7「再×現」

「マスターアップした。納期一週間前。多分新記録」


 帰宅早々、事後報告を軽く済ませようやく肩の荷が下りた。会社を出て家に帰ってくるまで実感が沸かなかったものの、フェンリルの顔を見てやっとこさ一息つける。


「マスター、アップ? なんですかそれは」

「作っていたゲームが完成したってこと」


 外の空気で冷たくなっていた手でフェンリルの手を掴んだ。驚くフェンリルもなんのその。そのまま、ホップ、ステップ、ジャンプ。隣人から苦情どころか怒鳴り込まれたっておかしくないほどに舞い続けた。


 ひとしきり舞い疲れたところで、心の中でおもいっきり吠えた。勝利の雄叫びを。


「これで年明けぐらいまではゆっくりできそうだよ」

「ここしばらく佐々木さんが家にいることが少なくて心配してたんですからね……!」


 バランスを崩してしまいそうなほど、勢いよく抱きついて喜ぶフェンリル。その頭をそっと撫でると、ようやく解放される。

「今日はお祝いです」と言って台所に飛び込んでいったフェンリル。さっきまで泣きそうになっていたのに、今は鼻歌交じりに料理を作っている。一体どんなご馳走が出てくることやら。


 それにしてもフェンリルはやけに上機嫌だ。私がしばらく家に帰ってこれず、一緒に過ごせる時間を喜んでくれているのなら、早めに帰ってきて正解だった。

 

 本当は仕事終わりにマスターアップ祝いとして、会社をあげての打ち上げがあったけど私は断って帰ってきている。

 理由はフェンリルと同じ。会社の同僚と過ごす時間より、こうして一緒に過ごす方が私にとっては何より楽しいことだから。


 料理ができあがるまで一足先に晩酌を楽しいんでいると珍しく自宅のインターホンが鳴る。


「今手が離せないんで佐々木さん、お願いして良いですか? もしかしてさっきの佐々木さんの踊りにの苦情かもしれませんけど」


 苦笑交じりに言われても困るんだが。


 速いペースで飲んでいたせいか、多少ふらつく足取りで玄関へ向かう。外に立っていた人物を思い出すのに少し時間がかかった。


「あ、あの時の……」

「やぁ、佐々木さん。約束通りまた会いにきたよ」


 長くスラッとのびた黒髪に、まるで執事を思わせるかの気品に満ちた服装。時折揺れる空っぽの袖。忘れもしない、あの日の男だった。

 写真を切り取ってそのまま貼り付けたような笑顔。相変わらず不信感を匂わせる佇まいに、思わず後ずさりしてしまう。


 次の瞬間、その姿が一瞬にしてにして暗闇に消えた。比喩ではなく本当に。


 玄関先での会話が聞こえたのだろう。家の中から風が吹いてきたのかと勘違いしてしまうほどの速さで、フェンリルがその男を殴り飛ばしていた。見事なまでの右ストレートに唖然としてしまう。一応ここ、二階なんだけど……。


 フェンリルは約束通り本当に一発殴った。殴る相手は間違えているが。









「結構本気で殴られてたように見えましたが、大丈夫ですか?」


 手渡した保冷剤を顔に当てながら、男はそれでも笑顔を崩していない。


 殴り飛ばしてハイ終わりというわけにもいかず、結局家にあげてしまった。私自身聞いておきたいこともあったからよかったが、フェンリルはなぜか断固拒否の姿勢をくずさなかった。

 嫌だ嫌だを繰り返し、このまま平行線になりそうだったが家の主人の判断ということで渋々折れてもらったが、それ以降フェンリルはずっと不機嫌のままだ。


「大丈夫大丈夫。これぐらい腕を噛みちぎられた時より平気だよ」

「だったら殴るんじゃなくて、もう一本の腕も噛みちぎってやればよかったですね」

「あの時のように、そう簡単にはいかないと思うけどね」


 二人から沸き立つ禍々しいオーラをハッキリと見た。やっぱりというかなんというか、この男は人間じゃない。フェンリルと顔見知りなのがなによりの証拠。


「ちょっとちょっと、ここ賃貸なんだからやるなら外行ってよ」

「大丈夫ですよ佐々木さん。壊れた家具は私がパパッと直しますから」

「そういう問題じゃないの」


 このまま六畳バトルは勘弁してほしい。どんだけ仲悪いんだこいつら。


 不機嫌ながらも着々と仕事をこなし、次々と運ばれてくる料理はどれも手の凝ったものばかり。それがズラリとテーブルを覆い尽くしていく様は圧巻の一言に尽きる。


「ほぅ。この品々はフェンリル、君が作ったのかい?」

「そうですよ。嫌なら食べなくて結構ですからね。むしろ食べないでさっさと帰ってほしいぐらいですよ。ていうか帰れ」

「そんなこと言って、実は腕に自信がないんじゃないかい?」


 またしても二人から禍々しいオーラが見える。ていうか実は仲いいだろこいつら。


 そしてギスギスとした晩餐が経過していく。


「意外と美味しいじゃないかフェンリル」

「……」

「き、今日も美味しいよフェンリル」

「ありがとうございます佐々木さん!」


 フェンリルには申し訳ないがほとんど味はわからなかった。いつ箸で刺し合いが始まるのか、ずっと気になってしょうがなかった。せっかくマスターアップで良い気分だったのに。食事ぐらい普通にしてくれ。


 やけに長く感じた食事の時間が終わり、ここからが本題だった。


「テュールさん、ですよね?」


 食後のコーヒーに口をつけてから、私は切り出した。


「おや? 私のことはもうご存じだったか。いや、君は最初から気づいていたというところかな?」


 元々隠すつもりもなかったのか、目の前の軍神ことテュールはあっさりと認めた。


「浅知恵程度なんですけどね」

「敬語はよしてくれ。フェンリルと供に暮らしているあなたは、私以上に勇気のある人物なのだから」


 残っていたコーヒーを一気に煽り、カップを離したその顔は真剣そのものだった。空気が変わったことに気づいた私は、少しだけ背筋をただす。


「私のことを知っているということは、あなたの隣にいるフェンリルが”災厄”を招く存在だということもご存知ということだね」


 テュールの言葉にフェンリルの肩が震えた気がした。


 私なりにフェンリルのことは調べていた。確かに災厄を呼ぶ存在だと言われていたことは知っている。だがそんなこと今の今までに気にしたことはなかった。


「佐々木さん。先日、君が悪漢に襲われたのは必然だった。たまたま私がその場に居合わせたことで無事で済んでいるが、そうじゃなかったかもしれない。君は災厄に巻き込まれている。そしてこれからもそれは続く」

「待ってください。いや、さすがにそれは……」

「察しの早い佐々木さんになら、その理由もわかるはずだと思うが?」


 コーヒーに口をつけようとして私はやめた。テュールの言っていることを鵜呑みにはできなかった。


 あの夜の出来事がフェンリルの原因だとは思いたくなかった。隣のフェンリルに視線を送っても、黙ったまま反論の一つもしない。


「まだ小さな災厄で留まってはいるが、今後もっと大きな災厄が佐々木さんの身に降りかかる」


 だめ押しのごとく、テュールは淡々と語る。


 これからフェンリルが原因で私に災厄が降りかかる。信じたくはなかった。なかったが、もしトゥールの言うとおり、これがまだ序の口でこれから私にとんでもない災厄が降りかかったとき、私はどうなる?


 迷いはどんどん膨らみ、やがてテュールの顔を直視できなくなってきた。

 いまだに隣で黙ったままのフェンリルを横目でみると、黙っていたわけではなかった。感情に蓋をしてずっと耐えていた。


「フェンリル、これは旧友としての忠告だ。君は佐々木さんと暮らすべきじゃない」


 その言葉がトドメになった。震えたままのフェンリルの手に触れようとした瞬間、振り払うかのように勢いよく立ち上がる。


「さっきから勝手なこと言ってなんなんですか!? あなたに言われなくても私はっ……! 私は……」


 そのままフェンリルは自分の部屋に飛び込んでいった。今までにないほど感情を露わにする様子に、逆に私は冷静さを取り戻していた。


「やれやれ。機嫌を損ねてしまったらしい。主役がいなくなってしまっては、今日のところはおいとまするとしよう」


 緊迫した話し合いは、フェンリルの怒号で幕を閉じることになる。


 結局私は何を迷っていたんだろうか。自分の単純さと阿呆さ加減にほくそ笑んでしまった。


「あの娘はまだ拗ねてるのかい?」

「えぇまぁ、そんなところです」


 話が終わってからフェンリルは部屋に閉じこもったきりでてきていない。勝手に自分のことをペラペラと喋られて良い思いはしないだろう。私も無神経だった。


「佐々木さん。私の言ったことはすべて真実だ。嘘偽りのない。いずれ君には災厄は必ず訪れる。それでも、君はフェンリルとの生活を選ぶのかい?」


 その問いかけに答えるのに、時間はかからない。


「私は今の生活が楽しいんですよ。それに、フェンリルがいなかったら多分ダメになってたと思うし、この先何かあってもなんとかしてみます」


 驚いたように目を見開き、今度は何か納得したように目を伏せた。


「あの娘は変わったよ。昔よりもよく感情を出すようになった。よほど佐々木さんのことが好きなんだろうね」

「そうなの?」

「いや、私からこれ以上あの娘のことを語るのはやめておこう。もう一本の腕も噛みちぎられるのは笑えないからね」


 ほんと今日は笑えない冗談ばっかりだよ。









「フェンリル、開けるよ」


 何度呼びかけても反応はなかったが、扉の鍵はかかっておらず力を入れなくともスムーズに開いた。


 電気もつけず何をしているのかと思えば、ベッドの上で布団がこんもりと山になっている。収まりきらなかった尻尾が元気なく垂れ下がっているところを見るに、相当落ち込んでいる。

 丁度よく一人分空いたスペースに腰掛ける。二人分の重さでベッドが軋むとそれを合図にフェンリルの固く閉ざしていた口が開いた。とても、とても小さな声。それはまるで独り言のように。


「さっきは取り乱してごめんなさい」


 フェンリルが謝ることはない。謝らないといけないとがあるのは、むしろ私のほうだ。話を聞かされたあの瞬間、迷った自分がいた。誰を信じるべきか見失っていた。


「でも、テュールさんの言っていたことは全部本当です。隠してたわけじゃないんです。言おうと思っていてもなかなか言い出せなくて」


 誰にだって言いたくないことぐらいある。それが人間だろうとフェンリルだろうと。フェンリルが言いたくなかいことを、私は無理矢理聞こうとはしない。


「やっぱり、私は佐々木さんと暮らすべきではないんです」

「それは本心なの?」


 さすがに聞き捨てならない言葉が飛び出して、反応してしまった。


「そんなわけないですよ……!」


 高く舞い上がった布団からフェンリルは飛び起きてきた。目元を赤くさせているのを見せまいと顔を伏せたまま「そんなわけない」と何度も呟く。


 だったらそれでいいんじゃないだろうか。フェンリル自身すでに答えは出ているというのに、どこか納得のしていない様子だった。


「でも私は、佐々木さんを不幸にしてしまいます」

「別に不幸になってもいいんじゃない?」


 まさしく絶句だっただろう。私の言葉に驚きと怒りの混じった視線を向けてくるが、無神経な発言をしたとは思っていない。


 このままフェンリルと暮らせば災厄は訪れる。どうあがいたって回避することができずに、私は不幸になるかもしれない。でも、フェンリルと一緒に暮らすことができなくなる”不幸”に比べれば、別に私は気にしないよ。


 まだ元気が戻っていない尻尾に私は抱きついた。


「どうかしましたか?」

「私、フェンリルがいないと駄目人間だよ? 自分のことちゃんと管理できないし、ご飯だって手抜いちゃうよ。フェンリルがいなかったらころっと死んじゃうかも」


 想像したら笑っちゃったけど、実際そうなれば笑い事では済まない。


「もし私に何かあったときはさ、助けてほしい。私からのお願い」


 腕の中で尻尾が元気よく動く。モフモフとした感触が顔を撫でて、私も負けじと強く抱きしめる。抱き心地のよさに眠気がやってきて部屋に戻ろうとち上がったところ、服の裾を遠慮がちに引っ張られた。


「あのっ、佐々木さん。私からもお願いいいですか? 今日は一緒に寝てください……」

「うん」


 初めて一緒の布団で眠った。まるで本当の家族のように。


 この日だけは、寒さで目が覚めることもなく朝までぐっすりだった。




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【そのフェンリル忠犬につき】 加糖 @sweetening

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