26

「話があるの」


 事務所のロビー。

 二時間かかって、ようやく千里を見つけた。

 大きなビルだけど、千里がいる場所は大体わかる。

 それなのに…最近は見かける事もなかった。


 …避けられてたとしか思えない。



「…今は話したくねえな」


「大事な話なの」


「……」


 千里は少し間を開けて。


「うちのルームに来な」


 冷たく言った。



 この事務所では、デビューしているミュージシャンに限り…プライベートルームが与えられる。

 あたしたちも…こっちでデビューしたらもらえてたのにな……なんてね。



 千里についてエスカレーターに乗る。

 五階で降りて通路を歩いてると、あたしたちを見て小声で何か言ってる人たちが視界の隅っこに入った。



「…何だ?」


 ルームに入ってすぐ、千里は立ったままあたしに言った。

 …まるで、長く話す気はない…って感じ。



「あたし…色々考えた」


「何を」


「あたしと、千里のこと」


「……」


 本当に…色々考えた。

 そして、こんなにも…千里を好きになってる自分に…驚いた。



「あたし…千里のこと、どうしようって想うくらい好きで離れたくないって…そしたら小さな頃から夢だったシンガーが、どうでもよくなっちゃってた」


 あたしの言葉に、千里は面倒臭そうに溜息を吐いた。

 …口にナイフを持つ男は、態度にも出ちゃうよね。

 今の溜息…ちょっとグサッと来たな…



「千里に言われた通り。あたしは一人じゃないのに…そのことさえ二の次になってた」


 オーディションに受かった日。

 あたしたちは…みんなで上へ行こうって、みんなで上を目指そうって乾杯した。

 なのにあたし…

 あの時の気持ち、まるで無かったことのようにしてしまってた…



「で、どうする」


「…でも、不安なの」


「何が」


「千里と離れてて…大丈夫なのかなって」


「…どうも、俺は信用がないんだな」


 千里は呆れたように上を見上げて、前髪をかきあげた。


 あたしに向けられない視線。

 怠そうな態度。

 …どう見ても、千里は怒ってる。


 これ以上怒らせてしまうかもしれない。

 それでも…ちゃんと話したい。


 …あたしの、正直な気持ち。



「あたし…知ってるよ」


「何」


「時々、瞳さんの所に泊まってるでしょ?」


 最近増えた外泊。

 本当は、どこに泊まってるかなんて知らない。

 あえて、かまをかけてしまった。



「…泊まってるけど、別に何もないぜ?」


 予測してたとは言え…ショック。

 やっぱり、瞳さんの所だったんだ…


「それが、信用できないの」


「…ふん…バカバカしい」


 腕組みをして壁にもたれた千里を見つめる。

 もう…こんな時なのに。

 どんな顔してても…カッコいいって思っちゃうなんて…あたし、相当やられちゃってるんだな。



「…あたしのことも想ってくれてるって、大丈夫って、自分で言い聞かせてた。だけど…」


「……」


「…そばに居て欲しかった…」


 声がかすれて、この言葉が届いたかどうかは分からない。

 何を言っても千里はあたしを見ないし、何を言っても…届かない気すらして来た。


 千里を見てるのが辛くなって、自分の足元に視線を落とす。

 …言わなきゃ。

 考えて…決めたこと。


 うつむいてたら涙が落ちそうで、少しだけ上を向いた。

 千里を見ると…相変わらずそっぽを向いたまま。

 …嫌われちゃったのかな…


 あたしは小さく深呼吸をして気持ちを整えると。


「あたし、アメリカに行く」


 キッパリと言った。


 千里の視線が、やっと…あたしに向いた。


「だけど、向こうに行ってもこんな気持ちのままじゃだめだから…」


 泣かないで。

 言わなきゃ。

 もし、千里が瞳さんのとこに泊まってるなら、言おうって決めてたこと。


「あたしと…別れて」


 泣かないで。

 お願い。

 泣かないで、あたし。



「……そういうことか」


 千里は、じっとあたしを見て…つぶやくようにそう言って。

 次の瞬間には小さく笑って、また天井を見上げた。


「まあな、俺ら偽装結婚だったしな。お互いその方が気軽になるよな」


 …どうして、そんなに普通なの?

 あたしのこと、抱きしめて名前呼んでくれてたじゃない…

 あれも全部、そんな風に簡単に…片付けられちゃうの?



「わかった。じいさんたちには俺から言っとく。離婚届も用意しとく。おまえは行くまであの部屋使え。俺は…………何泣いてんだ」


「……泣いてなんかない」


 瞳いっぱいになった涙、我慢して流さないように…必死で瞬きを我慢する。



「…これだけは、覚えてて」


「…何だよ」


「あたしを歌わせるのは、千里だから」


「……」


「…これ」


 唇をかみしめて、薬指から指輪を抜き取る。


「…短い間だったけど、楽しかった。ありがと」


 震える声で指輪を差し出すと、千里は無言で手の平にそれを受け取った。


「…じゃ、ね。千里も、頑張って」


 わざと、笑ってみせる。

 本当は、あれもこれも言ってやろうと思ってたのに。

 頭の中…空っぽになっちゃった…。



 …だけど。


 あんなに大好きだったのに。

 アメリカに行く。

 だから別れる。

 そう決断した事…

 そして、それを告げた事…

 …何だか、スッキリした。


 それだけあたし、千里を疑う事に疲れてたのかも。


 …それに…

 行くなって言って欲しかった…なんて…

 勝手に望み過ぎて…バカだよね…。



 ルームを出ると、ちょうど東さんがエスカレーターを降りて来て。


「あー、久しぶりー」


 って、少しホッとするような笑顔。


「こんにちは…」


「あれ?一人?」


「はい」


「七生ちゃんは?」


「あー…今、うち自宅待機中……」


 あたしも東さんに負けないぐらいの笑顔を…って思うのに…

 もう、限界だった。


「…知花ちゃん?」


「……ごめんなさい。何でもないんです…」


「え…っ、でも…えっと…神、呼ぼうか?」


「いえ……大丈夫なので…」


「……」


「失礼します…っ…」


 困ってる東さんに深々とお辞儀をして。

 あたしはエレベーターに乗り込む。


「……」


 誰も乗ってないエレベーターの中、しゃがみ込んで唇を噛みしめる。


「ふっ……う……っ…」


 一度溢れだしてしまった涙はすぐには止められなくて。

 それでも動き出したエレベーターには誰かが乗って来るはず…と、あたしは袖口でゴシゴシと顔を拭いて立ち上がった。

 まだ…これからが大変だ。

 泣いてばかりいられないよ…。

 軽く頬を叩いて気合を入れる。


 エレベーターホールからエスカレーターで一階に降りると、なぜかこんな時に…TOYSのポスターが目に入った。

 斜に構えた千里と…目が合った気になる。


「……」


 一度も…『好き』って言われなかった…な…


 また溢れてしまいそうな涙を我慢して。

 あたしは…事務所を走り出た。

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