第3話 諜報課にて

『え? 侵入してきたの? 周辺調査じゃなくて?』

「え? 潜入前に調査がいるんですか?」

 お互いの言っていることに齟齬があることに気づいたのはリーナだけだった。

『いや、そうじゃなくってね……ま、いいや』

 リーナは説明を諦めた。

 諜報課ラクシルの事務所に報告のため戻ってきたメイフィは、意味も分からないまま首をひねる。

 メイフィに与えられた任務は、とある国の貴族の持ち物である農耕研究所の調査だ。

 研究所に資金を融資している社は、そこで開発されている、魔法術式を行使した農機具開発の進捗を知りたいので探ってくるよう命じられたのだ。

 諜報課ラクシルの通常の任務では、とりあえず研究所の周辺を歩いて、所員が行きそうな酒場や食堂を探り、話を盗み聴いたり、直接話してみたりすることなのだ。

 メイフィは可愛いので、誰か所員の一部が惚れるかも知れない。

 そして、まだ成熟した女性というわけではないので、彼女の気を惹くために「どうせ分からないだろう」と自分の研究の話をして、「難しくてよく分からないけどこの人は凄い」と思われたがる。

 そういう意味で、彼女はぴったりだろう、と行かせたのだ。

 だがそれを、メイフィは研究所に侵入して直接書類を探って来い、という指令だと思い、侵入して、情報を得て来たのだ。

『誰にも見られなかったんだよね?』

「もちろん、そんなへまはしません!」

 自信たっぷりで応えるメイフィ。

『へえ、情報の精度も高いよね。何が欲しいのか分かって持ってきたみたいだね?』

「そ、そうですか? よかった、ちゃんと仕事出来て」

 ほっと胸を撫でおろすメイフィ。

 彼女は兵装課リュークスでは戦力にならないと評価されたと思っているので、ここで評価されないと行き場がないと思い込んでおり、必死に頑張ったのだ。

『ヴェルムさんもよくこんな子を見つけて来たよね』

「え……?」

『彼の人を見る目だけはボクも信頼してるからね』

 自分は、彼に「見つけて」来られたことになっている?

 いや、そんなわけはない、彼がしたことは自分にこの会社を受けろと言った事だけで、彼は何の手助けもしてくれなかった。

 誘っておいて無責任な奴だ、とその時は思ったものだ。

 家族全員を失った自分が、こうして生活を続けられているという事は、まあ、その点に関してだけは感謝してもいいが、別に自分は彼にスカウトされたわけではない。

 ヴェルムの悪口は兵装課リュークスで散々聞いた。

 あいつは、成績と手柄のことしか考えていない、感情のない自動操人形オートマトンだ。

 あいつが女に言い寄っているところを見たことがない、部長が好きな男色じゃねえか?

 そのほとんどは根も葉もない中傷を、シャムレナを中心とした荒くれ者の冗談として言っていることはメイフィも理解している。

 が、そこまで嫌われている彼が、では大物であるかと言われれば、それは否定するしかない。

「わ、私は別にヴェルムさんに見つけられたわけではないです……」

 何となく、自分が彼の手柄になっていることが嫌だと思ったメイフィは、そう反論した。

『え? そうなの?』

「はい、確かに誘われましたけど、それは私に行く当てがなかったから、話のついでに選択肢の一つとして言われただけですし」

 確かに誘われたのは事実だ。

 感謝もしていないわけではない。

 だが、自分が頑張れば彼の功績になる、という構図がどうにも気に入らない。

 いや、もしも彼が本当に自分を誘って、入社も融通してくれたというならまあ、仕方がないところではあるが。

 実際に志願して、採用されたのは自分の功績だ、それ以外の何ものでもない。

『でも、彼、部長に私が責任をもって育てます、とか言って掛け合ったって聞いてるよ』

「え……?」

 そんなことは初耳だ。

 そもそも、そんな態度ではなかった。

 最初に入らないかと聞いた時も、誘われたのかと思っていたら、「自分の実力で入れ」と言われたはずだ。

 少なくともそれに近いことを言われている。

 そして、入社して会った時も「本当に入社したのか」のようなことを言われているし、少なくともそんな態度だったと思う。

「そんなことは、ないと思います、けど……」

 メイフィも、言う程ヴェルム本人を知っているわけではない。

 だが、その少ない印象でいいと思ったことはないし、兵装課リュークスでの話を聞く限り、悪い印象しか受けない。

 まあ、その中から必死に頑張っていいところを挙げるとするなら、頭が切れる事、仕事に、いや、仕事以外でも真面目であること、上の命令は逆らわないこと、くらいだろうか。

 少なくとも情で動くことは絶対にないと言い切れる。

 あの時のメイフィは、おそらく誰からも同情を買える状況にあった。

 だが、同情しない最後の一人がいるとしたら彼だったと言い切れる。

『でも、ボクが聞いたのは部長だよ? 新人を寄こすってヴェルムさんが言ってたから、どんな子かなって、とりあえず教えてくれそうな人に聞いて回ったんだ』

「え? リーナさんが直接部長さんに会ってですか?」

『……驚くところそこなのかな? ボクだって聞きに行くことはあるよ。部長室の壁には通気用の穴があってね』

 どうやら正面から部屋に入って聞いて来たわけではないようだ。

 とは言え、直接聞いて来たことには変わりはない。

 つまり、ヴェルムが部長に掛け合ったというのは本当だろう。

 彼が感情で動くことはない、とするなら、自分の中に才能があって、それに気づいてくれたという事だろうか。

「ヴェルム次長って、どういう人なんですか?」

 そう考えると、なんだかそれだけで、肯定的に見たいと思ってしまうのが人間だろう。

 少なくともシャムレナよりは仲がいいリーナに、ヴェルムについて訊いてみたくなった。

『彼は鬼畜メガネだと思われているみたいだね、だけどそうじゃないんだ』

 そもそも、メイフィは彼が眼鏡をしているところを見たことがない。

『彼は、総受けだよ』

「総受け」

 総受けって何だろう?

 性格の事だろうか?

『彼は全ての男性から凌辱されるんだ。目いっぱい屈辱的に、尊厳も与えられず』

 彼女は何を言っているんだろう?

『そして、最後にはプライドをかなぐり捨てて、ただ快楽に墜ちるんだよ』

「は、はあ……えっと?」

『ボクの創作ではいつもそうなってるんだ』

 何となく、そうだろうな、と分かっていたが、愉しそうに語るので、止めるに止められなかった。

 だが、メイフィが聞きたいのはそんな想像、いや、妄想の話ではない。

「あの、そうじゃなくって、本当のヴェルムさんの事ですけど」

『本当の? いや、これもボクの中では本当リアルなんだけどね』

「はい、分かりました。そうですね、ヴェルムさんは総受けなんでしょう。その上で、お聞きしたいのですが、彼はどんな人となりなんでしょう?」

 諦めたメイフィは一旦それを受け入れてから受け流して、再度聞いた。

『うーん、まあ、真面目?』

「まあ、そうですよね?」

 それは、メイフィにも分かる。

 彼は真面目だ、あまりにも真面目だ。

 だから、別に自分を不真面目とも思ってもいなかった周囲が自分を顧みて不真面目だと思えてしまうこともある。

『真面目過ぎて隙がない。仕事は出来るけれど、信頼できない部下には仕事をさせない。だから、全部一人でやってしまう』

「確かに、仕事以外の事を考えてなさそうな気がしますね」

『人を変えようとしないんだ。人を変えるより自分が変わった方が費用コストがかからないって思ってるから』

 彼の一番の特徴であり、長所であり短所でもあるのは、その、全てを「費用コスト」で判断するところだ。

 給料を貰っている者として、自分の仕事も会社から見れば費用コストであり、同じ結果を最短の時間で行うよう考えることは望ましい姿勢ではある。

 だが、彼はそれを徹底し過ぎているのだ。

 彼の費用コスト管理には、人心は介在しない。

 心があると仮定するなら、彼が傷ついても、他の誰かが傷ついても、それがコストカットにつながるなら、迷わずそれを選択するのだ。

 おそらくリーナもシャムレナも、その被害を受けているだろう。

 シャムレナがヴェルムの業務指示で動かない理由を「余計な費用コストがかかるから」と口にするのも、彼への皮肉だ。

 自分や他人の感情には一切配慮せず、冷徹にコストカットだけを考える。

 だから、言われるのだ。

 「彼には感情がない」と。

『でもね、そんな彼だからこそ、間違いがないって信頼されてるし、ボクもそこは信頼してるんだ。そんな彼がメイフィちゃんはものになるって判断したんでしょ? それって凄いことだと思うけどな』

「そうなんですかね? でも、そんなこと一言も言ってくれてないですけど」

『それはみんな同じさ。ボクだって多分信頼されてるけど、褒められたことなんてないよ。前にちゃんとやったんだから誉めてって言ったらさ、給料もらってやる仕事は、ちゃんとやるのが当然だ。ちゃんと出来なかったら責任を取れ、なんて言うんだよ? そりゃそうなんだけどさ、そこは職場を円滑に動かすためにありがとうの一言くらいあってもいいんじゃないって思うんだ』

 確かに、費用コストを言うのであれば、ありがとうの一言など、ただなのだから、それを言うだけで仕事がうまく行くのならそうすべきだろう。

 だが、彼は無駄だと思うことは一切しないのだ。

 挨拶は費用コストもかからないが、することにも何のメリットもない、だからしない。

 尊敬するほどに徹底しているのだ。

 だが、その彼に自分が採用されたというのも、どうやら事実らしい。

 自分はそれに見合うだけの活躍が出来るだろうか?

「……まあ、期待されていることだけは分かりました。どの部署になるかはまだ分かりませんが頑張りたいと思います」

「うん、頑張ってね。ボクもいい評価を伝えておくよ」

 顔は見せてくれないが、この前見た時には歳が近いと感じたリーナ。

 彼女が上司ならうまくやって行けるかもしれない。

 兵装課リュークスで拒否された以上、ここで頑張って行きたい。

 そう誓い、評価されることを願うばかりのメイフィだった。

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