第2話 ジョージ・E 上

 生存者の避難移動及びK-3区画の隔離完了。現時刻より侵蝕物を排除せよ。K-3区画にもはや人間は存在せず。侵蝕物を完全排除せよ。繰り返す、K-3区画にもはや人間は存在せず。


 「では任務を最終確認する」まるで甲殻生物のような奇妙な形状の黒い全身武装アーマーを装着した男が部下達へ向かって言った。「『見敵必殺』。人間の姿をしていようがそれが人間の言葉を喋ろうがどれほど『助けて』と泣きわめこうが、あの区画にもうはいない。躊躇すれば喰われる。以上だ。質問はあるか」

「ノー、サー!」と一様に同じ武装をした部下達は応えた。

「ではK-3区画の浄化作戦を開始する。いや、その前に」と男は部下の一人を見て言った。「ジョージ・E、お前は今回の浄化作戦が初めての実戦だったな。お前は俺の後ろに付いてこい。それだけで充分だ」

「ノー!リーダー、俺は戦え」と部下が反論しかけた所で、サブリーダーがなだめるようにジョージ・Eと呼ばれた青年に告げた。

「ジョージ・E、お前が特別なんじゃない。みんな初めてはそうだったんだ。全員がためらうんだ、ヤツらに銃弾をぶち込むのを。そしてその全員が。だから単なる通過儀礼だと思え。お前は弱虫でも卑怯者でもない、だってコトさ。変に思うな。ヤツらに一度弾丸をぶち込めばお前も全てを理解する。それだけだ」

「……イエス、サー」と少しだけ沈黙した後にジョージ・Eは頷いた。

「よし、行くぞ」とリーダーは背後で赤く光っていた『転送開門テレポーター』ボタンを押した。


 K-3区画。人間居住地だった頃の区画名は『ネオ・シカゴ』。元は火星の地下人間居住地の中でも有数の繁華街だった。事前に住民を緊急避難させたとは言え、数百名が犠牲になっている。

「助けて!」と甲高い女の悲鳴が上がった。「誰か助けて!誰か!」

はっとジョージ・Eがそちらを見た時だった。チームの一員が何のためらいも無くその視線の先にいた少女を、腕に備え付けられていた『焼却砲』から放たれた焼却弾で撃ち抜いた。

「きゃああああ!」と少女は猛炎に包まれて絶叫した。だが、その姿が炎に焼かれていく間におぞましい化物になっていく。「――GROROROROROROOROROROROOROROOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHN!」

腕と足が合計12本、牙が生えまくった口腔と眼球が無数に付いた頭部が7個?おいおい蜘蛛だってアレと比べたらまだ可愛いぜ。ジョージ・Eは愕然としつつもそう思った。これが侵蝕物!?

「ここじゃ俺達以外のが既に侵蝕されて侵蝕物になっている。赤ん坊すら」リーダーは部下に指示を飛ばしつつ、ジョージ・Eに簡素に説明した。「例えそれがママンの姿をしていようがワイフの面をしていようが愛しい娘だろうが何だろうが、殺し尽くせ。さもなきゃお前も喰われて侵蝕される。レーダー上の反応全てを撃破しこの区画を浄化するまではな!」そう言ってリーダーはズズンと足音を轟かせて建築物の影から登場した巨大な化物と相対した。「『核』が出たな。支援しろ!」

化物。化物だ。ジョージ・Eはガタガタと震えだした。生の標本は何百回も見た。映像もだ。ヴァーチャルリアリティで仮想接近戦もした。だが何だ、この禍々しさは!?体の細胞が感じるこの恐怖は!頭が体が現実に追いつかない!否、拒絶している!俺の生存本能が恐怖に悲鳴を上げている!

「イエス、サー!」とそのジョージ・E以外の全員が即座に応答した。レーダー反応はその『核』を中心にして、微弱にだが少し範囲を広めている。少し奇妙な反応だった。視覚的には侵蝕物や『核』は目の前の一匹しかいないのだ。

「違う!」ジョージ・Eは咄嗟に叫んでいた。「みんな、違うんだ!」

「落ち着け、ジョージ・E、お前は今回が初めてだ。みんなこうだった。言ったように、お前は卑怯者でも臆病者でも腰抜けでもない。怖くて動けないのは良くあるコトさ。おまえは何一つ――」とあえて穏やかに言ってくれたサブリーダーに、彼は絶叫した。

「あれは『デコイ』だ!こっちの目を騙しているだけだ!飛べ!『核』はそこ『全て』だ!」

リーダーが真っ先に彼の言葉を理解した瞬間だった。広がっていた微弱なレーダー反応の本当の意味を理解した瞬間だった。

チームが陣取っていた地面が、足場が崩れた。否、溶解した。咄嗟に飛空機能を使おうとしたが、間に合わなかった。上から高層建築物の擬態をしていた侵蝕物が雪崩のように降ってきたのだ。あっという間にジョージ・E以外の全員が侵蝕物に飲み込まれた。

同時刻、全ての通信が途絶する。

「GYAHAHAHHAHAHAHAHHAHAHAHAHAHAHAHAAAAAAAAAAAAAAAHAHAHHAHAHHAHA!!!!!!」

その静けさをぶち破って、人間の可聴域を遙かに超えたレベルの大音波が鳴り響いた。

「BAKABABAKABAKABAKABAKABAKAAAAAAAAAA!!!!!!!」

化物の気が狂ったような大嘲笑であった。

馬鹿な人間共だ、あっさりと喰ってやった。バーカバーカ。地獄に堕ちてクソになれ。そう、嘲っていた。

「……応答を願う、応答を……」ジョージ・Eの所に『NDGネオ・デルタグリーン』本部からの緊急通信が入る。「っ!浄化作戦チームの生存者を発見!精神波長に侵蝕の形跡なし!応答を願う!」

「こちらジョージ・E」青年は妙に冷静に応えた。「現状を報告する。俺以外のメンバーは、リーダー以下全員が『核』に騙されて喰われた。……俺だけ無事だ」

「おい、聞いたか、無事に生き残っているヤツがいた!奇跡だ!おい、君、すぐに安全な場所まで撤退を!救援部隊及び新浄化チームをすぐにそこへ派遣する!」

「おいおいアンタら、ジョークは腹を抱えて笑える余裕がある時に言ってくれ。このK-3区画に人間にとって一秒だって安全な場所なんてありゃしない、そうだろう?」

「落ち着け君!命を無駄に」

「違うね」と言うなり、ジョージ・Eは時速約百キロというで走り出した。

彼の特殊武装であれば、地面をたかだか可視速度で走るなんて遅すぎる、この緊急時にこんな奇妙な真似をしなくても良いのに。ああ、彼も仲間を失った恐怖で精神を。NDG本部は絶望的な気分に陥った。

「止めろ、死ぬな!」と必死に呼びかける。どうか正気に戻ってくれ!君だけでも助かってくれ!

だが、案の定侵蝕物の『核』が、のそのそと動く獲物を、巨大な体躯とは裏腹に凄まじい速度で追いかけてきた。

「死ぬ?ああ、そりゃすぐに死ぬぜ、HAHAHAHA!」

変だぞ、とNDG本部はここで奇妙に思った。彼の精神波長域が死に追い詰められておかしくなっているには、全くの通常域なのだ。おまけに彼の声からは、彼の精神的な余裕すら感じる。

ジョージ・E――今回が初めての浄化作戦にあたる、全くの新人である。

だとしたら、やはり狂ってしまったのだ!

「DOKONIIKUNOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????」

追いつかれる!思わずNDG本部の誰もが耳を塞いだ瞬間だった。

「――GIIIIIIYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA……あァ………………………」

何だと!?何が起きている!?まさか!

NDG本部の誰もが我が耳を疑った。

しかし、『核』を失ったK-3区画は自浄作用であっという間に浄化されていき、映像通信も可能となる。

「クソ化物が。よくもリーダー達を喰いやがって。死ぬのはテメエだ。地獄に行くのもな」

彼の被っていたはずの頭部装甲。それが外されていた。もう人間が自力で呼吸できる安全域まで空間の浄化が進んだのだ。地面に置かれたその頭部装甲の視覚越しに、通信の相手側にも彼の顔が見えていた。

ジョージ・E。黒人の青年が、不機嫌そのものの顔で安い煙草をくわえていた。

「き、君!ど、どうやって、」

「俺が低速で逃げれば向こうは追いかけてくる。余裕綽々で必ず追いかけてくる。――で、だ。『核』は追いかけてくる時、どこを真っ先に俺に向けてくる?俺を喰おうとする正にその時、どこを剥き出しにする?」

『核』の大半は標的を追跡捕食しようとする時、何故か恒温動物とほぼ同じように頭部を突き出して、牙の生え揃った口腔を剥き出しに――だが同時に、だ。口腔から『核』の、人間で例えると脳髄にあたる中枢部の間には、『核』がまとっている外殻のような恐ろしく硬い障壁は一切無い。戦車の主砲程度の火力であれば撃ち抜けるほどに柔らかい体内物質が詰まっているだけだ。

あっとNDG本部の誰もが納得した時、そうだ、と言いたげにジョージ・Eは煙を吐き出した。

「俺単体の火力じゃあ、外殻から狙撃しても脳天を撃ち抜けなかったからな。罠を張るような悪知恵の回る相手だ、俺に二度目はありゃしない。ヤツの口の中でぶっ放す、この一撃しか無かった」

「ど、どうして。君は、最初はあれほど恐怖に震えていたのに」

ただの新人だと思っていたのに。

「許せなかったんだよ」とぽつりと彼は言った。「俺の仲間を喰った上に、バカにしやがったのが」

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