第12話 鎮静
「救う? とどめを刺してくれ、の間違いじゃないか」
俺は彼女から視線を外して、夏見を振り返った。
「だいたい当人はなんて言ってるんだよ」
「その子は私たちと話さない。どうやら敵だと思われているらしくてね」
「こんな風に拘束したら、当たり前だろ……」
「だがどちらにせよ、私たちの判断よりは、神崎、君の判断の方がその子に適している。その子の救いが死なのかどうか。君に任せるよ」
気楽に言ってくれる。
人の命を任されるなんて、と気を重くしかけて、俺は頭を振った。
そこまで責任を背負うことはないのだ。
選ばず立ち去るのも自由。
まずは話をしてみようか。
「……どうなっても、文句を言うなよ」
分厚いガラスの向こうへ行きたいと言うと、モニターの前で静かに俺たちの話を聞いていた研究員らしき男が機器を操作した。部屋の中央を隔てるガラスの右にある扉のロックが開く。
一緒に閉じ込められないだろうな、とちょっと疑心暗鬼になりながら、俺は彼女との間に敷かれた透明な敷居をまたいだ。
強化ガラスの向こうへ足を踏み出した神崎優。
その気負いのない背中を、希は複雑な気持ちで見送った。
「夏見さま。いったい彼に何ができるというのですか。あの悪魔になりかけの少女は、このままここで死ぬだけでしょう」
いったい、主は彼に何を期待しているのだろう、と希は思う。
イービルウイルスに感染した人間は、破壊衝動や暴力的な衝動が増し、血肉をすする化け物に成り果てる。例外はない。だから、そうなる前に殺してやるのが幸せなのだ。希自身も今まで、そうなった仲間にこの手で引導を渡したこともあった。
「……希、お前は神崎を知らない」
夏見は、落ち着いた様子で彼を見ている。
「私は十八年前、悪魔を殺すことでも、殺されることでもない、三つ目の選択肢を知った。それを示してくれたのは神崎だった」
希から見ると、神崎優はどこにでもいそうな青年だ。
第一次EVEL対抗部隊出身の、歴戦の
厭世観を感じさせる気だるい目元だけが違和感を放っている。逆に言えば、そこ以外はイズモの下町で歩いていそうな、十代の若者にも見える。
やる気がなさそうに歩く彼の姿を見つめながら、希は悪魔が暴れ出した時のために、密かに隠し持っている武器を確認した。
拘束されている彼女の前に立つ。
どうやら警戒されているようだ。
深紅の瞳でじっと俺を見つめる彼女は、身じろぎもしない。
仕方なく、俺も
これで同類と思って話をしてくれると良いが。
「……お前は上級悪魔か?」
逆効果だった。
「違う。どっちかというと、君に近いかな」
彼女の声は低いアルトで、緊張感がこもっている。
口調は、女の子らしさ皆無で男性のように
深紅の瞳には俺への疑心が見てとれた。
「違うなら邪魔をするな。私は全ての悪魔を殺して喰らう。そして、人間に戻るんだ」
人間に戻るために悪魔を殺せ、と。
そう命じられているらしい。
いかにも新京都の奴らに都合のいい命令だ。
「悪魔を殺しても人間には戻れないぞ。逆に、悪魔になるだけだ」
「黙れ!」
「今のお前の姿が、それを証明しているだろう」
「それでもっ、私が生き延びるには、悪魔と戦うしかない!」
彼女は鬼気迫る表情で、ベルトを引きちぎろうともがいた。
「誰にも負けない力を手に入れて、あいつらを殺して復讐するんだ。悪魔も、人間も、私にとっては敵だ! 皆、殺してやる!」
その言葉は俺に懐かしい気持ちを抱かせた。
同じだ。
昔、俺も同じようなことを考えていたことがある。誰も信じられなくて、
深呼吸する。
「……俺は上級悪魔より強い」
「はったりを」
「俺を喰ったら、君はもっと強くなれるぞ。試してみるか」
そそのかすと、彼女は胡散臭そうに俺を見る。
「何のつもりだ」
「別に。腹が減っているだろう?」
「……」
あまり知られていない事実だが、悪魔は共食いする。
同じ悪魔を食って、より強くなるのだ。
彼女は俺に食欲を感じている。
「味見してみるか?」
俺は解放した悪魔の力、"茜射す雨"を応用して、赤い光の破片で彼女を拘束する黒いベルトを断ち切った。
「!」
自由になった彼女は、トカゲのような手足で床を踏みしめる。
一瞬、これが罠かと迷ったようだが、すぐに牙を剥いて俺に襲いかかってきた。
「しっかり味わえよ」
俺は右腕を目の前に出して、彼女に喰わせる。
鋭い牙が腕に食い込んだ。
鮮血がしたたる。
彼女は長い舌で旨そうに俺の血を舐めた。
「甘い……っつ!?」
途中で何かを感じたのか、目を見開いて硬直する。
俺は彼女の後頭部に手を回し、抱き寄せた。
「
血を介して相手の精神に干渉する。
本来、上級悪魔が下級悪魔を操る際に使う能力の応用だ。
彼女が逃げられないように、しっかり抱き寄せながら、心と心を重ねあわせる。
赤い光が薔薇の花びらのように、俺たちの周りをくるくると舞った。
目を閉じると、彼女の過去が俺の中に流れ込んでくる。
幼い頃から実験動物のように管理され、灰色の壁の中に閉じ込められる日々。
必死に生き延びようと、同じ境遇の仲間たちを蹴落としていく。
誰も信じられない。
前線に出て戦い、誰よりも悪魔を狩り、突出して強くなって、孤独になっていく。
ハードな人生だな。
血と泥と灰、黒と灰色と赤色だけの風景に、俺は苦笑する。
かつて俺自身も悪魔との戦いで病んでいた。
だからナイフで切り刻まれるような苦痛を、ただ絶望するだけのその心象風景を知っている。
けれど俺には、どうしようもなく追い詰められた時、重要な決断する間際に、必ず思い出す記憶があった。
理屈ではない。
きっと人は、子供の頃に経験したこと、自分のコアとなる記憶や感情をもとに、一番大事な判断を下すのだ。
だから今回も、それを呼び起こす。
「……あっ」
腕の中で、彼女が驚愕した表情になる。
彼女にも見えているだろう。
血の雨が降る暗い廃墟、その頭上の黒雲が裂けて、天使の
青空が広がると共に、泥と血で汚れたアスファルトが、緑の野原に変わっていく。
川のせせらぎと子供の笑い声。
満開の桜の並木道。
風に乗って、はらはらと白い花弁が散っていく。
「あ……ああ」
祖母の家の二階からは、近くの川と桜並木、花見の見物客のにぎわいが見てとれた。階下では、久しぶりに病院から戻ってきた母親が、祖母とゆっくりお茶を飲んでいるようだ。壁が薄いので、談笑する二人の会話が二階にも聞こえる。
何のことはない。
ただの当たり前の家族団らんだ。
穏やかで、満たされていて、平和な日常生活。
気持ちを落ち着かせる、俺にとって暗示のような光景。
見ず知らずの彼女にとって、そんなもの見せられても、というシロモノではあるが、強制的に心を静めるために一緒に見てもらう。
目を開けると、いつの間にか赤い光は、こまかい桜の花弁に変化していた。
俺の腕の中で、彼女は
手足のトカゲの
白い髪はそのままに普通の人間の恰好になって眠りに落ちた彼女を、慌てて腕で支えた。
名残を惜しむように、白い桜の花びらが俺の足元で風に吹き寄せられて集まり、光の粒になって消えた。
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