車に乗って

 勝手気ままな旅暮らし。

 どこかへと落ち着ける腰を持たない魔法使いは、退屈そうに周囲の風景を眺めていた。

 代わり映えのしない同じ風景が、延々と続いている。

 物事に飽きっぽい――というよりは常に変化を求めたがる――性質の彼にしてみれば、こういった状況は面白くない。

「広大なれアメリカ大陸。これが世界の農業だ!」

 試しに叫んでみた。

 余計虚しくなった。

「……少しは落ち着け。この状態で変なことしたら危ないぞ」

 制止するのは、意思を持った魔道書ナナシ。

 この魔法使い、飛鳥井秋人の相棒である。

「そうですよ、秋人さん。私たち、車に乗ってるんですから」

 と、たしなめたのは秋人よりも少し年上のような雰囲気を持った、神々しい美女だった。

 彼女の名前は夏名。これは仮の名で、秋人がつけた。

 日本国八百万の神々の一員で、自らの名前を忘れるほどに長い時存在し続けてきた女性である。

「あんまりはしゃぐと、危ないですよ」

「そうですねえ。でも、こうでもしてないと退屈で退屈で」

「そういうのが事故の原因に繋がるんだ……」

 ナナシが呆れた声をあげた。

 が、秋人は悪びれた様子もなく、周囲を何度も見回した。

 どこかに面白い発見はないものかと、探し回っているのである。

「おいおい、あまり余所見するなよ。危ないだろ」

「いいじゃないか、どうせ周囲には人影一つ見当たらないんだし」

 どこまでも広がる畑。農業知識のない秋人には何の田かは分からないので、特に興味を引くようなものではない。

 田んぼから離れたところには、ちらほらと山の姿が見え隠れしていた。

 今のところ、それが唯一の変化している景色と言える。

「……あとどれだけこれが続くのだろう。なんかこう、車と言えば逃走劇ぐらいはやって欲しいような気もするんだけど」

「馬鹿なこと言うな。車は安全なのが第一だろうが」

 そんなことを言い合っているうちにも、時間は流れていく。

 やがて太陽が真上に昇り始めた頃。

 別の道路から合流したパトカーから、突然大きな声が放たれた。

『そこの車、止まりなさい!』

 退屈過ぎて寝惚けかけていた秋人も一瞬で目覚めるような、大きい音だった。

 ほとんど間を置かず、パトカーがサイレン音を鳴らして追いかけてくる。

「……自分が恐い」

「言っとくけど、あのパトカーが現れたのはお前があほなこと言ったからではないぞ」

「その証拠はあるのかい? もしかしたら僕の大宇宙的言霊パワーが……」

「なんだ、そのハンドパワーより胡散臭いもんは」

 二人がくだらない言い争いをしている間にも、パトカーはどんどん迫ってくる。

 捕まってなるものか、と言わんばかりに秋人たちが乗っている車も加速した。

 人も対向車もいないのどかな道。

 それだけに、車もパトカーもどんどん早くなっていく。

「大丈夫でしょうか……」

 夏名が少し心配そうに言った。

 いくらぶつかりそうなものがないとは言え、加速のし過ぎは事故の元である。

 しかし秋人は平気そうな顔で笑ってみせた。

「なんとかなりますよ、多分。ははは、それにしても、ようやく面白くなってきたなぁ……!」

 秋人はこの追いかけっこを存分に楽しむつもりのようだった。

 ナナシは諦めの篭もった溜息をつくと、大人しく鞄の中へと引っ込んでいく。

 夏名は実体化したまま、後ろと前を何度も見ていた。

 そうしているうちに、夕方になった。

 車とパトカーは既に限界ぎりぎりの速さで走り続けている。

 もし事故が起きたら、大変なことになりそうだった。

「もうすぐ暗くなりますけど……本当に大丈夫なんでしょうか」

「うーん。そろそろまずいかな」

 この速度のままだと、薄暗くなってきたら危ないだろう。

「この追いかけっこにも飽きてきたし。そろそろ元凶は消えるとしようか」

「ったく、最初からこんなことしなけりゃ良かったんだ」

 愚痴っぽいナナシの声を聞き流して、秋人は静かに呪文を唱え始めた――――。


 やがてガソリンが切れ、追いかけっこは終わった。

 パトカーから警官二人が降りてきて、車のドアを叩く。

 運転席に座っていた青年は気まずそうな顔で、車から出てきた。

「あのう、なんで僕のこと追いかけてきたんですか……?」

「速度違反だよ」

「それは、いきなりそっちが追いかけてきたからですよ。僕はやましいことはしてない。スリも痴漢も無縁の人生を送ってきました。車での事故はおろか、揉め事だって起こしたことはないんですよ」

「何を言ってやがる」

 体格の良い方の警官が、荒々しく鼻息を鳴らした。

「"車の上に人を乗せてた"だろうが! 今は乗ってないようだが、どこかで落としたのか? もし死んでたら、お前の罪はより重くなるぞ」


 その頃、騒動の元凶たる魔法使いは、近場の森で野営の準備をしていた。

 夕食の支度をしながら、夏名が苦笑して言った。

「でも、やっぱり悪かったんじゃないですか? あんなことしちゃって」

「いいんじゃない?」

 火を起こしながら、秋人は無責任そうに告げる。

 ナナシも特にツッコミは入れない。

 夏名だけが、少しだけ困ったように眉根を下げている。

「今頃、車の運転手さん大変だと思いますよ?」

「いいのいいの」

 秋人がそう言うと、無事に火がついた。

 それを確認し、ようやく腰を下ろしてから、

「無免許運転の極悪詐欺師だ。老人ばかり狙うごくつぶしには、あれぐらいでちょうどいいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る