8 第二の事件

 最後に五人が目撃された神社周辺を再捜索していた檜葉ひば優典まさのり巡査(当時)が、境内に倒れていた深海ふかみじんを発見。重傷を負い、衰弱の見られた尋はすぐさま最寄りの夜光中央病院へと搬送されることとなった。


 この日は五人の中学生が失踪してから五日後の五月十五日。対して尋が異界を彷徨っていた時間はせいぜい三時間程度と計算が合わない。

 二つの世界の時の進み方には大きなズレが生じており、この事実は神隠しという怪奇の異常さを何よりも物語っていた。例えば向こうの世界で尋の脱出が数日単位で遅れていたなら、半年近い誤差が生じていた可能性もある。


 三日後。意識を取り戻した尋は警察から詳しい事情を聞かれることとなる。

 同時に行方不明となった四人の友人達は未だに発見されぬまま。それに加えて尋は腹部や腕に、事故でついたとは到底思えぬ、意図的に外圧が加えられたような傷を負っていた。集団誘拐など重大犯罪の可能性を疑い、警察が尋に情報を求めることは至極当然であった。


 しかし真実は、神隠しが発生し、現世とは異なる世界で鬼に襲われたというあまりに奇々怪々なもの。


 口にしたところで到底信じてもらえるはずがない。事件のショックで精神的ダメージを受けていると思われるのが関の山だ。

 誰にも信じてもらえない話なら、最初から誰にも話さなければいい。行方不明となっている他の四人の家族には申し訳ないが、鬼の襲撃による惨たらしい死や、はるかの手によって宏人ひろとの命が奪われたなどいう残酷な真実を告げる気にはなれない。真実を告げたところで遺族には信じてもらえず、逆上されることは目に見えている。


 尋は沈黙を選択した。

 警察や家族に何と問われようとも無言を貫いた。


 事件のショックにより、一時的に失語症のような状態になってしまったのだと周りからは解釈され、沈黙を咎める者は誰もいなかったが、尋自身はそのことが辛くもあった。


 真実を誰かに受け止めてもらいたい。全て吐き出して楽になってしまいたい。

 十三歳の少年一人の胸に留めておくには、此度の体験はあまりにも容量オーバーだ。


 面会が許されて以降、毎日献身的にお見舞いに来てくれた家族と世里花の存在が尋の心の支えであった。しかし、本当の意味での救いには足りない。


 生還後の尋は、再会を心から望んだ世里花とさえ上手く言葉を交わすことが出来なかった。気が緩み、世里花に残酷な真実を告げてしまいそうになるからだ。世里花はきっと尋の言葉を信じてくれるが、だからこそ、大切な友人達が残酷な形で命を落したのだという真実を話すことはどうしても許せなかった。


 尋の側からは表情でしか意志の疎通の叶わぬ、もどかしい日々が続いた。


 発見から一週間以上が経過し、順調に傷が回復してきた頃。尋に運命の出会いが訪れる。


「あなたが深海尋くんね」


 病室を訪ねてきたのは、心理カウンセラーの霧崎きりさきを名乗る若い女性であった。驚くべきことに彼女は、霧崎は表向きの名であり、自身は政府の特務機関「怪奇かいき事象じしょう特別とくべつ対策室たいさくしつ」に籍を置く、捜査官の美岡みおか咲苗さなえであると早々に告げた。

 対策室の調べで、この地域に伝わる鬼や神隠しに纏わる伝承についても咲苗は把握している。尋たち五人の身に何が起こったのかについて、ある程度は見当もついていた。


 捜査官としてすでに何度も似たような事案に関わっていた咲苗にとって、衝撃的な体験をしたであろう少年の心中は察するに余りあるもの。早々に本名を明かしたことは、彼女なりの誠意の表れであった。平気な顔して嘘をつこうとする大人に、少年が本当の意味で心を開いてくれるとは思えないからだ。


「辛かったよね」


 真実を言ってもきっと誰にも信じてもらえない。だけど、内に秘めておくにはあまりに辛い残酷な真実の数々。この一週間、尋がどんなに辛かっただろうと思うと、咲苗は自然と涼の体を優しく抱きしめていた。


「俺は……」


 それまでは表情に警戒心を宿していた尋だったが、一瞬呆気に取られたような顔になったかと思うと、次の瞬間には一週間振りに沈黙を破り、右目からは一筋の涙が伝い落ちていた。


 もう限界は直ぐそこまできていた。この人なら事情を理解してくれるはずだ。もう我慢なんかしなくてもいい。

 自分を理解してくれる人が現れたことが心の底から嬉しかった。例え事情に精通した人物だったとしても、無遠慮に質問攻めをしてくる人間相手だったなら、こうも素直に口を開くことは出来なかっただろう。優しく受け止めてくれた咲苗だからこそ尋は心を開けたのだ。


「泣いてもいいんだよ。泣くことは決して恥ずかしいことじゃない」

「俺は……」


 ため込んでいた感情を爆発させるかのように尋は号泣した。

 友を救えなかった激しい後悔。

 友が友を殺めるというあまりにもショッキングな体験。

 友の仇を討つため、元の世界に生還するために、人間を辞める覚悟を求められたこと。

 覚悟を決めていたつもりでも、いざ怪物を殺したら、人でなくなってしまった自分の存在に強い畏怖を覚えてしまったこと。


 問われるまでもなく、自身の感じていた不安や後悔が次々と口をついていく。


 今は尋の思いの丈を、大人として全てを受け止めてあげることが何よりも大切だ。

 咲苗は自分からは決して質問はせず、震える尋の手を優しく握りながら、言葉の一つ一つをしっかりと聞いてあげた。


 話疲れた尋が自然と眠りにつくまで、咲苗はずっと側にいてくれた。

 

「また来るからね」


 ※※※


「退院したら何か食べたいものとかある? お姉さん、何でも奢ってあげちゃう」

「直ぐにはピンと来ないな。退院までに考えておく」


 咲苗はそれからも毎日尋の下へと通い続けた。

 自分からより詳しい事情を尋ねるのは、尋の気持ちの整理がついてからにしようと、まずは他愛のない会話で距離感を縮めていった。


「こんにちは、霧崎さん」

「こんにちは、志藤さん。今は学校帰り?」

「はい。こうして尋とまたお話しが出来るようになって、私、とても嬉しくて。霧崎さんのおかげです」

「私は大したことはしてないわ。尋くん自身の心の強さあってこそよ」

「それでも、そのお手伝いをしてくれたのはやはり霧崎さんです。本当に感謝しています」

「あなたのおかげでもあるわ。彼の一番の心の支えは、きっとあなただから」


 同じく毎日のように尋の下へと通う世里花と顔を合わせる機会も増えた。

 世里花に対しては表の顔である心理カウンセラーの霧崎さんで通している。一般人に対して「怪奇事象特別対策室」の存在を知られるわけにはいかないからだ。


「尋、お見舞いに来たよ」

「別に毎日じゃなくてもいいんだぜ? 学校からここまで少し遠いだろ」

「私が来たいから来てるの」


 この頃になると、抱え込んでいた複雑な感情を咲苗に受け止めてもらうことで、尋は世里花と平常心で会話が出来るようになっていた。心理状態は確実に改善へと向かっていた。


 ※※※


「全てを話すよ」


 咲苗と出会ってから二週間ほどが経った頃には、尋も覚悟を決めたようであった。

 これまでは感情的、断片的にしか語れていなかった神隠し事件について、残酷な事実からも決して目を背けず、より詳細な経緯を、自分なりの言葉で咲苗へと語り聞かせた。

 咲苗たち「怪奇事象特別対策室」は文字通り怪奇的な事案について対処する部署。事件の詳細を伝えることは、同じような悲劇を繰り返さないことにも繋がるはずだ。

 ある程度は自身に起こった出来事を客観視できるようになったのだろう。13歳の少年とは思えぬ程、尋は終始冷静であった。


「俺の力、咲苗ちゃんたちの組織の活動に役立てれないかな?」

「確かに近年、ファントムの目撃情報は増加傾向にある。戦闘能力を有する人材は希少だけど……だからといって」


 調査室の捜査官としては、ファントムと戦える人材は喉から手が出る程ほしい。それは上層部とて同じことだろう。しかし、一人の大人としては、僅か13歳の少年に対し、命を賭して異形の怪物と戦う修羅の道を歩ませることなどしたくはないというのが本音だ。非情になりきれない咲苗は、捜査官としては失格なのかもしれない。


「俺が力を得たことにも、何か意味があると思うんだ。烏天狗は人でなくなる覚悟が必要だと言っていた。事実、俺はもう普通の人間でないことを自覚している。けど、俺が深海尋であることには何ら変わりはない。深海尋らしさってのは、誰かのためにこの力を使うことだと俺は思う。だから頼むよ咲苗ちゃん。咲苗ちゃんの仕事を、俺にも手伝わせてくれ」


 夜光市で謎のダークヒーロー「レイブン」の噂が囁かれるようになったのは、神隠し事件から約一年後のことである。


 ※※※


「檜葉ちゃんとの出会いも、あの事件だったね」

「当時はまさか、捜査官殿と協力してファントム絡みの事件を追うことになるとは思っていませんでしたよ」


 神隠し事件当時、尋を発見した際の状況を聞きたいからと、咲苗は第一発見者である檜葉と顔を合わせている。この時点ではまだ檜葉は対策室とは関わりのない一警察官に過ぎず、咲苗とも事務的に報告を交わしただけであった。

 檜葉が本格的に「怪奇事象特別対策室」と関わりを持つようになるのは、もうしばらく後の話だ。


「いつも迷惑ばかりかけてごめんなさいね。対策室がもっと大っぴらに動ければいいんだけど、ファントムの存在が露見することで発生する社会的な混乱を考えると、どうしてもね」

「それぐらい分かっていますよ。板挟みも楽じゃないが、恒久平和のために必要な以上、これからも協力は惜しまないつもりです」

「檜葉ちゃんのそういうところ、嫌いじゃないわよ」

「茶化さないでください、捜査官殿」


 檜葉は苦笑交じりに、コーヒーの入ったマグカップを口元に近づけたが、


「大変です檜葉さん!」


 突如として署内が慌ただしくなり、後輩刑事である貴瀬たかせが血相を変えて駈けこんできた。


「何があった?」

「女性の遺体が見つかったとの通報が。現場の状況から考えて、例の児童公園の殺人と同一犯の可能性があると」

「みすみす新たな犯行を許してしまうとは……車を回してこい。俺らも現場に向かうぞ!」

「分かりました」


 捜査関係のお客様という扱いになっている咲苗に会釈を残し、貴瀬は車を取りに駐車場へと駆けていった。


「都内で十年前に発生した連続殺人に手口が似ているという例の事件よね?」

「まだ確定ではありませんが、同一犯の線が濃厚というのが捜査本部の見方です。何か捜査官殿の気になることでも?」

「未解決のままとなっている十年前の事件は、切り裂きジャックを模倣したものだったでしょう? 切り裂きジャックといえば有名な都市伝説でもあるから、少し気になって」

「流石に考えすぎでは? 現在発生している事件は猟奇的でこそあれ怪奇的ではない。間違いなく人の手で引き起こされた、一応は人為の範疇はんちゅうに治まった事件ですよ十年前の現代の切り裂きジャック事件も然り。あれに関しては、夜光市ではなく都内で起こった事件ですし」

「混乱させるようなことを言ってごめんなさいね。何でもそういった方向に結びつけてしまうのは、きっと職業病ね」


 ある種の願望も混じっていたのかもしれない。

 少なくともこの時点で、ファントムの存在を疑う材料など皆無だったのだから。


 しかし、異常の訪れなど、いつだって唐突なものだ。

 この事件の裏にもまた、一人の人間の心の闇と、異形の怪物ファントムの存在が深く関わっていた。

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