第3話 無表情の少年と無感情の幼女

 ♦♦♦ 3─1 ♦♦♦



 深夜午前1時30分。

 学校が終わると、そのまま家に帰った。

 両親は不在だ。

 なんでも『日本一周』という子供じみた夢を両親は叶えると、次は『世界一周』というまた子供より子供じみた夢を叶えるべく、高校生3年生で、受験結果が迫った息子の俺を置いて、出て行ってしまったのだ。


 親不孝デハナク、息子不孝ダ。


 そんな息子不孝な俺、貝塚空は深夜にコンビニへと買いに出ていた。

 うちの家で半同居生活を送っているオッサンが唐突に「抹茶アイスとさみーからカイロ買ってこい」と半ば命令され、こうして冬真っ只中の深夜の町を歩いているわけだ。


 文句ハアルガ、反論スルノハヤメタ。


 どれだけ性格がゆがんでいても、オッサンには貸しがあるし、ちょうど受験勉強がてら小腹が空いたので苦ではない。

 ──と、このまでなら何ら変哲のない日常のワンシーンだが、俺の足は止まる。

 踏切で電車以外の要因で足を止めることになるとは思わなかった。

 警報機が赤く点滅てんめつして注意を促す騒音そうおんが妙に五月蝿く聞こえ、次第に頭の中にも断続的に鳴り響く。


 右方向から電車特有の、ガタンゴトン、と鳴る走行音が近づくにつれて目の前にある現実と向き合わなければならない。

 

 足ヲ向ケナケレバナラナイ。


 遮断機が下がっているのは電車という危険物から身を守るためにあるのだ。

 だが、遮断機が上がったとしても『危険』が取り除かれていなかった場合は歩き出してもいいものなのか。

 近づいてくる電車が新しい『危険』を連れてきたようなイメージが脳に浮かんだ。

 身を守ってくれる遮断機の向こう側、俺とは反対の遮断機で足を止める幼女がいる。


 金髪碧眼きんぱつへきがん下着姿したぎすがた幼女ようじょガ、イタ。


 幼女の背後にある満月が濁った紺碧こんぺきの瞳と重なり合って紺碧の月Blue Moonのように映った彼女はとても神々しく、



 ♦♦♦ 3─2 ♦♦♦



 もし、深夜のコンビニの帰り道に下着姿の幼女と出会った場合のマニュアルを持っている人は是非、アドバイスをハガキで送ってほしい。


 深夜の町。

 人通りも少なく、人の気配も周囲にはなく、人一人の吐息さえも聞こえてしまうほどに静寂に包まれた空間に二人の人間がいた。

 一方は受験を控え、来年で18歳になる大人と言っていい年齢の高校生。

 片や年端もいかないランドセルを背負っていても可笑しくないくらいの年齢だと思われる前全開のパーカーを羽織った下着姿の幼女だ。

 幼女ではあるが、ブラジャーもつけているらしく、上下とも純白じゅんぱくの清楚な物だ。

 強いて言うなら、パンツはひもパンだったことだろうか。


 この現場を見られると即通報沙汰になっても文句は言えないレベルのある意味で危機的な状況にあるわけだ──しかし、ハッキリ言って今はロリコンの罪でお巡りさんのお世話になるより危機的状況に陥っているのだ。


 その理由は幼女の身体にあった。

 チャックが下ろされ、前全開のパーカーで小学生以下年齢だろう幼女の素肌が開放されたことによって″それ″は晒される。


 ──至る箇所に擦り傷を作り、青く変色した打撲痕をその身に刻んだ痛々しいまでのだ。


 どう考えても『訳あり』の幼女だ。

 彼女がいる身としては美少女、この娘の場合は美幼女との出会いは手を挙げて喜ぶべきことではないのかもしれないが、一人の男としては逆にwelcomeだが、


「(訳ありな奴は勘弁かんべん願いたい)」


 どうしてこうも自分の周りには訳ありな奴がさも当然のように闊歩しているのか、と改めて考えるといい加減嫌気がさす。

 こっちは出来ることなら自分より有能でイケメンな奴のところに現れてほしいと密かに神社に通って、賽銭箱にお金を入れて、拍手しているがこの状況を鑑みるにさして効果はないらしい。

 今まで払ったお金を返せ。


「(この幼女からは危険な臭いがプンプンするんだよな)」


『危険』というより『危険の危険』。

 これから起こるであろう前兆ぜんちょう──またまた不幸ふこうではなく不運ふうんでもなく不満ふまんに思う厄介事の始まりを告げる警報機が鳴る。


 赤々ト点滅スル。


 そんな予想をする。

 そんな予感がある。

 そんな予定がある。

 予めそういった危機的状況を日常の中に事前に組み込まれている気がしてしまうのは、最早、一種の病気なのかもしれない。


 誰ガ、一体何ノ目的デ。

「……」


 ふと思い浮かんだ人物がいたが、頭を振り、その人物を追い払う。

 黒スーツに身を包み黒メガネをつけた黒髪天パのいけ好かない腹黒いオッサンがいた。

 確証はないし、証拠もないし、何より理由がない。


 ──とまぁ、今取り組むべき焦点を逸らしている俺は腹黒いオッサンよりもたちが悪いに違いない。

 走行音を鳴らし、風切り音を発生させながら俺の目の前を電車が通り過ぎる。

 それと同時に遮断機が上がると、マラソンでクラウチングスタートを切るマラソン選手のように俺は、スタートダッシュした。



 ♦♦♦ 3─3 ♦♦♦



 背に感じる人の気配がドサドサと足音を響かせて遠ざかって、走り去って行く。

 その人はさっきまで反対側の踏切ふみきりにいた男の人で、私が男の人の方をじっと見ていたせいか居心地悪そうにしていた。

 私はそんなつもりはなかったけど、男の人に迷惑をかけたかもしれない。

 これからは人がいたら目線を下に落として歩こう。


 頭上の満月が幼女を照らす。

 流れる雲は一斉に取り払われ、満月まんげつ輪郭りんかくを明確にあらわにしているそれは、虹色を纏った天使の光輪のようで、その月光は咄嗟とっさに目を覆ってしまいそうなほどあわひかりを放っていた。


 十人が見たら十人が恍惚とするだろう。

 だが、幼女にはそれが分からない。


 何故なら幼女は自分の傷付いた身体、服装、足しか見ようとせず、視線をいつも下に落としているからだ。


 幼女ハ上ヲ向カナイ。


 幼女は一度上がった遮断器を渡らなかった。

 それは幼女自身にも意外で、どうして渡らなかったのか理解できません。

 しかし、幼女には些細なこで特別気にするこでもなかったし、興味もなかったので、もう一度電車が通り過ぎるのを待って今度こそ冷たくなった裸足を動かしました。

 ペタペタと裸足で歩くと敷き詰められている小石の数々で足の裏に傷を作っては、うぅ、と幼女は呻き声を上げる。

 長時間、外に露わになっている足は小石程度の痛みてもビクッと身体をこわばらせる。

 低気温に触れ、はだ敏感びんかんになった幼女にとっては拷問ものだった。


「寒い……」


『辛い』といった感情から発したものではない。

 幼女には辛いという感情は理解出来ないし、なくとも別段困ったりしないものだと認識している。

 よって、このうめきは単なる当たり前の事実を純粋に口にしただけの機械が判断するのと同じで、ただの状況報告に過ぎない。


「っ……!?」


 小石の痛みから逃げるように足が反射的に動いてしまい、線路中央のちょうどレールが敷かれている箇所の腹の部分に右の親指を強くぶつける。

 整えられていない少女の右の親指おやゆびつめが割れるとつま先に熱が集まり次第に血がただれ落ちた。


「……痛い」


 誰かに頭を下げるかのような態勢。

 両手両膝を尖った小石に勢いよく押し付けられ、小石の突先に刺さる痛みが遅くやって来る。

 それも下着(パンツ)しか履いていない少女の膝からつま先まで所々に擦り傷を生み出していた。


「……ん、しょ」


 両手で小石を押して身体を持ち上げる。

 ふらふらと覚束無おぼつかない足取りで視線を彷徨さまよわせる。


「ん……ぺろ」


 親指から流れた血をぺろっと舌で拭うように冷たい吐息を吐きながらめた。


「ぺろぺろっ、ちゅううっ!」


 親指の後は人差し指、中指と順々に舐めたら傷痕に口を付け吸い上げる。


「ん……ぷはぁー……」


 離した傷痕からは透明な糸が口元から伸びていた。

 可愛いや綺麗というよりも売春している女のようで、生々しく痛々しい。

 やがて両手全ての傷痕を舐め吸うと、はぁ、と一呼吸置き、また歩き出す。



 ♦♦♦ 3─4 ♦♦♦



 凍える風に身を竦ませ、小石にもてあそばれ、だぼだぼのパーカーは幼女の身体を守るにはとても心許ない。

 傷もそこからバイ菌の侵入によって更に悪化する危険もはらんでいる。

 このままいけば長時間、低気温に晒されることによって免疫力めんえきりょく低下ていかによる様々な病気にかかる危険性、最悪の場合は『凍死』だ。

 右の親指から流れる血が歩く度に血痕けっこんを小石に残して途切れ途切れの波線を作る。


「どうでもいい」


 それでも目的地もくてきちがあるわけでもなく、明確な理由があるわけでもない幼女はただ濁った瞳で前を見据え歩き続ける。

 宛もなく彷徨さまよって、深夜の町を徘徊するその姿は幽霊ゆうれいそのものだった。

 そんな彼女の手を誰も引こうとしなかった。


 当然とうぜんだろう。

 誰が好き好んでそんな得体の知れない危険物に手を出す人がいようか。

 例え、それがどんなに綺麗な女性だろうと同情を買うような悲劇的な過去を持っていようと、そこに危険が孕んでいると誰も近寄ろうとしない。


 ここに来る前、二日前から何も口にしていない彼女は極度の空腹くうふくに襲われ、手が痙攣して猛烈な吐き気に意識も朦朧とし、耐えきれなくなった彼女は道端に生える雑草ざっそうをおもむろに口に詰め込み始めた。


 ソノ後ハ悲惨ひさんダッタ。


 空腹時の急激な食物の大量摂取によって、彼女はその場に嘔吐おうとによる吐瀉物としゃくぶつを撒き散らした。

 吐瀉物となった雑草を吐き終わると、腹に何も入っていない彼女はただひたすら吐き気に何度も苦しめられ、地べたに這いつくばって吐くに吐けないその姿は見るにえない散々なものだった。


 まだ中学生にもなっていない彼女が苦しんでいるのに対し、通行人の誰もが気味悪がり手を差し伸べようとしなかった。

 だが、彼女は彼らの誰も恨んではいない。

 彼女は怒りも悲しみも、自分の置かれた状況を他者と比較して卑下ひげに見たことなどない。


 幼女ハ無感情ダッタ。


 しかし、その胸の内にチクリと刺す針金はりがねの痛みの真意は他者に向けるには余りにも攻撃的なものだった。


 ──────────────────────────────────────────────────────が、それはここまでの出来事だ。

 どこにでも馬鹿はいるのだから。



 ソレハ唐突ノ出来事ダッタ。

「────え?」


 踏切を渡り切った私の手を誰が引いた。

 荒い息遣いとモワッとしたねつ──何よりも私の手を掴んだ人の手がとてもあたたかい……。

 私は手を掴んだ理由や自己防衛よりも早く背後を振り向いた。

 そこには額から汗が滝のように流れ、髪もボサボサになって、鋭い眼光で私を見る名前も知らない男の人がいた。


「(確かこの人、私と同じで踏切で待っていた……)」


 そして、今までの人と同じで見て見ぬ振りをして、過ぎ去っていった人────


「はぁ……はぁ…………はぁあ。か、勘違いするなよ……」


 男の人はうんざりしたような顔でかすれた声で私に言った。


「いっ……依頼いらいだからだぞ……!」


 男の人は掴んだ手を離した。

 そこで私は気付いた。

 掴まれた私の手にはカイロが握られていたのだ。


「お……俺の名前は貝塚かいづかそら。下着姿に興奮するただの高校生だ。き、君の名前は」


ゆえ


「え?」


「私の名前は青染あおぞめゆえ


 私──青染月は「貝塚空」と名乗る彼に胸の前でカイロを握りしめながら、そう……名乗った。













 


 





























 





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