7 未来を切り開く

「色がついている?」

『感心している場合ではない。直に鬼も追いつく』


 じんは強靭な木の幹を盾にしながら、森の中の開けた一角に佇む神社の境内の裏手へと脱出した。

 不思議なことに、自身の体以外全てが灰色だと思われていた世界において、社殿を中心とした神社の境内だけは、現実世界同様に色彩鮮やかであった。


 正面へ回り込んでみると、その外観はやはり、現実世界で黒い霧に襲われたあの神社によく似ている。ただし、今目の前にある神社には経年劣化は見られず比較的新しい建造物のようにな印象を受ける。まるで過去の神社がその場に存在しているかのようだ。


 謎の声の言うように事は一刻を争う。

 入口は施錠はされておらず立ち入りを阻む物は何もない。

 尋は引き戸を滑らせ、社殿の内部へと立ち入った。


「私はここにいる」


 謎の声は脳内ではなく、初めて耳へと直接届いた。

 声がしたのは最奥の、ご神体が祀られている観音開きの扉の向こう側だ。

 覚悟を決めた尋が静かに扉を開帳すると、


「あんたが俺に語り掛けてきた存在なのか?」


 扉の向こうに座していたのは、烏に似た頭部を持つ、山伏やまぶし即身仏そくしんぶつであった。

 ミイラ化してしぼんだ体は小柄な印象だが、その身から放たれる神々しさは健在だ。鬼同様に異形の存在には違いないが、邪悪な気配など微塵も感じられない。


「私の名はからす天狗てんぐ。かつては多くの山々をべっていた者だ。その力も衰え、今や魂の残火でしかないがな」


 即身仏と化した烏天狗の肉体は、呼吸等一切の生命活動を見せていない。

 すでに肉体を操るという段階は超えているのだろう。


「どうして俺達はこの世界に引き込まれた?」

「かの鬼たちの脅威が現世へと及ばぬよう、数百年に渡り我が神通力で押さえつけてきたが、私の衰えもいよいよ顕著なものとなってきてね。近年では完全に鬼を留めておくことが叶わくなった。鬼の放つ邪気が黒い霧となり、現世の人間をさらうようになってしまったのだ。此度の少年たちを始め、現世では神隠しとでも呼ぶべき現象が発生していたのではないか?」


 尋は無言で頷く。真っ先に思い浮かべたのは以前に宏人ひろとが語っていた、写生大会中に失踪したという生徒の噂だ。烏天狗の言う通りだとしたら、あの生徒も鬼に攫われ、この世界に飲み込まれてしまったということなのだろう。もっと過去に遡れば、他にも多くの事例が存在するかもしれない。


「あんたが俺を助けてくれるのか?」

「私にはもうその力は残されていない。問うただろう? 力が欲しいかと。道は少年自身の手で切り開け」

「俺自身が?」


「今の私はとても歪な状態でね。力の一端は残されていながらも、それを扱えるだけの肉体が伴っていない。このままでは宝の持ち腐れだが、それを誰かに継承することが出来るとしたらだろうかな? 並の人間ならば私の力に耐えられぬだろう。しかし、こうして意思の疎通が出来ている君には適性を見た」 


「あんたの力の一端を、俺が受け継ぐ」

「うむ。ただし、強い覚悟が求められるがな」

「あんたが言っていた、人間を辞める覚悟か?」

「異形の怪物と渡り合えるもまた同質の存在のみ。一部とはいえ人の身に烏天狗の力を宿せば、例え姿形は変わらずともそれはもう人間ではない」

「……だけど、何もしなければいずれ俺は鬼に殺される」

然様さようだ。人として死んでいくか、人を辞めて生き抜くか。これは究極の二択だ」

「そんなもの、人間を辞める一択だろう」


 絶対に生きて戻ると誓った。絶対に友の仇を取ると、己の魂に誓った。その両方を叶えられる機会を誰が拒もうか。


「人であろうとなかろうと、俺は深海ふかみじんだ。いいからさっさと俺に力を寄越せ」

「その意気や良し! その豪胆さと強靭な精神。かつての弟子を思い出す」


 烏天狗の声が豪快に弾む。心なしか生気のない即身仏も愉快に笑っているような気がする。


「私の肉体の前に、短刀が奉納されているのが見えるな? それを抜き、私の右手に握らせてくれ」 


 導きに従い、尋は短刀を鞘から抜き、烏天狗にしっかりと握らせた。


「私の最期の大仕事だ。見届けてくれたまえ」

「最期ってどういう?」


 瞬間、空間全体が振動し、烏天狗の握る短刀が青白く発光を始めた。同時に烏天狗の肉体が光の粒子となって徐々に消滅していく。肉体が崩壊し、その身に宿る力が短刀へと流れ込んでいるのだ。


「残された私の力を全てこの短刀に込める。私の肉体が完全に消滅したら、短刀を使って自身の首を裂け。さすれば私の力は少年へと受け継がれる」

「あんたはどうなる?」

「私という個は完全に消滅し、力だけが残ることとなるだろう。安心したまえ、君の人格には何ら影響は及ばさぬ。私という存在は今この瞬間をもって終わる」

「どうして俺のためにそこまで」

「いずれにせよ、私はそう遠からず滅びを迎えていただろう。さすればこれまで押さえつけていた鬼どもが現世へと解き放たれることとなる。そんな時だ、私の声を聞ける少年が迷い込んできたのは。身勝手なのは百も承知だが、私はこの力を誰かに継承することによって、悪鬼を封じる役目を果たしたいのだよ。それが君で良かったと思っている」

「どうして?」

「かつて剣術を教えたわらべに、君は少し似ていてね。少々懐かしい気分に浸れた。そんな君を助けたいと、そう思った」

「烏天狗……」

「そろそろ。お別れのようだ。脅威となる鬼を滅したらその短刀を使って空間ごと切り裂け、さすれば君は現世へと戻れるだろう」

「感謝する」

「さらばだ、少年よ――」


 全身が粒子化し、烏天狗の肉体は完全に消滅。握られていた短刀が落下し、甲高い音を立てた。

 烏天狗から告げられた手順を守らなくてはならない。力を完全に継承するためには、烏天狗の力の宿ったこの短刀で自身の首を裂く必要がある。

 常識的に考えたらそんなことをしたら死んでしまうが、自らの命を賭して生存の道を示してくれた烏天狗の思いを無駄には出来ない。

 神社の境内に荒々しい足音が近づてきた。森の鬼が追いついたのだろう。時間的にも迷っている猶予はもはや残されていない。


「絶対に生きて帰るんだ!」


 迷いを断ち切り、尋は首に当てた短刀を勢いよく引いた。


 ※※※


 社殿から人影が飛び出し、境内へと侵入した灰色の鬼に勢いよく斬りかかる。

 刃は灰色の鬼の胸部を真一文字に裂き、灰色の傷口から灰色の血液が噴き出した。


「今の俺なら殺せる」


 短刀を握る尋の目は真っ赤に血走り、その周辺には血管が浮かび上がっていた。

 飛び散った鬼の灰色の血液は、尋の体へ触れた瞬間に赤色へと変わり、その顔を返り血で赤く染めている。


 自ら裂いたはずの首には、一切傷がついていない。

 尋に適性が無ければそのまま首からの出血で死んでいただろうが、適正を認められた尋は無事、力の継承を成し遂げた。自刃の持つ殺傷性という意味合いは、儀式的行為として意味合いが上書きされたのだ。


 咆哮ほうこうを上げた鬼が怒りに身を任せ、尋目掛けて左の剛腕で殴り掛かる。

 倍近い体格の怪物から放たれる打撃。直撃すれば致命傷は免れないが、尋は臆することなく、僅かに上体の位置をずらすことで擦れ擦れで回避。即、右手に握る短刀で切り上げ、鬼の左手首を落してやった。

 堅牢な印象だった鬼の肉体が豆腐の如く脆い。異形の存在の体をも易々と切断する「今剣イマノツルギ」。技名も使い方も知らぬまま、尋は無意識下にこの技を発現していた。


 片手を失った鬼から人とも獣とも似つかぬ不気味な絶叫が上がる。それは決して弱体化の合図ではない。深手を負わせた怨敵を絶対に殺すという、強い殺意の表明であった。


 殺意の籠った絶叫に呼応し、荒々しい足音を上げて、さらに二体の鬼が境内へと侵入してきた。


「新手か。ちょうどいい」


 鬼が複数体いることは想定内だ。初めて河原で遭遇した鬼、丘陵地で千佳ちかを貪り喰っていた鬼、礫でりょうを殺害した鬼。いかにこの世界が歪んでいるとはいえ、全て同一の鬼だと考えるのは無理がある。


 尋は一切動揺を見せないどころか、思わぬ好機に喜んでさえいた。片手を落してやった鬼は涼の仇だが、それだけでは全ての仇討ちを果たしたことにはならない。相手の方から押しかけてきてくれたことは、尋にとっては好都合であった。


「全員切り殺してやるから、死にたい奴からかかってこい!」


 激しい怒りを込めて吠えると同時に、尋は圧倒的体格差の三体の鬼目掛けて迷うことなく突撃していった。


 ※※※


「終わったよ。みんな」


 全てが終わった頃には、境内に土砂降りの雨が降り注いでいた。

 尋は打ち付ける雨も憚らず荒天を見上げ、亡き友の顔を思い浮かべている。

 戦いを終えたことで闘争本能が静まり、目の周辺の浮き出た血管はとうに治まっていたが、目の赤みだけは一向に治まる気配を見せない。土砂降りの雨の中だ。涙と雨粒とを見分けることは難しい。


 周辺には、切り刻まれた鬼の骸が転がっている。

 怒りの感情は確かにあったが、決して嬉々として鬼を切り刻んだわけではない。驚異的な生命力を持つ鬼は、常識の範疇の致命傷では倒すことが叶わず、全身を切り刻む程激しく攻撃することでようやく殺せたのだ。

 いかに強力な切れ味の技を有していようとも、相手は数と肉体で勝る異形の怪物達。激しい攻防の末に尋の体もボロボロ。辛勝であった。


 腹部に強烈な一撃を受け、体を少し動かしただけでも骨が軋む。

 咄嗟に盾にした利き腕ではない左腕も、折れているのか力なく脱力しており、立っているのがやっとの状況であった。

 痛みに屈せずにいられるのは、友の死を悼む感情の方が強かったためだろう。


「俺は、帰るんだ」


 まだ終わりじゃない。最後の仕事が残っている。

 脅威となる鬼を滅したら、短刀を使って空間ごと切り裂けと烏天狗は言っていた。

 今わの際故に詳細が伝えられることはなかったが、この歪な世界そのものも異形の怪物たちと同質の概念である。

 故に、異形の怪物に対して絶対的な切れ味を発揮する「今剣」は、この歪な世界からの脱出口を切り開くことも可能なのだ。必要なのはただ、脱出の意志を持って尋が短刀を振るうことのみ。


「世里花。待ってろよ」


 尋は最後の力を振り絞って、右手で短刀を水平に薙いだ。

 刀身は何もない空間に真一文字の切り込みを入れていく。

 世界を切り開くという尋の意志を読み取った瞬間、突如として世界が暗転した。


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