25

「…アメリカ?」


「そ。おまえら、向こうで一旗揚げる気はないか?」


「……」


 事務所の会議室。

 高原さんの言葉に、あたしたちは驚愕した。


「すぐに返事しろとは言わないけど、来月には返事が聞けるようにしておいてくれ」


 それだけ言うと、高原さんは忙しそうに会議室を出て行った。

 みんなは顔を見合わせた後…


「アメリカかー…なんか、驚きだな。いきなり向こうでデビューかよ」


 センは、ちょっぴり嬉しそう。

 お父さま、いらっしゃるしね…

 聖子は行きたがってたから…文句なしに、はしゃいでる。


「すごいわね。あたしたちって、もしかして、期待されてる?」


「まあ、待てよ。知花…大丈夫なのか?」


「…え?」


 光史に問いかけられて、みんながあたしを見る。


「あ…そっか…知花はー…」


「あー…とりあえず、千里に聞いてみる…」


「そうだね。ま、たった二年だしさ。神さんも行ってこいって言ってくれるよ」


「……」


 聖子の嬉しそうな声に、あたしは何も言えなかった。

 あたし…


 千里と離れたくない…



「陸、浮かない顔してんな」


「あー?あー…まあ…なあ」


「何だ?おまえらしくない」


「…アメリカで、俺ら通用すんのかな、と思って」


 陸ちゃんが珍しく弱気。

 どっちかと言うと。


「よおっしゃあ!俺たちの時代がくるぜぇっ!!」


 とか言いそうだったのに。


「行く前からそんなんで、どうすんだよ」


「まだ行くとは決ってないぜ?」


「そうだけどさ…」


 あたしは、みんなのそんな会話を聞きながら。

 できれば…行きたくないな…

 なんて、考えていた…。



 今日はもう解散って事になって。

 あたしはマンションに帰ると、家の事をしながら千里を待った。

 …だけど…


 帰って来るかな…って不安も、なくはなかった。

 そして…


「…遅かったね」


 リビングでウトウトしてると、千里が帰ってきた。

 あたしが目をこすりながら立ち上がると。


「何だ。先に寝ててもよかったのに」


 少し、トーンの低い声。

 最近、千里は帰るコールをしなくなった。

 そのうえ、イライラしてることも多くて…外泊も多い。



「…相談があって…」


「何」


 千里は冷蔵庫からビールを取り出して、あたしの前に座った。


「…アメリカに行く気はないかって…」


「…誰が」


「高原さんが、うちのバンドに」


「……」


 カシッ。

 千里が、乱暴にビールを開けた。


「で?」


「あたし…行きたくない…」


「どうして」


「……」


 上目使いに、千里を見る。


「ここに、いたい…」


「……」


「だって、二年も…」


「…ふざけんな」


「…え?」


 千里はビールをテーブルの上に置くと。


「ふざけんなっつってんだ。おまえ一人のことじゃねえだろ?」


 って、冷たい口調で言った。


「そうだけど…あたしは」


「二年なんて、すぐじゃねぇか。なのに、何をためらってんだ?アメリカだぜ?ミュージシャンなら、行きたいに決ってっだろ?」


「……」


「何でだ?」


「…千里と…」


「……」


「離れたくない…」


「……」


 千里は、大きくため息をついて。


「…じゃ、おまえはー…あれか?俺が行くなっつったら、行かないのか?」


 って、うつむいて言った。


「…行かない」


 ガシャン!!


「ばかか、おまえは!!」


 千里の剣幕に、驚いてしまった。

 立ち上がって、あたしをにらんでる。


 …どうして?

 どうして千里は、こんなに怒ってるの?



「誰でも行けるってわけじゃねえんだ!!せっかくのチャンスを、おまえ一人のわがままで台無しにする気かよ!?」


「……」


「じゃ、行くな。けど、そしたらおまえは一生歌えないんだぜ?」


「…え?」


「当り前だ。メンバーを裏切って、おまえは歌っていけんのかよ」


「……」


「歌わないおまえには魅力なんてない」


「……」


「勝手にしろ。俺は知らない」


「どうして!?どこ行くの!?」


 千里は玄関に向かって、あたしが背中にすがると。


「離せ!!」


 あたしを振り払った。


「……」


「しばらく帰らねえよ」


「千里…」


 あたしは、重苦しく閉まるドアの音を、呆然として聞いていた。



 どうして?

 離れたくないって想うのは、自然じゃないの?

 歌はどこだって歌えるじゃない。


 涙がとめどなくあふれて。

 あたしは、立ち尽くしたまま、千里の冷たい声を思い出していた。





『神さんが?』


「…うん…」


 あたしは、泣きながら聖子に電話をした。

 そして、千里が出て行ってしまったことを告げた。


『どうして?何でケンカしたの?』


「……」


『知花?』


「聖子、あたし…」


『アメリカのこと?』


「……」


『…わかってるよ。知花…行きたくないんでしょ』


「……」


『神さん、なんて?』


「ふざけんな…って…」


『……』


「せっかくのチャンスを、おまえ一人のわがままで台無しにすんのかって…」


『知花…』


「あたし…千里と離れたくない…一緒にいたい…」


 涙が止まらなくなってしまった。


『知花、あんた…神さんの気持ち、考えてる?』


「千里の気持ち…?」


『そうだよ。神さんだって頭きちゃうんじゃない?』


「…どうして…?」


『TOYSより先に、あたしたちがアメリカデビューなんてさ』


「あ…」


 そうだ…

 千里、ここ最近ずっと…不機嫌だった。

 それって…

 TOYSの事だったのかな…


『それを、自分と一緒にいたいからって、行きたくないって言われたら、まるで神さんが知花のお荷物になってるみたいだよ』


「そんな!!」


『わかってる。だけど、周りの者はそう思うんじゃないかな』


「……」


 聖子の言葉に、あたしは黙るしかなかった。

 千里…

 あたしの言葉に腹を立てたのは…そういう意味もあったの…?



『あんたの気持ちもわかるけどさ、たった二年じゃない』


「でも…」


『でも…?』


「あたし、不安なの…」


『何が?』


「あたしがアメリカに行ったら、千里が離れていっちゃうような気がして…」


 瞳さんを抱きしめてた光景が、妙にチラついた。

 あたしがいなくなったら…

 千里、瞳さんの所に…って。

 今だって、連絡もなく帰りが遅かったり…

 外泊だってある。

 それって、瞳さんの所じゃ?って。



『それって、神さんを信用してないってこと?』


「…わかんない…」


 そう答えてみたものの…あたし、信じてないよね…

 千里の事。



『…まあさ、その気持ちもわかるよ。神さんが結婚してるって知ってるのはほんの一部だし、人気者だからね。でもさ、言い方悪いけど、あんたがそうやって神さんを信用しない限り、あたしたちも前には進めないんだよ?』


「……」


 あたしが千里を信用しない限り…

 あたし達も、進めない…?



「あたし…」


『…うん』


「千里を信用するなんて、できないかもしれない…」


『……』


「あたしたち、だめなのかも」


『どうしてよ、どうしてそんな…』


「本当は、行くなって言って欲しかった。もし行けって言われたとしても大丈夫だから、何でもないんだから、いつでも会えるからって…」


『……』



 素直な気持ちだった。

 あたしの事、本当に好きなら…

 距離なんて、時間なんて気にするなって。

 あたし達は、大丈夫って思えるように…気持ちを伝えて欲しかった。


 だけど千里が吐き出した気持ちは…

 冷たい言葉ばかりだった。



「どうして、あんなに冷たいの?あたしのこと、好きじゃないのよ」


『待ちなよ知花。あんた、それおかしいよ』


「おかしくなんかない。あたしは、千里が一番大切なの…」


『……』


 あたしの剣幕に、聖子は黙ってしまった。

 あたしは涙をぬぐって。


「…ごめん…」


 小さくつぶやく。


『…あんたが、そんなに神さんを好きだとは思わなかった』


 ふいに、聖子がトーンの低い声で言った。


「……」


『あたしたちとアメリカに行く事が秤にかからないほど、神さんを好きだなんて思わなかったよ』


「…聖子…」


 あたし…なんてこと…


『あたしは、嬉しくてたまんなかった。小さな頃からの知花の夢がかなうんだって思ったら、嬉しくてたまんなかった』


 聖子は、涙声。


「ごめん、聖子…あたし、そんなつもりじゃ…」


『もう、いい。あたしも行かない』


「聖子…」


『じゃあね』


 あたし…

 あたし、ばかだ。

 初めて、冷静になれた。


「聖子…」


 あたしは、受話器をそっと置いて考える。


 あたしにとって、歌は何?


 あたしにとって、千里は…。

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