第四話 偽物の勇者

『強くなりなさい』


 幼かった少年はその言葉に従って剣を振るっていた。毎日、毎日、汗を垂らし、掌を擦り減らす。


 しかしそれだけなのだ。その先には何もない。曖昧に続く道だけを頼りにした、ただの彷徨と何ら変わらないのである。


 ところが彼は出会った。『勇者』という眩い光。あまりにも大きいそれは、がらんどうな少年の心をあっという間に満たした。それからは劇的だ。汗を宝石のように輝かせ、掌に誇りを刻んでいく日々に変化した。


 そんなある日、教室の中心で高らかに謳う者がいた。


『ぼくは勇者だった』

『だから勇者をめざす』


 彼は無性に腹が立った。それは突然のライバルの登場に心がざわついたわけではない。単に認められなかった。


 刻まれた轍に気を取られ、眼前に広がる道に気付かない、そんな愚か者を少年は辟易していた。


 彼にだけは――


   *


 ガレミア家への訪問から明けて朝、マレスの教室はいつもとは違う賑わいを見せていた。


「ひゅーひゅー! 勇者様はモテるねえー!」

「う、うるさいなあ」


 勇者勇者とうるさかった少年が大人しくなっていたこと、そしてその少年が女の子の家に遊びに行ったことへのダブルパンチ。特に後者なんてものは子供たちからしたら恰好のネタである。


 そして教室の反対側の席では――


「ねえねえ! 昨日はどうだった? エルちゃん!」

「べつに何もなかったわよ」

「えー、うそだー! 教えてよー!」


 こちらもこちらで黄色い声に囲まれていた。流石のガレミアもこれにはうんざりだ。


「はい、みなさん座ってください。朝礼ですよ」


 手を一拍叩いて注意を寄せたのはレドリー先生。マレスとガレミアにとっては助け舟だ。


 その合図と同時に散り散りになる生徒の群れ。


 ようやく終わった、と授業前の時点で疲れ果てているマレス。昨日からやけに負担が大きい。泥のように机へ上半身を預けた。


 生徒がゾロゾロと席に戻る中、それを貫くように向けられる視線にマレスは気付かなかった。


   *


「勇者様の魔法が見られるぞぉい」

「もー、わかったってー」


 朝礼が終わり、最初の授業は『魔術』。今日は演習のため生徒たちは校庭に出ていた。


 案の定、マレスはまたしてもクラスメートの玩具にされていた。一度調子に乗った子供はなかなか収まることはない。とはいえ身から出た錆、マレスは完全にもうどうにでもなれというスタンスだ。


「なあ」

「なにー?」


 目の前で煽りダンスを繰り広げるクラスメートの反対側――マレスの背後から呼び声。クラスメートの対応に追われてるマレスは振り向かずに返事をする。


「お前、勇者になりたいって本当かよ」


 またこの話題か、とうんざりする。少年も先日まで一日中騒いでいたから強く言い返せず、もどかしく思う。


「そうだよー。別にいいでしょー」


 マレスはだるそうに答えた。


「いや、よくない」


 からかいとは明らかに異なる強い否定。目の前のクラスメートとは違う空気感にマレスは振り返る。


 白銀の髪が揺れていた。あまり話したことのない少年がそこに立っていることにマレスは驚く。そもそも彼が誰かと話しているところを殆ど見たことがない。


 孤高の少年――ウィタ=ティーゼスの青い瞳がマレスを睨みつけていた。


「お前は勇者を知らない」

「し、知ってるよ」

「じゃあお前にとって勇者ってなんだよ」

「そ、それは……強い人、この世界で一番。あと、魔王と戦う人」

「フン……」


 鼻で笑うウィタ。急に話しかけてきて尊大な態度をとる、しかも交友もない人間に、能天気なマレスと言えど流石に腹が立った。


「じゃあウィタくんは何を知ってるのさ」

「何を?少なくともお前よりは知ってるさ」

「お前お前って……一応マレスっていう名前があるんだけど」

「……そもそもお前はどうやって勇者になるのか知ってるのか?」

「むぅ……」


 話は一方通行。無視されたことに加えて、質問に答えられないマレスは黙るしかない。


「本当に知らないのか」


 心底呆れたように、溜め息までつくウィタ。


「英雄都市ラナーヘイロで十年に一度行われる儀式『武の栄典』。そこで頂点に立った者が掴める称号。それが勇者だ」

「ふーん」

「勇者になるということは魔王と戦うことだけじゃない。世界中の人々から信頼され、ときには国から軍隊を任せられたり未開拓領域の探索だってしなきゃいけない」

「へー」


 聖者、賢者に並ぶ三傑がひとつ――勇者。剣を抜けば断末魔の渦、街を歩けば歓呼の坩堝。脅威を討ち、世界を守護する。国境線無き名声、それが勇者。


 マレスは一見つまらなそうに相槌を打っているが、実は内心わくわくしていた。


「ようするに馬鹿には務まらないんだよ」


 が、嘲罵の一矢。忘れかけていた怒りが再燃する。


 ウィタは全く悪びれる様子はない。それどころか、


「俺はお前を認めない」


 追撃をかける。


 一触即発の空気。からかっていたクラスメートも口を紡ぐしかない。


「勝負しようよ」


 口を開いたのはマレス。ここまでコケにされて何もしないのは勇者が廃る。大負けさせて恥をかかせてやる、と心を燃やしていた。


「ぼくが勝ったらちゃんと名前で呼んでよ」

「負けたら?」

「……ぼくが悔しい」

「なんだそれ。くだらないね」


 得のない勝負に乗る必要なんてない。ウィタは提案を一蹴する。


「ふーん、負けるのが怖いんだー」

「なに?」


 ピクリ、と眉が動く。散々煽ってきたウィタだが、煽られるのには慣れていないようだ。


「俺がお前ごときに負けるわけないだろ」

「じゃあなんで逃げるの?」

「無駄だから」

「言い訳」


 視線がかち合い、火花を散らす。両者は一歩も譲らない。


「いいよ。受けて立つ」


 損得よりこの愚か者を黙らせることが先決だ、とウィタは考えた。


   *


「皆さん、こちらへ集まってください」


 遅れてやってきたレドリー先生が生徒たちを木陰に誘導する。


「今日は前回の授業で勉強した光魔法【灯】の練習をします。ちゃんと復習はしてきましたか?」


 その問いに目を合わせる者は少なかった。まあこれはいつもの風景で、レドリー先生も特に何か言うわけでもなく微笑むだけなのだが、今回に限っては驚いていた。


 いつもそちら側のはずのマレスが自信満々にこちらを見ていたのだ。


(光魔法なら夢で使ってたし、これなら余裕じゃん!)


 勝利を確信したマレス。実際、夢で勇者が囮に使った光の玉――これは今回習う光魔法の応用だった。


「魔法だけに当てはまるわけではないですが、重要なのはイメージです。暗闇を照らす一点の光。そして魔力を杖の先端に乗せてください」


 あらゆる生命には魔力が宿る。魂を源泉として、血液から髪の毛まで全身に流れている。指紋のように個体差があり、得意不得意はそれぞれだ。


 そして魔法とは、魔力を変質・操作することである。雷の槍を飛ばす、土の壁を築くなど。しかし今回はそんな物騒なものではなく、生活魔法と呼ばれる一般的な魔法だ。今回は光魔法。柔らかい光で暗闇を照らす、ランプのような魔法である。


 レドリー先生が杖を縦に向けると、その先端から温かい光が広がった。


「それでは皆さん。やってみてください」


 声と同時に生徒たちは一斉に杖を構え、集中する。レドリー先生はさらりとやってのけたが、これがなかなかどうして上手くいかない。


 皆が苦戦してる中、真っ先に成功したのはガレミアだ。


 レドリー先生には及ばずとも、九歳の子供としては上出来だ。そもそも大人と子供では魔力の強度が異なる。むしろ光が弱すぎたり点滅したり、安定させるのが難しいのだが、それを容易くやってのけるのは流石はガレミア家の長女といったところだろう。


 しかし授業が半分を迎えると、不安定ながらほとんどの杖に光が灯るようになってきた。不格好でも出来ると嬉しいものだ。皆一様に喜んでいた。


 ところでマレスはというと――


「ふんぐううぅぅぅぅぅうぅ!」


 灯ってすらいなかった。全身が爆発しそうなまでに力を込めるがウンともスンとも反応しない。まず筋肉に力を入れたところで魔法は使えない。やり方がそもそも間違っているのだ。


「ぷっ、くくく。なんだそれ……くくっ」


 ウィタが傍らで含み笑いをしていた。馬鹿にしているとはいえ、いつも涼しげなウィタが笑うのも珍しい。


 力んでいたからか、恥ずかしさからか、マレスは顔を真っ赤にしていた。


「そんなこと言ってるけどウィタくんはどうなの。点いてないように見えるけど」

「まあ見てろよ」


 ウィタは杖の先端に集中すると、徐々に光が灯ってきた。ガレミアのように安定はしていないが初回なら及第点だろう。


「で、どうする?」

「ま、まだ時間あるもん!」

「く、くく、言い訳」


 ウィタは笑いを堪えながら先程のマレスのセリフを言い返す。


 マレスは半泣きになりながらも、めげずに杖を構え直す。それを見て満足したのか、ウィタはせいぜい頑張れよと言わんばかりに手をぷらぷらと振ってどこかへ去っていった。


 結局、マレスの杖に光が灯ったのは授業の終盤になってからだった。


 勝者、ウィタ=ティーゼス。


   *


 次の授業は『学術』。


 マレスが駄々を捏ねて「もう一回」と懇願してきた。すっかり気をよくしていたウィタはそれをすんなりと受け入れた。


「今日も前回の復習を兼ねてテストを行いたいと思います」


 レドリー先生は割と頻繁にテストを行う。といってもそこまで難しい内容ではなく、普通に授業を聞いていれば簡単に満点を取れるレベルだ。制限時間の割に設問数も十とそこまで多くない。


 さすがにこれは勝負にならないか、とウィタは退屈そうに溜め息をつく。


 各自に問題用紙が配られる。


「始めてください」


 鉛筆の小気味良い音が教室を駆ける。



 数十分後、テストが終了し、教室に話し声が漂う。レドリー先生は採点をしている最中だ。一応自習ということになっているが、子供にとって静かにしていろというのはテストよりもずっと難しいことだ。


 マレスとウィタは言葉を交わしてはいないがどちらも自信を浮かべている。


「それでは取りに来てください」


 どうやら採点が終わったようだ。レドリー先生が順々にテスト用紙を返却していく。やがてマレスとウィタの手にも渡った。


 テスト用紙を見つめる両者の顔には余裕がある。


「それじゃいくよ」

「ふん」

「「せーの」」


 その瞬間、ウィタの顔が凍りつく。


 ウィタ 百点

 マレス 六十点


 凡ミスで一問くらい間違えるのは分かる。しかし六十点。どうしたらそんな点数を取れるのか……。しかもさっきまでのあの自信……。


 ウィタは勝利の喜びよりも同情が上回っていた。


 勝者、ウィタ=ティーゼス。


   *


 さらに次の授業は『武術・剣術』。


 運動着に着替えた生徒らが体育館に集まっている。今日は剣術演習。対戦相手と実際に剣を合わせて、有効打を与えた方が勝ちとなる。


 剣といっても真剣を使うわけではない。通常は釘を打てるくらいの硬度を持つが、魔力に触れると瞬時に軟化する性質を持つ訓練用の剣だ。これがあれば打ち合いをしても負傷することはない。ちなみにガレミア製である。


 一通り剣術の説明をし終えたレドリー先生がペアを作るよう促す。


 マレスのペアは圧勝を遂げたはずのウィタだ。


 なぜ再戦することになったか。これはウィタからの提案である。哀れみの表情で「まだ勝負するか……?」と。それに対してマレスは力なく頷いたのだ。


 プライドは消滅した。


 プライドを捨ててまで勝負を選んだマレスは言わばバーサーカーである。あるいは勝利への欲で動く殺戮マシーンである。


「もう負けない」


 マレスは笑わない。本気で勝つつもりなのだ。


 事実、マレスはこの場の誰よりも体力があった。隣町の学校まで毎日歩いて通っているだけある。同時に村での手伝いをこなしていることで、フィジカルやバイタリティだけで言えばこのクラスでトップだ。村育ちは伊達ではない。


 ウィタもそれなりに力はあるが、マレスに及ばない。


 ふと、ウィタは俯く。


「悪かったな」

「へっ?」


 力勝負ではマレスに勝てないと見たのか、突然ウィタがマレスに対して詫びた。思いがけない言葉に臨戦態勢だったマレスも面食らう。


「始めっ!」

「――勝負にすらならないんだ」


 一瞬の出来事だった。


 突如マレスの腹部を軽い衝撃が突く。


 マレスは油断していたわけではなかった。むしろ、ウィタが予想外の言動をしてからレドリー先生が開始の合図を発したその瞬間までウィタから目を離すことはなかったのだ。


 それでも――いや、だからこそだろうか。ウィタを倒さんと血眼になっていたマレスの視野はかなり狭まっていた。そしてマレスの目ではウィタの速さを捉えることができなかったのだ。


 ウィタは優秀だった。どの分野でもそれなりの成績を有するが、こと剣術に関しては志を抱く前から光るものがあった。天性のバネを活かした鋭い太刀筋。道を見つけてから、それはさらに突き抜けて伸びた。


 いつしか同年代でウィタの相手はいなくなっていた。


「お前は偽物の勇者だ」



 ――勇者を志した少年はどうしたか。


 未来を見定め、志を糧に武器を得た。


 ――勇者を夢見た少年はどうしたか。


 過去に囚われ、夢の甘ったるさに慢心した。



 マレスはこれまで味わったことのない感情に襲われた。


 それは敗北感。今までロクに戦ったことのない、故に無敵で愚かな勇者はどうしようもなく情けなかった。



 勝者、ウィタ=ティーゼス。

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