エピローグ

 夜の住宅街をらすのは、街灯の足跡だ。黄色い花粉かふんをつけた巨大なムカデでもったように、等間隔に配置はいちされている。


 月色は雲にかくれてくらく。

 地上にち満ちた霧が、いっそう世界をくもらせる。

 霧のなかには、時折ときおり、黒い粒がまたたく。

 まるで、生者と死者がまじわるようなあやしい夜である。


 今、街灯のひとつがおののく。カチカチと点滅てんめつする。


「……」


 そこに先程までなかった人影が立っている。

 黒ずくめの影だ。

 頭部はつるりとした卵型。

 総身そうしんをすっぽりとおおうロングコートで、足許は見えない。


 いや、あるいはないのか。


 その手ににぎられているのは、命をり取る大鎌ではなかろうか。黒い卵の内側では、髑髏されこうべが笑ってはいないだろうか。


 やがて、それは闇のなかに名乗った。


「こちら〈死神グリム・リーパー〉」


 と。


宇曽うそぶき市街、ポイント三〇六にて待機中」


 しかし彼は、人の命を刈り取る死神ではない。無論むろん、闇にかたりかけているわけでもない。


『こちら〈紫煙スモーカー〉。ターゲット進路変更なし』


 返ってくるのは女のしわがれ声だ。霧のごとく立ちこめる煙は、彼女のあやつる紫煙である。


「こ、こちら〈鉄手套ヤルングレイプ〉! 所定しょてい位置にて待機を続けます!」


 続いて聞こえてきたのは、うら若い少女の声だった。緊張に上擦うわずり、そわそわと落ち着かない息遣い。それは〈死神グリム・リーパー〉の背後はいごから聞こえた。


 街灯と街灯の間にわだかまった闇の中、彼女はふるえながら立っていた。

 鎌がないこと以外、その出で立ちは〈死神グリム・リーパー〉と大差ないが、この妖しい夜に不釣り合いな独特どくとくの存在感をかもし出している。


 しわがれ声が淡々たんたんと応える。


了解オーケー。間もなく接敵。〈鉄手套ヤルングレイプ〉は〈死神グリム・リーパー〉の支援にてっしてくれ』

「おおっ、オーケー……!」


鉄手套ヤルングレイプ〉がなさけない了解を応えたのと、明かりの下に漆黒しっこくの風がぎったのは、ほぼ同時だった。


 熱線暗視映像においても漆黒の体躯たいくが、闇に一筆の残像をえがいた。

 える体毛がる。粒子となってただよう。


 消える頃には、


「ヒッ……!」


 すでに眼前だ。


「……」


鉄手套ヤルングレイプ〉の悲鳴に、〈死神グリム・リーパー〉の地をる音がかさなった。


 ところが大鎌が弧をえがけば、〈黒犬ブラック・ドッグ〉は電柱を蹴りちゅうを舞っっている!


「……!」


 異形の体躯が、重力とともに落下する。

 その先は〈鉄手套ヤルングレイプ〉の頭上だ――!


 しかし彼女は、おびえすくむばかりのか弱い少女ではなかった。

黒犬ブラック・ドッグ〉を惹きつける特性を承知しょうちで、彼女は戦場に立っている。身を守る術も知っている。


紫煙スモーカー〉さんに言われたもんね。支援に徹しろって……!


 フルフェイスメットの奥。

 双眸そうぼう戦意せんいにきらめいた。

 と同時、〈黒犬ブラック・ドッグ〉の背後から瘴気があふれでる。


 それは奈落ならくへのとば口。

 亡者もうじゃたちが命を渇望かつぼうなげくように。

 今、黒い粒子ダークマタによって構築こうちくされた無数の手が〈黒犬ブラック・ドッグ〉の身体を宙にからめとる!


 すかさず跳躍ちょうやくした〈死神グリム・リーパー〉が、大鎌を真横にふり抜いた!


「ギャッ……!」


 異形いぎょうの犬の首が、横一文字に刈り取られた。

鉄手套ヤルングレイプ〉は、ふらふらと後退こうたいし尻もちをついた。


 虚空こくうから生じた手が消える。

 頭部をくした犬が地に落ち、体躯たいくを形成した粒子は霧散する。


 中から現れたのは、無残むざんな人の亡骸なきがらだった。〈死神グリム・リーパー〉の振るった鎌は、宿主しゅくしゅの首までち切っていた。


鉄手套ヤルングレイプ〉は熱線暗視機能をオフにし、目をそむけた。

 胸のなかに千のうじがうごめくような吐き気がこみあげる。任務に出動しゅつどうするのはこれが初めてではないものの、人の死に直面ちょくめんするのは慣れない。きっといつまでもそうだろう。


 それでも、こんな事を続けているのは〈虚無エンプティ〉だからで。

 自分のおかしてきた罪に対して贖罪しょくざいの意識があるからで。

 他にできる事なんて何もないからで……。


「お疲れ様」

「あ……」


 こんな自分にも、手をし伸べてくれる人がいるからだ。

 そして大好きな人たちの住む世界を、まもるためでもある。


 いつか彼女は、心もつ〈虚無エンプティ〉として影の世界を生きることとなった。


 この世界には、かつて彼女自身が傷つけ、今なお闇に溺れる親友もいる。

 欲張りかもしれないけれど、あの子のことだって助けたい。

 どれも過酷な道に違いないけれど。

 きっと絵空事えそらごとではないはずだから。


「ありがとう――」


鉄手套ヤルングレイプ〉――九条くじょう茜音あかねは、〈死神ヒーロー〉の手をとり立ちあがる。





                           ブラック・ドッグ〈了〉

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ブラック・ドッグ 笹野にゃん吉 @nyankawa

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