切り裂きジャックの再来編

1 現代の切り裂きジャック事件

「すでに報道等で知っている人も多いでしょうが、昨日、市内で殺人事件が発生しました」


 五月十一日の朝のホームルームは、担任教師の東端ひがしばた倫敦ともあつの、緊張感漂う一言から始まった。東端の言うように報道等ですでに事件を把握している者が大半のため、生徒達はそこまで驚いた様子は見せていない。


「現在のところ犯人は不明。犯行の手口から、先月児童公園で発生した殺人事件と同一犯の可能性が高いとのことです。詳しいことはまだ捜査中とのことですが、いわゆる無差別殺人の可能性も考えられるため、近隣の教育機関は児童、生徒の安全確保に留意するようにと要請が警察側からもありました。これを受け朝の職員会議で、当面の部活動および委員会活動を休止、放課後は速やかに生徒を下校させることに決まりました」

「まじかよ、大会近いのに」

「最悪」


 これを受け、部活動に精を出している生徒を中心に不満の声が上がった。

 自分達にまるで非がない状況での活動休止だ。納得いかない気持ちも分かるが、生徒の身の安全を第一に考える学校側の決定はもっともだし、一教員に過ぎない東端に文句を言うのもお門違いというものだろう。


「みんな静かに、まだ先生の話の途中だよ」


 学級委員長でもある契一郎けいいちろうの一言でとりあえずその場は静まった。基本的には物分かりの良い生徒の多いクラスだ。思わず感情を漏らしてしまっただけで、仕方がないことなのはちゃんと理解している。


「強制ではありませんが、安全のため不要不急の夜間の外出も控えるように。夜間に外出する際は保護者同伴での行動が望ましいですね。ご迷惑をおかけしてしまいますが、生徒諸君の安全は何よりも優先させなくてはいけません。ご協力をお願いいたします」


 少々堅苦しい印象だが、東端が生徒思いの優しい先生であることはみんな分かっている。誰も東端を困らせたくはない。不意に感情を漏らしてしまった先程とは違い、今度は誰も不満を口にはしなかった。


「早く犯人捕まるといいな」


 静かにに発した女子生徒の呟きに、多くの生徒が頷いた。

 早く犯人が捕まれば心置きなく部活動に励めるし、外出に神経を使う必要もなくなる。

 楽しい高校生活、そして何よりも公共平和のために、夜行警察署には早く連続殺人犯の身柄を確保してもらいたいものだと誰もが思っていた。


「例の事件さ」

「最初の事件がうちの近所で」


 昼休みに入ると、生徒間は連続殺人の話題で持ち切りだった。

 刺激的な内容故に報道ではぼかして伝えられているが、二つの事件は遺体の損壊を伴う猟奇殺人だったとされている。地元故に、遺体発見時の状況等、報道では詳細が伝えられていない部分の話題も、一部の情報通を中心に飛び交っている。

 刺激的な話題に敏感な高校生という年代だ。地元で発生したセンセーショナルな事件に興味を引かれてしまうのは、不謹慎ながらも仕方のないことなのかもしれない。


「どこもかしこも、話題は共通か」


 紙パックのお茶を啜りながら、尋が背もたれに腕をかけて教室内を見回す。

 少し聞き耳を立てれば、どこかしこから事件の話題がBGMとして聞こえてくる。

 この話題を口にしたくなる気持ちは分からないでもないが、周りにあまり迷惑をかけるのはよろしくないなと、尋は目を細める。


「食事中にこういった話はちょっとね……」


 食欲が減退しているのか隣の世里花せりかの食事ペースはいつもより遅く、昼食のツナサンドはまだ三分の一程度しか食べ進めていない。

 殺人事件というだけでも食事中の話題には相応しくないし、それに加えて今回の事件は猟奇殺人だ。話し手のテンションが上がっているのか、意識していなくても「切断」だの「内臓」だの言うワードが時折耳へと飛び込んでくる。

 誰しもがそういった話題が平気なわけではない。当然、世里花のように気分を害する者だって出てくるだろう。


 こういった場合、普段なら契一郎が気を遣ってそれとなく、声の大きな生徒に注意してくれたりするのだが、放課後の委員会活動が休止となったため、当面の活動内容の確認のため早々に席を外してしまった。世里花と仲の良い鴇田ときたかえでも似たような理由(彼女の場合は所属する部活関連)で教室におらず、珍しく尋と世里花の二人だけで昼食を摂っていた。


「しょうがない奴らだな」


 見かねた尋が静かに席を立ちあがり、一際声の大きな男子グループへと近づいた。

 周りの様子を見るに、世里花の他にも不快そうな表情を浮かべている生徒は多い。誰かが注意しなくてはいけないだろう。


 尋が、もう少しだけ声のボリュームを落すようにとやんわり指摘すると、それまでは無自覚だったようで、ハッとした男子生徒達は申バツの悪そうな表情を浮かべていた。周りに配慮して男子生徒達の事件の話題も小声となり、状況は一先ず落ち着いた。

 尋は人当りがよく、周りのこともよく見えているため、波風立てず物事を収めることには意外と向いている。


「ありがとう」

「気にするな」


 微笑む世里花の肩に軽く触れてから尋は席についた。

 本当は男子生徒達の話題にも少し興味があったのだが、食事時に相応しくない話題であることに変わりはない。


「ねえ尋、帰りなんだけど」

「いいよ別に」

「まだ何も言ってないよ」

「一緒に帰りたいんだろ?」

「よく分かったね」

「こんな状況だしな。何となく予想はつくって」


 幼馴染として年齢イコールの付き合いがある。四年前の事件で世里花に不安を抱かせてしまった負い目もあり、彼女の感情の機微には尋はとりわけ敏感だ。過保護と言ってもいいかもしれない。


「でもいいの? 尋の家と私の家方向違うし」

「気にするな。ちゃんと家まで送ってやる」

「ありがとう。尋は優しいね」


 面と向かって優しいなどと言われれば流石に照れる。尋は照れ隠しで目を逸らすと、すでに空になっている紙パックを中身が入っているかのように啜っていた。


「やっぱり十年前の事件と関係あるのかな?」

「有り得ないとは思うけど、本当だったら大事だよな」


 尋は耳がいいので、ボリュームを落した後の男子生徒達のやり取りもさり気なく聞き取っていた。


 今回の二つの殺人事件が注目されるのは、決して内容が猟奇的だからというだけではない。十年前に都内で発生した連続猟奇殺人事件と今回の事件とには共通点が見られ、十年前の殺人鬼が沈黙を破り、この夜光市で暗躍しているのではという噂が囁かれていた。それこそが事件の話題が賑わいを見せる一番大きな理由だ。


 現代の切り裂きジャック。

 

 誰が最初に呼んだか知らぬが、十年前の殺人鬼はそのような異名で呼ばれていた。

 切り裂きジャックといえば、十九世紀末のイギリス、ロンドンで少なくとも五人の女性を殺害したとされる殺人鬼の通称だ。現在でも犯人の正体は不明、世界で最も有名な未解決事件の一つといえるだろう。


 十年前の殺人鬼が現代の切り裂きジャックと呼ばれるようになったのは、その犯行内容が本家の切り裂きジャックと大きく類似していたことに由来する。

 十年前、僅か二カ月の間に五人の女性が殺害された。全員に、頻繁に売春行為をしていたという共通点が確認されている。被害者の年齢や殺害順(四名が四十代、最後の一名だけが二十代)、刃物を使い喉を裂いて殺害している点や、犯行後に一部の臓器を持ち去られていた点など、事件内容は本家切り裂きジャック事件を彷彿とさせるものばかりであり、メディアを中心に自然と現代の切り裂きジャックという異名が定着していった。異常者による一世紀以上も前の殺人鬼の再現。そういう意味では、決して的外れな異名ではなかっただろう。


 五人もの犠牲者を出した猟奇殺人でありながらも、狡猾な犯人は徹底的に足取りや証拠を消しており捜査は難航。捜査は現在も続いているが、十年が経って尚、有力な容疑者は浮かんではいない。

 本家同様、真犯人は特定されぬまま事件は迷宮入りの様相を見せている。その結果、現代の切り裂きジャック事件に関しても、その正体を巡って様々な憶測が飛び交うこととなった。


 卓越した頭脳を持つ未成年者による犯行だとする説。

 有力者の身内が犯行に関わっているため、真相を表沙汰に出来ないとする説。

 中には、不死者であった本物の切り裂きジャックこそが真犯人であるという、とんでもない説まで飛び出した。


 現実的な内容から荒唐無稽なものまで、多種多様な噂話の数々。

 現代の切り裂きジャックの存在は、半ば都市伝説と化しつつあった。


 そんな現代の切り裂きジャックが、十年の時を経てこの夜光市に現れたと噂する者がいる。

 その根拠とされるのは、先月児童公園で発生した一件目の殺人事件。被害者の女性は全身の裂傷に加え、腹部を巨大な杭で串刺しにされて息絶えていたとされる。

 

 本家切り裂きジャック事件の被害者は五人とされているが、切り裂きジャックの犯行とは断定出来ないものの、その可能性が推察される事件が複数存在する。


 児童公園の事件の手口は、五件目の殺人の後に起こった、仮に切り裂きジャックの犯行とするならば六件目の殺人にあたる事件の内容と酷似している。

 つまり、現代の切り裂きジャックが活動を再開し、最初の五件だけではなく、不確定ながらも切り裂きジャックの関与が疑われる、残りの事件の再現まで始めたという解釈が成り立つのである。

 無論、それだけでは根拠は弱い。ただの偶然という可能性も大いにある。この時点では一つの仮説として、一部の者達が吹聴していただけだったが、昨日二つ目の殺人が発生したことで潮目は変わった。


 まだ不確定の情報だが、昨日起きた事件の被害者は、下半身を刃物で滅多刺しにされた状態で発見されたという情報が一部で出回っている。仮にそれが事実であるとすれば、本家の、仮に切り裂きジャックの犯行とするならば7件目の殺人にあたる事件と内容が酷似している。


 一度ならず二度までもとなれば、現代の切り裂きジャックが活動を再開したという仮説は、真偽はどうあれ、よりいっそうの賑わいを見せることだろう。埋もれかけてきた現代の切り裂きジャックの話題は、再び世に羽ばたくのだ。


 もちろん、十年前の殺人鬼本人が暗躍しているという証拠は何もない。

 十年前の殺人鬼に憧れを抱く模倣犯という可能性もあるし、それこそ単なる偶然かもしれない。事件の詳細が公表されていない以上、遺体の状況なども作り話であるという可能性だって否定は出来ない。

 

 しかし、そんなことは些末な問題に過ぎない。

 連続殺人は一大事に違いないが、現代の切り裂きジャック本人だろうと、模倣犯だろうと、そもそも関連性のない単なる偶然だろうと、あくまでも人間の犯行、人為の範疇であればまだ話はシンプルだ。

 問題なのは、それらの話題が都市伝説染みた形で、この夜光市で吹聴されつつある現状そのものだ。

 

 ――妙なことにならなければいいが。


 この夜光市で都市伝説染みた話題が吹聴される。その意味は大きい。

 ファントムを狩る者として、尋は不穏は気配を感じ取っていた。


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