Dive11

放課後に僕は教室で読みかけの小説を読んでいた。理由は美術の授業のあと、ケシキが今日は一緒に帰ろうと言ってきたからだ。本日の授業は全て終わっていたので、あとは帰るだけだったがケシキは僕をふくめたクラスメイトが五人ほど残る教室で、僕の二つ前にある儚井の机に座り、なぜか机に書かれたイタズラ書きをずっと見ていた。まるでいままで発見されることのなかったダヴィンチの絵画でも見るように机を観察している。何が書かれているのか気になって覗いてみようと思ったが、その背中はなんだかそうすることを拒否しているように見えたので早々にあきらめた。帰っても特にすることがない僕としては、読みかけの小説を読みながらケシキが帰ろうとするのをただ無言で待つことにしたのだ。小説内の主人公がターゲットの恋人に接触したあたりで顔をあげ、教室を見回すといつの間にかついさっきまでいたはずの4人のクラスメイト達はおらず、教室内は僕とケシキの二人だけになっていた。いつからだったのか気づくとケシキは僕の方を向いていた。




「むかしの本を随分真剣に読んでるわねレンガ。面白いのそれ?」




「まぁまぁかな。2007年の本」




「そんな古い本をデータじゃなくてわざわざ紙媒体で買う理由はなに?」




「1981年までさかのぼって自分で読みたいと思うジャンル、それと自分の好きな単語と、あるキーワードをデータ化して、ヒットした作品をオークションで買ってるんだ。ちょうど今2009年まできたとこ」




「相当な暇人ね」




「僕が作った僕だけが楽しむためのくだらない遊びだよ」




「本が好きなの?」




「本というか物語かな。物語に嘘はないから」




「物語にだって嘘はあるじゃない。読み手を騙す描写がある」




「確かにそうだね。でもそれは人を楽しませたり、ドキドキさせることが前提の嘘だ。物語に人を不幸にする嘘は1つもないよ」




「変な理屈」




「そうかな?」




「じゃあもし明日からこの世界で全ての物語が禁止されたらどうする?」




「死ぬことはないと思うけど、この世界にいたくなくなる理由がさらに一つ増えるかな」




「それでも隠れて読み続ける?」




「手元にあればきっとそうするんじゃないかな」




「見つかったら火炙りで公開処刑なら?」




「だったら蛍光塗料を使って部屋の壁全体に、お気に入りの一冊を書き込む。寝る時に部屋の明かりを消すだけでいつでもその本が読める」




「フフフッ 物語に取り憑かれてしまった人間の末路って感じ」




「物語が禁止された世界ではそれが新しい本の読み方になってるかもね」




「じゃあもしこの世界に一つだけ大嘘つきの国があったらどうする?」




「その大嘘がどんな嘘なのかがわからないことにはなにも言えないよ」




「その国にいるのが嫌になるような大嘘」




「話が少し壮大すぎて想像できないかな」




「そう? すごく単純な話だと思うけど。私がもしその大嘘がいっぱいに詰まった箱を見つけたら、中に手を入れてできる限りかき回して、最後にその箱を開けてみんなに見せる」




「じゃあ僕はもしその箱からケシキの腕が抜けなくなったら、引き抜くのを手伝うよ」




「なんだかカッコ悪いし、かなり情けない光景が浮かぶ」




ケシキはそれからしばらくなにも話さずに、窓から空を見つめていた。気づけば空はオレンジ色と薄い赤で埋め尽くされていた。その瞬間、なぜだかいつも目に入ってくるなんてことないそれらの風景が、まるで起こるはずのない奇跡のように見えた。ケシキに甘えるように教室に入り込む赤光。ケシキの横顔の先にある夕焼け。異様な形で教室中に広がる机と椅子の影。僕はただ一瞬だけ完成したその光景だけを、死ぬまで記憶の底に保存しておきたいと思い、頭の中で何度もシャッターを切り続けた 。




その瞬間に生まれた風景は、僕にとってこの世界で見つけた、たった一つしかない良いところだったのかもしれない。




その美しさだけが、嘘のないたった一つの真実だったのかもしれない。




それからケシキは立ち上がり、帰ろうと一言だけ呟いた。僕はなにも答えずにケシキにカバンを渡して僕達は教室から出た。




ケシキはなぜか、その日の翌日から学校に登校して来ることはなかった。




帰り道で見た、影と混ざり合う夕暮れ越しのケシキの横顔が、僕の中で最後に記憶された、彼女の下校姿となった。

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