ナイト・キッコpart3

「どういうこと?」


「お母さんと、あまり仲がよくないみたいですね」


「……そんなこと、誰から聞いたの?」


「ナイトコーデの職人さん――ナオさんからです」





 ああ、とキッコは口元に影のある微笑を浮かべて、





「まあね。でも、もうそんなことはないよ。何せ、もうこの世からいなくなっちゃったからね、ちょうど一年前の今日に」


「……そうでしたか。……すみません」





 勘違いで失礼なことを訊いてしまった。謝ると、キッコはいやいや、と微笑んで、





「……うちの母親、すっごくマジメでねぇ。ボクとはなんにしても反りが合わなかった。だから家にいるのがイヤだったし、街を歩くのもイヤだった。母親は立派なのに……って、そんな小言ばっかり言われるからさ」


「でも、キッコさんは今、ナイトの役職者じゃないですか」


「プリンセスのためだよ。プリンセスのために、ボクは頑張った」





 この努力だけは、誰にも笑わせない。そう意地があるように、キッコは言葉に力を込めた。が、小さく溜息を溢して、





「でも、それももう終わり。プリンセスはもういないし、家族もいない。だから、この国を出る。それだけだよ」


「それだけって……あなたはナイトの役職者なんですよ。そんな無責任なことをしていいんですか?」


「ボクから無責任を取ったら何も残らないよ。っていうか、責任なんて果たしたところで、どうなるの? どうせもうプリンセスは帰ってこないんだし」


「帰ってこない……? ハートを集めて一つにすれば、プリンセスは復活するんじゃないんですか?」


「誰がそう言ったの?」


「チナツさんが……」





 キッコは馬鹿にするように鼻で笑って、





「復活なんてしないよ、プリンセスはもう死んじゃったんだから。君は先せんせ――ルークに騙されてるんだよ」


「チナツさんに……? いや、でも、どうしてそう――プリンセスは復活しないと言いきれるんですか? あなたたちは、ハートのカケラを集めたことがないんですよね?」


「あ、バレた?」


「ふざけないでください」


「ごめんごめん、あはは」





 いい加減にはぐらかすキッコに、アキラはムッとする。





「キッコさんもきっと、ハートを手放してプリンセスと別れることになるのが怖いんでしょう? でも、だからってそれを独り占めしていたら、いつまでもプリンセスは復活できません。お願いします、あなたの持っているカケラを渡してください」


「そんなこと、急に言われても困るよ」


「まだ胸に刺さり続けているからですか? それなら大丈夫です。アヤネさんも、もうすぐ抜ける気がするって言ってました。だから、キッコさんだって――」


「絶対イヤ」





 強い声で、アキラの言葉は遮られた。





「もう、あの国にはいたくない。あそこはもうボクの居場所じゃないんだ。暗くて辛いことばっかりで、これ以上あそこにいたら、ボクは絵が描けなくなる。ボクはもう……仲間を殺したくなんてないんだよ」


「仲間を……?」


「聞いてないの? ミナミ――ポーンを殺したのは……ボクだよ」





 その口元に自嘲めいた笑みが浮かぶ。アキラは呆然としながら、





「ポーンを……? いや、でも確かチナツさんは、『ポーンは病死した』って……」


「最期はね。でも、きっかけを作ったのはボク」


「きっかけ?」


「ポーンは……革命を目論んだんだ」


「革命……!? ポーンの役職者が、ですか?」





 そう、とキッコは遠い目で沼を眺める。





「今のクイーンには何もできない。いやむしろ、クイーンのせいで大勢の人が苦しんでる。ポーンはそう考えて、プリンセスを――魂を失ったこの国を破壊しようとしたんだ。だから、ボクはそれを止めなくちゃいけなかった。役職者としてっていうよりは……一人の幼なじみとしてね」





 食べる? とキッコはこちらへクッキーを勧めてくる。断ると、それを包み紙で大事そうに包み直し、リュックへしまいながら、





「ボクはポーンの胸から、希望の塊であるハートのカケラを取り去った。そしたら、ポーンは人が変わったように抜け殻になっちゃってさ……。そのうち暗霧病にかかって、あっという間に死んじゃった。だから、ほとんどボクが殺したようなものなんだよ」





 キッコの微笑が、痛々しい。





 違う。この人は無責任なんかじゃない。自分はこの人を誤解していた。そう気づかされ、アキラは言葉を失う。しかし、キッコはあくまで微笑を絶やさずに、





「解るでしょ? もう、この国は終わっちゃったんだよ。普通なら、ポーンがいなくなったら後継者が選ばれなくちゃいけないのに、それができるプリンセスがいないから、もうしばらくその役職は空位のままだしさ。それに話によると、ポーンの部下たちが遺志を継いで、近々革命を起こそうとしてるみたいだよ」


「え? そ、そんな……! じゃあ、やっぱり今こそみんなで力を合わせないと! じゃないと、本当にこの国が……!」


「もういいんだよ。ポーンは間違ってなかったんだ。もうこれ以上、みんなも我慢できないんだよ」





 溜息混じりに、キッコは言う。





「だから、ボクも出ていく。遠くに行けば、今よりは楽しく生きられる……。ノンビリしていれば、この痛みも消えてくれるはずだから……」





 キッコは、その胸を両手で押さえながら俯く。





 孤独な姿だった。孤独に痛みを耐えるその姿を見ていると、こちらまで胸が痛んでくる。





 アキラは慎重に言葉を選んで、言う。





「その気持ち、少しだけ……ほんの少しだけ、解る気がします。私、さんざん偉そうなこと言ってますけど……そういう私自身、一度、痛みから逃げたんです。学校という場所から……それまでの自分の生活から」


「神人の、アキラが……?」


「はい。私は自分の居場所から本当に逃げて……そんな私にまた居場所を与えてくれたのがプリンセスでした。でも、ダメなんですよ。もし、キッコさんがここからずっと遠くまで行って、そこに理想の居場所を見つけたとしても……今、そこにある痛みからは逃げられないんです。というか、逃げれば逃げるほど、その痛みは強くなると思います」





私もそうだったので、とアキラは苦笑して、





「確かに、逃げることが必要な時もありますよ。全く手の打ちようもない時とか、勝ったところで何も得をしない時とか……そういう時はさっさと逃げるべきだと私も思います。でも、まだ少しでも可能性があるなら……向き合い続けるべきなんじゃないでしょうか」


「……アキラは、ちゃんと向き合ったの?」


「はい、プリンセスに励まされて。そうしたら、拍子抜けするくらいなんともありませんでした」


「そんなのズルいよ。君にはプリンセスがいてくれたんでしょ? でも、ボクには誰もいないもん」


「本当に? キッコさんは自分の周りをよく見てみたんですか? 気づかないだけで、あなたのことを心配してる人が、あんがい傍にいるかもしれませんよ」


「いないよ、そんなの。みんなボクのことを邪魔者みたいに見るし……それに、むしろこっちから願い下げだよ。ボクの周りに、ボクの運命の人なんていないからね」


「運命の人?」


「うん。背はボクより高くてさ、ボクほどじゃないにしろ、まあまあ強くて……何より女の子に優しい人。ボク、将来はそういう人と結ばれるって決めてるから」


「へぇ、それは割と俺――じゃなくて」





 ふと、アキラ(男)が現れてしまった。アキラ(女)は小さく咳払いして、





「え、ええと……大丈夫、全然高望みじゃないし、それくらいの人なら傍にいるはずです。大丈夫、なんとかなります。あなたことを誰より心配して、応援してくれる人はきっといます。いま国を見捨てることは、その人を見捨てることにもなる。そう思いませんか」


「それは……そうだけどさ」





 キッコは膝を抱え込むようにしながら、いじけるように上目遣いでこちらを見つめてくる。





――可愛い。





 思わず内心、呟く。





 カンテラの明かりを反射して、その緑色の瞳はどこか潤んでいるようにも見えて、その儚げな瞳で見つめられると、自然と胸が高鳴る。





 膝で押し潰されている大きな胸のふくらみにも、白い二の腕にも、プリーツスカートから伸びる白い太ももにも、思わず視線が吸い寄せられる。





 『運命の人』などという話をされたせいか、キッコといると、眠りに就いていたはずの男がなぜか呼び覚まされる。そんな感覚を覚えながらも、アキラは必死にそれに抗う。





 ――俺にはクルミがいるんだぞ! 冷静になれ!





「だ、大丈夫、なんとかなります! 今が一番辛い時です。もうすぐ、あと少しでぜんぶ大丈夫になります。そして、そのためにはあなたの力が必要なんです」


「ボクの力が……?」


「だって、あなたにナイトの役職を与えたのはプリンセスなんでしょう? プリンセスは、あなたなら、と思って任せたはずです」


「そう……だと思うんだけどね。でも、ダメだったんだよ。ボクは、プリンセスの期待に応えられなかった……」





 再び、キッコは俯いてしまう。





「期待って……?」


「それは……まあ、ルークが今アキラにさせようとしてることと同じなんじゃないかな」





 つまり、プリンセスを復活させることか? アキラは尋ねようとするが、





「でも、そうはさせない」





 キッコはリュックの中に手を突っ込み、闇の中でも輝くピンク色の宝石――プリンセスのハートのカケラをそこから取り出す。





「それは……! キッコさん、胸から抜けていたんですか?」


「抜けたんじゃない。取ったんだよ」





 と、キッコはブラウスをたくし上げ、その胸を見せる。





 下着で持ち上げられた胸の双丘の間には、肉をえぐり取ったような穴があった。そしてその周囲には、剣で切ったらしい傷痕が、生々しくミミズのように盛り上がっている。





キッコは寂しく微笑して、





「痛いけど……カケラが刺さってた頃よりは随分マシになったんだよ? でもさ、もうこれを抜き取って一年以上経つのに、ぜんぜん傷痕が埋まってくれないんだ。穴が塞がってくれないんだよ」


「…………」





 絶句して、言葉が出ない。キッコはブラウスを下ろして、





「この傷痕が埋まらないのは、たぶんボクがプリンセスの死を受け入れられていないから……。だから、これはもう――」





 キッコが、ハートのカケラを振り上げ、それを沼へと投げ捨てた。

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