第8話 Seventh Lady's Sense

 初めてくぐる、宴においての舞台下オフィス机

 創作者と参加者。互いに侵すことが許されない、絶対境界線を、私は初めて超えた。

 こんな形で、こんな成り行きで。


 彼は慌ててパイプ椅子を広げて、私に勧めた。

「まさか”コイツ”の言うとおりになるとは、あ、ご安心を。”今の僕”は人間ですから。あ、もちろん”魂も”ですよ」


 先ほどの眠そうな顔からは想像もつかない、陽気な話し方。

 男性ヲタクは女性を前にすると沈黙か、異常なハイテンションになると聞いたことがあるけど、むしろこれが普通とばかりに、何も隠さず、着飾ることのない雰囲気をかもし出していた。


「あ、すいません。こちらからお誘いしたのに何も出さず、コーラしかないですけど」

 コンビニの袋からペットのコーラを取り出すと、私に手渡した。

「”コイツ”がコーラにはまりまして、

『こ、これは、まさしく神が造りたもうしエデンのみつ! こんな美味たる物が下界に存在してよいものか!』

と、毎日のように所望しょもうをねだるんですよ。ハッハッハッハ!」


 落語や腹話術みたいに、器用に声色を変えて話す彼。

 もしかして、二重人格者なのかな?

 でも『ウンベルト』って誰?

 そして私の『ジェノヴァ家のマルゲリータ』とは……。


「あ、ありがとう……ございます。い、いただきます」

「あ、無理にしゃべらなくていいですよ。慣れない内はそれこそ全身麻酔にかかったような感じですから……」

 ここで彼の話が中断する。


「すいませ~ん。見せてもらってもよろしいですか?」

「あ、は~い。どうぞどうぞ」

 彼は私に背を向けると、乙女達の相手をする。

「あ、本当に名古屋弁みた~い」


 私と繰り広げた寸劇が功をそうしたのか、それとも、彼の衣装から立ち振る舞いが参加者である乙女や淑女の琴線きんせんに触れたのかわからないが、彼の周りの空気は先ほどとはうって変わって、まるで花壇のつぼみが一斉に咲いたような華やかさに満たされていた。


 そんな私の両隣から漂う、視線と思惑。

 先ほどまで彼に対して無視を決め込んでいたのに、まるで私を値踏みするような、さらに彼との関係まで目力めぢからのドリルで掘り下げようとしていた。


 でもそんなの気にしない。

 そもそも時間的に、貴女達の方が彼と一緒に過ごしたのだから。

 歓待が終わった彼は私に向き直ろうとするが


「すいません、ご挨拶が遅れまして。拙作ですがよろしかったら」

 隣のブースから差し出される、堕天使が造り錫し大罪の書ボーイズラブ

 それでも彼は気にかけることなく


淑女レディーからの過分なる贈り物。正に一生の誉れ。熟読したのち必ずや魂の感想をお送り致します』


「あ、いえ、奥付にメアドやSNSのアドレスがありますので、もしよろしかったらフォローお願いします」


『かしこまりました。貴方様の創作活動を、例えこの身がゲヘナの業火に燃やされようとも応援致します』


 くどい、くさい、寒い単語のオンパレードなのに、なぜかイヤミや皮肉に聞こえない。

 やっぱり”本物”なのか?

 彼に大罪の書を手渡すと、なにか手持ちぶさたな隣のブースの人。

 それを計り知れず、どことなく戸惑う彼。


「あ、ウンベルト……さん」

『マルゲリータ様、いかがなさいましたか?』

 何となくわかってきた。今の彼は”ウンベルト”なのだと。

 だから私はあえてマルゲリータの口調を真似した。


「こういう時はね、互いの書を交換するのがマナーでありエチケットなのよ」

『なんと! 淑女に恥をかかせてしまうとは、このウンベルト、末代までの恥!』

「アンタの恥なんてどうでもいいから早く渡しなさい!」


 あわてて自著を手に取ると、片膝をついて差し出す彼、いや、ウンベルト。

 その姿はまるで恋文を手渡すかのよう。

 それを皮切りに、反対側のブースのみならず、周辺から十字砲火のように差し出される大罪の書。


 それを彼はすべて受け取り、自著を手渡していく。

 生まれて初めて、私は女であることにホッとしていた。

 もし男だったら、淑女達からこの状況をどんな眼で”られて”いたのか?

 あまつさえ、大罪の書通りの”ふれあい”を強要されたかもしれない。


 噂は千里を駆ける。

 なにやら「ただものではない」売り子とブースの噂は、SNSという亜光速の伝達器具によって、テーブルクロスにこぼしたワインより速く宴の園に広がった。


 彼の周りに集まる乙女から淑女、そしてコスプレイヤー達。

 自著よりもその衣装から立ち振る舞いの質問攻めにう彼。

 俳優なのか? ひょっとして声優なのか?

 背中越しに聞こえてくる自己紹介をまとめると


 ・年齢はアラサー

 ・今は知り合いの執事カフェバーなるもので働いている。

 ・彼女はいない。当然未婚。しかし本当のところはどうなんだろう?

 落ち着いて今までの彼の話や振る舞いを総合すると、どうやら彼には『ウンベルト』なるモノが取り憑いているらしい。

 この自己紹介も果たしてどっちの経歴なのか……。


 手持ち無沙汰ぶさたな私は、彼から買った冊子をパラパラめくっていると

「あの~アシスタントの方ですか?」

 私に向かってどこかのサークルの人が、”宣戦布告”を叩きつけてきた。


 そう、女の疑問系の問いかけは、実は女の願望、いや、命令なのである。

 まかり間違って

『彼女さんですか?』

とは、この雰囲気の中で問いかけることは絶対しない。

 もっとも、その前に彼の口から『彼女いない宣言』していたから、まかり間違ってコイツが「彼の女です」と口に出すことはないと確信しての暴挙である。


 裏を返せば

『貴女と彼はその程度の関係ですよね?』

と小馬鹿にする匂いが香水よりも鼻につく。


 そもそも出会って数分で後ろから抱きつかれて、お持ち帰りどころか雌豹渦巻くおりの中に放り込まれた子羊が、なんと答えれば皆を納得できるのか?

 まったくもって、めんどくさい!!


 しかし、多勢に無勢。

 下手なことを口に出すと、彼に迷惑がかかるどころか、生きて宴から脱出できるかすらわからない。


(大丈夫、私に任せて)

 私に呼びかける魂の声。こうなったら素直に従うことにする。

 そもそも誰のせいでこんな状況になっているんだ!


「……妹です。馬鹿な兄が皆様にご迷惑をおかけしてすいません」

 私は立ち上がると頭を下げた。

 確かに……。こういう時は下手したてに出ればいいのだ。


「あっ! 妹さんですかぁ~。素敵なお兄さんですね」

 この言葉には、嘘偽りはないだろう。

「ええ……まぁ、そうですかね?」

 妹だから言える台詞。どうやら危機は脱した。


 しかし、事態はここで急展開を迎える。

”そもそもなんでいい年した女が、兄の様子を見に来たのよ?”

”ブラコンか? ブラコンなのか? ブラコンだと言え!”


 心の声と共に、今度は二つの渦がブース内を駆け巡る。

 一つは、このブラコン妹は兄に変な虫がつかないよう、いわば監視の為にやってきた。

 つまり、いかにして平和裡へいわりを排除するか、草食系思惑。


 もう一つは、兄を射んと欲すればまずブラコン妹を射よ。

 逆にここで兄と仲良くなれば、コイツも思い知るだろうと、肉食系の思惑。


 あ~もう! なんでこんなことになっているのよ!

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