ナイト・キッコpart2

 感触は早かった。





 西北西の方角へ伸ばしていた手が、ぷつっと何か刃物のようなもので切られたような感触。痛みはなくとも確かにそれを感じて、アキラは『風の手ウィンディ・ハンズ』を一旦解き、その方向へと――道を逸れて草原の中へと駆け出す。





 どうやら朝を待つ作戦でいたらしく、ナイトはさほど遠くない。それには安堵しながら、しかし再び『風の手ウィンディ・ハンズ』を放って前方の注意は怠らない。





と、ほどなく、数十メートル先でぽっと小さな明かりが灯ったのが見えた。その傍には一人の人物が身構えるでもなくぼんやり立っていて、こちらを見ている。それどころか、





「おーい、こっちこっち。こっちだよ~」





 と、なぜかアキラを手招きする。





その声には全く刺々しさがないが……何を考えているのだろう? アキラが警戒しつつ傍へと行くと、





「君は誰? 会ったことない人のような気がするんだけど……っていうか、今この国にそのコーデ着る人なんていたっけ?」





 金髪の、前髪を揃えたボブカット。身体の線は細いが背は高くなく、それでいて胸はそれなりに大きく張り出している。カンテラの明かりを受けて輝く瞳は明るい緑色で、その顔には好奇心でワクワクしているような笑みが浮かんでいる。





 どこにでもいそうな、高校生くらいの少女だった。





 だが、その身に纏っているのは間違いなく、『ポップナイト・エンジェリックドリームコーデ』。ナイトの最上位コーデだ。





 黒地に淡い紫色のグラデーションが上から下へと入り、胸の中央には星と翼が飾りつけられたブラウス。ひだの中身が明るい紫色の、黒のプリーツスカート。太いベルトは明るい黄色で、ブーツは明るい紫色のロングブーツ……。





 ――間違いない。この人が『ナイト』……『ナイト・キッコ』だ。





やや距離を保って警戒しながらも、アキラは強い違和感を覚えていた。あまりにも緊張感がなさ過ぎる。本当に、この人は『脱走』をしてここにいるのか?





それを確かめるため、アキラはあえて単刀直入に尋ねた。





「私は、あなた方が『神人』と呼ぶ存在です。あなたの持っているハートのカケラを回収しに来ました」


「神人……? 君、神人なの?」


「とぼけないでください。そんなことはもう知っていて、私がハートのカケラを奪いに来ると思ったから、こうして逃げているんでしょう」


「え? 違うけど?」





 キッコはその円らな目をパチパチさせて、





「だって、ボクは全然、君がいるなんて知らなかったし。なんとなくイヤな予感がしてたっていうのはあったけど……神人様が来てるなんて知ってたら、むしろ君に会いにいってたよ。出発なんて明日か明後日にずらしてさ」


「出発……? どこに、ですか?」


「どこ? どこっていうと、そりゃまあ、世界の果てってやつ……かな?」





 キッコは顎に手を当て、気取った微笑を浮かべて言う。





「世界の果て……?」


「そう。ボク、画家になるから」


「が、画家?」


「それと詩人」


「詩人……?」


「そう。ボクは画家で詩人。だから、旅に出る。魂から溢れ出る創作へのパッションっていうのかな? そういう系のアレがさ、もう止められないんだよね」





 ポカンと言葉を失う。しかし、キッコは本気らしい。誇らしげな顔で言って、一人でうんうんと頷いている。つとこちらへ目を向けて、





「ところで、そのコーデ、それ着てる人を見るのは久しぶりだよ。やっぱりいいよね、そのコーデ。っていうか、ナイトコーデは全部いいんだけどさ」


「はあ……」


「でも、さっきの話ってホントなの? 君が神人っていう話。ホントなら凄いじゃん」





 一人でよく喋る。アキラは圧倒されてしまいながら、マイキャラクターカードをキッコに見せる。





「へえ、ホントじゃん。凄い凄い。神人様が来るなんて何年ぶりかな? っていうか、ボク、神人様と話すのなんて初めてだよ。ねえ、握手してよ、握手。友達になろうよ」





 こんなに軽いヤツが役職者で、この国は大丈夫なのか? いや、大丈夫じゃなかったのか。握手をした手をぶんぶん上下に振られながらアキラはそんなことを考えて、





 ――いや、このペースに呑み込まれてちゃダメだ。





 と、宿で帰りを待っているかもしれないクルミを思い出しながら、キッコから手を引く。





「あの……画家と詩人になるための旅を止めはしません。ですが、ハートのカケラは返してください」


「まあまあ、座りなよ。お茶もあるよ、お菓子もあるよ。大事な旅の食料だけど、神人様だから特別にあげちゃうよ。あ、ところで、君の名前はなんていうの? ボクはキッコ、よろしくね」


「私はアキラです。けど、私の名前なんて今はどうでもいいんです。お願いします。今すぐカケラを渡してください」


「イヤだと言ったら?」


「当然、無理矢理にでも奪い――」





 見えなかった。





 いつ剣を抜いたのか、そもそもどこから抜いたのか……。





 気づくとキッコがアキラの顎の下からこちらを見上げていて、アキラの喉元には一振りの剣がそっと冷たく当てられていた。





ナイトは冷たい微笑を浮かべて言う。





「やめようよ。こんなことしたって誰も楽しくないんだから。ボクだって、神人様をボコボコになんてしたくないよ」





 ナイトはスッとアキラから離れ、その剣を――ゲームに出てくるような細身の西洋剣をその手から『消す』。





 ふわりと風になって溶けていくように、まさしく剣は『消えた』のだった。





「さあ、そこに座って。最初で最後なんだから、ゆっくりお話しておこうよ」





 と、キッコは丸く膨らんだリュックの傍に腰を下ろす。





 どうやら力尽くでハートのカケラを奪うというのは無理のようだ。アキラは力の差を受け入れて、カンテラとリュックを挟んでその隣に腰を下ろす。





 すぐ前には、大きな沼がある。沼の水は生臭い。黒い水面はカンテラの明かりを受けて、まるで油のようにねっとりと光っている。





草の上に体育座りをしてそれを眺めながら、アキラは問う。





「……どうして国を出ていくんですか? 画家になるにしても、この国の中でじゃダメなんですか?」


「う~ん……確かに、絵はここでも描けるよ」





キッコはリュックからクッキーを出し、それをアキラに渡しながら言う。





「でも、ボクは世界の果てをちゃんとこの目で見て描きたいんだよね。――あ、ボクの絵、見てみたい?」





 画家になるというくらいなのだから、やはり上手いのだろう。アキラが頷くと、キッコは嬉しそうに鞄からスケッチブックを取り出した。





 受け取って、パラパラと中身を見てみる。描かれていたのは風景画だった。どうやら城壁の上から外の風景を見て描いたものらしいが、





――うわ……。





 お世辞にも上手いとは言えなかった。一言で言うなら、幼稚園児の絵だ。しかし、





「ふっ……どうかな?」





 と、キッコの笑みはなぜか自信に溢れている。





「本当に……正直に言っていいんですか?」


「もちろん。ボク、ゴマすりとか嫌いだからさ」


「じゃあ、言いますけど……あまり上手くないですね。五歳児が描いた絵みたいです」





 えっ? とキッコは心底、驚いたように目を丸くする。





立ち上がり、その大きな胸をムギュッとアキラの背中に押し当てながらスケッチブックを覗き込んできて、





「う、嘘……ボクとしてはけっこう自信あるんだけど。例えば、この辺とか、かなりプリンセスの色の使い方の雰囲気出てるし……って、あ、ごめん。これボクの絵じゃないや。プリンセスの絵だった」


「え? プリンセスの絵?」


「うん。ボクの絵の先生、プリンセスだったんだよね。いつもプリンセスの絵をマネしてたから、これもボクの絵かと思っちゃったよ」


「そ、そうなんですか。ん? いや、ちょっと待ってください! なるほど……! 確かにこの絵、よく見ると凄く雰囲気がいい……! うん、メチャクチャいい! これは最高の絵ですよ!」


「…………」





 じとりと、キッコがこちらを見つめる。





「な、なんですか?」


「これがプリンセスの絵って解ったから、慌ててそう言ってない?」


「いや、そんなまさか。プリンセスの絵が下手だなんて、そんなこと思うはずがないですよ。暗くて見にくいから、ちょっと勘違いしただけです」





 プリンセスは絵が苦手だったのか。その事実は驚きだったが、決してガッカリはしない。むしろ新たな、可愛らしい一面の発見ができて、とても嬉しい。





 本当かなぁ、とキッコは疑った表情でアキラからスケッチブックを受け取り、別のページを開いてアキラに渡し直すと、リュックの向こうに再び腰を下ろす。





 アキラはキッコが開いてくれたページへ目を落として、





「あ……」





 一瞬で解った。





「これは……上手いですね。いや、上手いどころじゃない。凄く上手い」


「そう? やっぱりそうだよね~。――って、言いたいところだけど、別にそんな気を遣わなくていいんだよ。ボクがまだまだってことは、自分でもちゃんと解ってるからさ」


「いや、これは……」





上手い。素人のアキラにはそうとしか言えなかったが、それ以外に表現のしようがない絵である。





 プリンセスが先生と言うだけあって絵柄は似ている。だが、筆の繊細さが全く違う。色使いと曲線の美しさが、まるで光り輝いているように美しい。





「私は好きです、この絵。凄く上手いんですけど、上手いだけじゃなくて、とても優しくて、温かくて……」


「へっ?」





 何かおかしなことを言っただろうか。キッコは妙に驚いたような声を上げる。





「どうかしましたか?」


「いや……君がプリンセスと全く同じことを言うから、ちょっとビックリしちゃった」


「プリンセスと……?」


「うん。プリンセスもそう言って、ボクを褒めてくれたんだよね。その時はさ、なんていうか……もっとドンヨリした暗い絵ばっかり描いてたのに」


「暗い絵……ですか?」





 そう、とキッコは苦笑して、前に広がる漆黒の沼へ目をやる。





「でも、プリンセスに絵を習い始めてからは、そういうのは描かなくなったんだ。明るい絵の面白さを、プリンセスが教えてくれたから……」


「そうなんですか……」


「だけど、プリンセスはもういない。この国にはボクの絵を褒めてくれる人はいないし、僕の夢を応援してくれる人もいない」


「夢って……画家になって、世界の果てを描くこと、ですか?」


「うん」


「プリンセスはその夢を応援してくれたんですか?」


「うん。『わたしも見てみたいから、もし世界の果てに行ったら絵を描いて、それをわたしに見せて』って……。でも、それはもう無理だから……だから、せめてハートのカケラだけでも連れていってあげたいんだよ、世界の果てにさ」





 そういうことか、とアキラは納得しつつも、





「でも、キッコさんがここを出ていく理由は、それだけじゃないですよね?」

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