ナイト・キッコpart1

 パッと目が覚めた。





――夢か……。





 心の中で重く呟きながら、闇を見上げる。





 今の夢は確か五年前、自分がまだ小学生だった頃のできごとだ。





 母はあれ以来、本当に剣道を始めて、どうやら本気で父を倒すつもりで日々練習をしていた。そのおかげで、自分は今ここまで来られた。父に力を認めてもらえるまでになれた。





 母の笑顔が懐かしい。やはり寂しくて……でも、温かい。そんな感傷に思わず浸ってしまいながら、アキラは苦笑する。





 ――俺、母さんと同じことをクルミに言ってたんだな……。





 母は自分の中で、まだ生きている。そして、その母が自分に言っているのだ。今度はあなたの番だ、あなたがクルミの力にならなければならない、と……。





傍のベッドからは、クルミの寝息が聞こえてくる。いつもは空が白み始めてから眠ると言っていたのに、この暗闇の中でもすやすやと眠っている。





が、よくよく耳を澄ましてみると、その呼吸がどこか不規則で、荒い。





 悪夢を見ているのだろうか、それとも体調を崩して熱でも出したのだろうか。そう心配になって、身体を起こして燭台に一つだけ火を灯し、クルミの額にそっと手を置いてみる。





 だが、熱があるわけではない。とりあえず安心して、クルミがこの暗闇の中で目を覚ました時、不安にならないように起きていてあげようと思った、その矢先だった。





ほとほとと窓を叩くような音がした。





風かと思ったが、そうではない。窓の外に、誰かが立っている。





思わずギョッとしたが、向こうから敵意は感じない。隠れる様子もなく、ノックをしつこく繰り返す様子もなく、ただじっとこちらが窓を開けるのを待っている。





燭台を持ってそこに近づくと、そこにいたのは目つきが鋭い一人の女性だった。女性は細く白いストライプが入った黒いスーツ、『クールルーク・エスコートシーフコーデ』に身を包んでいる。





――ルークコーデ……ルークの使いか?





そう気づいて、クルミが起きないようにそっと窓を開く。女性は声を潜めて言う。





「ルークより伝令です。『ナイトが壁を越えて国を脱走した。今すぐ西門へ。』とのことです」


「脱走……!?」


「馬車を用意しています。どうぞご同行を。ルークも今、西門へ向かっています」


「……解った」





 アキラは燭台の火を消し、カードホルダーだけを持って裸足で中庭へ出る。





「クルミも連れてくるようにとルークからは言われているのですが……」


「いや、寝かせておいてあげてほしい。普段から睡眠不足みたいだから」





 そう言って、アキラは女性の後について中庭を出、路地の先で微かに見えている灯りに向かって歩いた。そこでは、二匹の黒い馬に引かれた、キャビンつきの立派な馬車が一台、停まっている。





 アキラがそれに乗り込むと、部屋に来た女性をそこに残して、御者が馬を走り出させた。





 深夜にも拘わらず、御者は容赦なく馬にムチを打って先を急ぐ。





 キャビンは、真っ赤な布張りのソファが設えられた立派な内装だ。だが、石畳の上を回転するのが木の車輪であるためか、天井に頭を打ちそうなほど、とにかく揺れた。





やがて街を出て、郊外の池沼地帯へと出る。





月明かりや星明かりさえもない闇の中、馬を駆らせること十分ほどだろうか、前方に灯りが見えた。





 馬車はそこで――国を囲う城壁の門前で停車する。





 降りると、二人のルークコーデに身を包んだ女性がアキラを待っていた。だが、ルークの姿はない。女性の一人が言う。





「ルークも間もなく到着するでしょう。それから、神人様とルーク、我々二人の四人でナイトの追跡を開始します」


「いや、そんなのは待てない。私ひとりで行くよ」


「え? しかし……」


「ナイトはプリンセスのハートを持ってる。なら、逃がしたらもうここで全部が終わりだ。一秒でも早く追わないと」


「ですが、このような暗闇を一人で進むのは危険です。もし神人様が沼に落ちたりすれば、それこそこの国は……」


「大丈夫。私にはこれがある」





 言って、アキラはカードホルダーから一式のカードを取り出し、





「プリンセスの名の下に、希望のカードよ、内なる力を解き放て」





 呪文を唱える。





 そして、目の前に生じた紋様にカードをセットすると、その身体は瞬く間に黒いショルダーレーシーのトップス、深い紫のアシンメトリースカート、蝶柄の網タイツと黒いハイヒールに――『セクシーナイト・ムーンバタフライコーデ』に包まれている。





「この女子力……『風の手ウィンディ・ハンズ』があれば、周りをちゃんと確かめながら進めるし、それにビショップコーデもちゃんと持ってるんだから、もし水に落ちてもなんとかなるよ」





アキラは女性の持っていたカンテラを取って、既に開けられていた大きな鉄門を出てナイトを追った。





 昨日の疲労に加えて寝不足で、頭も身体も鉛のように重いが、それでも行かなければならない。プリンセスのために、クルミのために、自分のために。





 道はかろうじて存在している。人が四人横に並べるほどの、石畳の道である。





 だが、その石畳は所々が剥げて、そこから背丈の大きい草が伸び上がっている。





 辺りを見回すが、門の灯りと、自分の持っているカンテラ以外に光は見えない。ナイトは既に見えないほど遠くまで逃げてしまったか、それとも追っ手を警戒してじっと闇に潜んでいるのか……。





 ――だとしたら……!





 女子力を浪費したくはないが、やむを得ない。





 アキラはカンテラを足元に置き、瞼を閉じて精神を集中する。そして、





「……っ!」





背中から気を発するイメージで、強く息を吐く。と、旋風のような強い風がアキラの周囲を包み、直後、それらは『風の手ウィンディ・ハンズ』となって四方八方へと散る!





「……いた」





 感触は早かった。

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