24

「おかえりなさい」


 帰って来た千里に、あたしがそう声を掛けると。


「……ただいま」


 千里は一瞬驚いた顔をして…それから、普通の顔で言った。


 …あれ?

 あたし、今日は早く帰るって言ってたのに。

 どうして驚いた顔したんだろ?



 学校を辞めて、バイトの時間が増えたあしは。

 それでも自由な時間が増えた事で、曲作りもだけど…

 家の事も、十分に出来るようになった。


 天気のいい日には、お洗濯も楽しいし…

 こうして、料理をしながら千里を待つ日は、最高に幸せだと感じる。



「…千里?」


 お鍋のスープをまぜてると、後ろから抱きしめられた。


「……」


「…どうしたの?」


 ドキドキしながら問いかけると。


「……腹減った」


 千里の、小さな声。

 全てが愛しく思えちゃって。

 あたしは小さく笑うと。


「すぐ支度するから、待ってて」


 顔だけ振り返って言った。


「…ああ」


 あれ…?

 元気ない気がする。

 どうしたんだろ。



「何かあったの?」


 食卓についても、ボンヤリしてる千里に問いかけると。


「…え?あ、何が」


 何だか、気の抜けた声。


「元気ないみたいだけど…」


「んなこたねえさ」


「そう…?」


「ああ」


「……」


 だけど…あきらかに、元気がない。気がする。

 …あたしには、相談なんて出来ないのかな…


「おかわり」


「…はい」


 お茶碗を差し出されて、あたしはご飯をよそる。

 千里がボンヤリするなんて、寝起き以外にはないことだから…何だか不安になってしまう。

 でも、事務所で面白くないこととかあっても言わない人だから…

 聞かない方がいいのかな。



「…おまえさ」


「え?」


 ふいに、千里が口を開いた。


「シンガーになるの、夢だっつってたよな」


 突然の問いかけに、あたしはキョトンとする。


「…そうだけど…はい」


 お茶碗を、千里に渡す。


「サンキュ」


「それが、何?」


「いや…デビュー決まって、どんな感じなのかなと思って」


 珍しいな。

 こんなこと聞くなんて。


「うん…嬉しい…って言うか、まだ実感湧かないけどね。メンバーはかなり盛り上がってるけど」


「…そっか」


「それが何?」


「別に。良かったなと思っただけだ」


「……」


 もしかして、千里…

 うまくいってないのかな。

 この間、東さんが深刻そうな顔で高原さんに話されてたのを見たっけ…



「知花」


 あたしが不安そうな顔してると、千里が笑顔で言った。


「これ、食えんのか?」


「え?」


 あたしは、千里を見る。

 すると、千里はサラダの中から、オンシジュームを箸で取り出したのよ。


「あっ…ごっごめん」


 いつの間に入り込んじゃったんだろ。

 千里の妻として、完璧でいたいのに…

 やだなあ、もう…。



 あたしは、小さな不安をかき消すように。

 目の前の幸せだけを見つめて、幸福だ。と自分に言い聞かせた。



 千里の苦悩に気付かず。


 自分の夢も、千里の妻としての幸せに比べたら何でもないように思えて。

 あたしは…

 長年、あんなに夢見て来た事を、いとも簡単に諦めようとしていた。



 それが、みんなへの裏切りだなんて。



 気付きもしないで。

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