンボックスカーでご自宅まで送り届けようにも、あいにくニコラシカを飲んでしまったので……」

 さては平井お嬢様……はかったな!?


 二人の雌狐は置いといて、先日のように部屋の片付けと布団の準備を……。

 織音さんを二階でいったん待たせて、部屋への階段をよじ登る私。


「もしよろしければ、僕の予備の布団をあとでお持ちしますが?」

「お、お願いします」


 織音さんの布団を巡って、二人の間で醜い争いが勃発されるかもしれないが、そんなの私の知ったことか!

 いや、漁夫の利で私が織音さんの布団を奪い取るって手も……。 


『ちょ、輝美さん! やめて下さい! 戸辺さんまでぇ!!』

 階下から轟く織音さんの悲鳴!

 ふらふらな体にむち打って急いで二階へ下りると、扉が開けっ放しの部屋から聞こえる。織音さんの部屋か!?


「瑠夏ぁ~以前にも言ったでしょぉ~。この私の体を利用してもいいのよぉ~」

「お嬢様一人では”伽”をなすことが難しいので、僭越せんえつながらこの戸辺が露払い……いえいえ、お手伝いをさせてもらいます。ささ、契りをかわしましょうぞ」  


 突っ込む気、いや、突っ込まれても、いやいや、何を突っ込めばいいんだろ?


 布団の上で下着と太ももの柔肌を私に見せつけながら、蛇の”まぐわい”のように織音さんに絡みつく二人。

 チッ! 私よりいい下着を着けてやがって。さては勝負下着か?

 突拍子もない光景と、いい下着を身につけているうらやまけしからん怒りは、酒の酔いなんかあっという間に吹き飛ばしてしまった。


 無言で三人に近づき、からまった枝毛を引きちぎるように織音さんを引きはがすと、

「あ、ああぁ~ん。瑠夏ぁ~いかないでぇ~」

「そ、そんな……ご無体なぁ……」

 意外にも二人は艶っぽい泣き声を奏でると、そのまま崩れるように寝入ってしまった。ふぅ。


 今のうちと廊下に出て扉を閉める。

 これだけの騒ぎを起こしたのに、白鳥さんと目黒さんは部屋から出てこない。出かけているのかな?


「ハァハァ……あ、ありがとうございます青田さん。た、助かりました」

「い、いえ、でもなんで部屋の中へ?」

「輝美さんが部屋を見せてくれって……なにもないって言ったんですが……」


 たしかに、テレビとでっかい箱のパソコンと本棚、そして床には布団しかなかったな。

 おっと、これは口には出さないでおこう。


「そして押し倒されたと……」

「は、はい。恥ずかしながら……。背中に背負った戸辺さんが足を絡めてきて、そのまま布団に倒れ込みました。輝美さんが


『よくやりました! 戸辺!』


と叫んでいましたから、おそらく二人で結託していたのかも……」


 今さらながら織音さんは脇が甘いな。それでも仕留められない二人のヘタレ具合も……。

 おっと、そんなこと考えている場合じゃなかった。


「え、えっと。とりあえずどうします。部屋があの様子じゃ……」

「店のソファーで寝ます。毛布の一つぐらいはあったような……」

 まぁそうだよね……ってあれ? 体が! えっ!? 織音さんの手を握って……。


『宿無しの小鳥に一晩の止まり木を与えるのも淑女の努め』


 おい~~~! アンタなに言って……。

「青田さ……マルゲリータさん!?」


『ここで貴方様を見捨ててはジェノヴァ家の名折れ。ささ、織音様。むさ苦しい部屋ではございますが。お仕事の疲れと雌狐共とのたわむれの汚れを、どうぞ心置きなくいやしてくださいませ』

 むさ苦しいは余計だ! あ~もう知らん!!


「ですが……青田さんは?」

「彼女は、わたくしに全権をゆだねましたわ。あとは織音様次第です」


 くっ! しまった!!


「……わかりました。お邪魔させて頂きます」


 ああああああああああああ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『悪役令嬢喫茶 ジェノヴァ』からの誘(いざな)い 宇枝一夫 @kazuoueda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ