第21話 祝福の言葉には無条件で喜びます(2)

 わたしたちは再び、笑いながらジャスミンティーを飲み始めます。

 軽口を叩き合いながら冗談めかした話をして。


「ああ、でも、本当に悔しいなあ。あのオオカミ男に僕の沙雫をとられるなんて」

「オオカミ男だなんて、彼はそんな野蛮な人ではないですよ。ああ見えて結構繊細なところもあるんです」

「繊細? どうだか。沙雫を狙う時点で怪しいよ。僕には倒錯した性癖の持ち主だとしか思えない」

「なんでわたしを狙ったら性的倒錯になるんですか」

「わからない? いいよ、教えてあげよう。つまりはね、だよ」


 あまりにはっきりと、堂々とした声と表情で言われました。


「ろり……。……え、なんですって?」

「ロリコン。ロリータコンプレックス。少女への性的嗜好や恋愛感情を持つ人のこと」


 いや、知ってますけど。わかってますけど。

 ……なんで大神さんがロリコンになるんです?


「まずね、君たちには年齢の差がありすぎる」


 そうでしょうか。大神さんはあんなふうに見えて、まだ二十五歳ですよ。差はたったの八歳です。大したことはないじゃないですか。


「それはどうかな。だって考えてもみてごらんよ。あいつが成人を迎えたときに、僕や沙雫はまだランドセルを背負っていたんだ。小学校に通って、算数や道徳なんかのお勉強をして、ソプラノリコーダーやピアニカを吹いていたんだよ。そう思えばロリコンとしか考えようがないね」


 いえ、まあ、そう言われてしまえば、確かにちょっと差はあるのかも……なんて。うん、そうですよね、彼がそういう性的嗜好を持っているかもしれないというのも、なんとなく……わかるような。だって大神さんと初めて出逢ったときに、わたしの年齢を聞いて彼が爆笑していたことがありました。あれは単におかしかったわけではなく、もしかして喜んでいたんでしょうか。ロリが自ら俺のところにやってきたぞ、的な。鴨が葱を背負って来たぞ、みたいな。

 万が一そうだとしたら……わたしは次からどんな顔で彼に会ったらいいのでしょう。


「はっはっは、ようやくわかってきたようだね、あの男の本性に!」

「いえ、でも、だって……そんな、まさかですよ。そのロリ……なんちゃらだって決めつけるのは、まだ早いと思います……たぶん」

「早くないよ。いいかい、大体沙雫は成長してさえ小学生並みの容姿なんだよ? そんな沙雫を好きだなんて、もう確実にそのがあるじゃないか」

「……それは大神さんをけなすというよりも、わたしを侮辱しているんじゃ……」

「沙雫といえば、背丈は低い、顔は童顔、着る服装もなんだかソッチ系。沙雫を好きだという人の99%はそういう気質があると思うんだよ。そうそう、かくいう僕もじつはロリコンなんだけれどね!」


 聞いていませんよ、そんなこと。

 このタイミングで爆弾みたいなカミングアウトはしないでください。余計に頭の中がごちゃごちゃします。


 ……ああ、もうやめましょう。

 ひなたはともかく、大神さんがロリなんちゃらだとか……そういうことを勝手に決めつけて考えるのはよくありません。大神さんは単純にわたしのことを気に入ってくださっただけです。たまたまわたしが、背が低くて童顔で赤ずきんみたいな格好をしていただけで。外見が幼かったから選んだわけじゃないはずです。

 仮に、ですよ。もし彼に本当にそういう趣味があったとしても、わたしはべつにどうってことありませんしね。態度を変えず、気持ちもそのまま、彼のことを好きでいられると思うんです。ええ、本当に。……たぶん、きっと。


「とんでもない男に惚れたもんだね、沙雫」

「……ひなたは本当に意地悪ですね」

「意地悪じゃないよ。これはただのスキンシップさ」


 そのせりふ、どこかで聞いたことがありますね。

 まあ、どうでもいいです。わたしは、ふうっと溜め息をつきました。


「ひなたは彼に対していまだに対抗心をごうごうと燃やしていますけど……それに引き替え、大神さんは大人ですよ」

「のろけならいらないよ」

「違いますよ。そうじゃなくて。大神さんはひなたを心配しているんです」


 言うと、ひなたは目をまんまるにしました。

 それから、ぱちぱちと二回まばたきをして。


「……え、僕のことを?」

「はい」


 まるで鳩が豆鉄砲をくらったような顔でわたしを見てきます。

 大神さんが自分のことを心配するなんてどういうことだといった表情ですね。


「……僕の、なにを心配してるって?」


 そうでしょう、そうでしょう。気になるでしょう。

 わたしは、目を瞑り、腕組みをしてこくこくとうなずきます。


「なんだかんだ言いつつも、彼はひなたのことを気にしているんですよ」

「はあ?」

「だって、ひなたが大神さんに喧嘩口調で突っかかったり憎まれ口を叩くたびに、あとでわたしにこっそりと聞いてくるんです。『あいつはあんなで友達はちゃんといるのか、学校ではうまくやっているのか』ってね。ひなたはわたしなんかよりよっぽど友達も多いし勉強もできますよと何度も言っているのにも関わらずですよ。それくらい、とにかくひなたが心配だそうです。きっとひなたがかわいいんでしょうねえ。あなたのこと、放っておけないんでしょう」


 目を開け、ちらとひなたを見ます。

 ……あら、ひなたの顔が赤いですね。一体どうしちゃったんでしょうねえ。まさか照れているのですか。おやおや、まあまあ、甘酸っぱい反応ですこと。心配されている上に、かわいいと思われて、放っておけないとまで言われたら……そりゃあひなたでも赤面しますよね。

 くすくすと笑うと、ひなたはごまかすようにジャスミンティーをいっきに飲み干しました。相変わらず照れ隠しが下手ですね。


「そ、そんなことを言われたってべつに嬉しくなんかないんだからな!」

「そうですか? じゃあ、どうしてそんなに顔を赤くしているんです?」

「これは、違う、そうじゃなくて、その……ただ驚いただけだ!」

「大神さんにかわいいと言われて? うふふ、ほんと、かわいいですね。そういうところが、大神さんもお気に入りなんじゃないでしょうか」

「うるさいうるさいっ! 沙雫もあいつも、僕のことをバカにしているだろう!」

「しているわけないでしょう。いいじゃないですか、『かわいい』も『心配』も、全部本心なんですから」


 ティーカップを持ち、ずずっとジャスミンティーを一口飲みます。


「どうですか。もしよければ、お貸ししますよ、彼のこと。お二人でお出掛けという名のおデートでもしてきたらどうですか。わたしは全然構いませんよ。ひなたにならいくらでもレンタル可能です」

「はあ? ……冗談きついよ、沙雫。あいつを僕に貸す? いらないよ、一秒だっていらない。……あいつと一緒に過ごしたら終始からかわれるんだ、どうせ」


 ええ、まあ、確かにそれはそうですね。

 なんだかんだ言って、ひなたより大神さんのほうがいつも一枚上手ですから。


「……そもそも、さ」


 ひなたが続けて口を開きます。


「それは本当なの?」

「え? ”それ”って?」

「あいつが僕のことを……心配しているふうに言うなんて。あまり考えられないけど」

「どうしてです? 大神さんは、心からひなたをかわいいと思っていますよ。わたしだって思っています。ひなたは本当に真面目で純粋でそりゃああまのじゃくなところも多々あるけれどそこもまた愛おしくてそれで」

「よしてくれよ、沙雫まで」


 わたしの言葉を遮るように、ひなたが言います。見ると、眉間にしわを寄せ、頬をぷくっと膨らませていました。

 うん、そういうところがかわいいんですよね。本当、わたしなんかより、よっぽどかわいいです。


「ひなたも恋人を作ってみたらどうですか」

「からかわないでくれるかな。僕はなにがあっても沙雫一筋だ」

「またそんなことばかり言って」

「冗談なんかじゃないよ。沙雫があいつと恋人同士になったとしても、僕はずっと沙雫だけを愛して……」

「ひなた」


 人差し指をくちびるにあて、わたしはひなたの名を呼びます。

 そして、にっこりと微笑みを見せてから、はっきりとした口調で言いました。


「ひなたも、もうそろそろ自分のことを『僕』と呼ぶのをやめたらどうですか。――あなたはれっきとしたなんですから」


 それを聞くと、ひなたはくちびるをとがらせて、ぷいっとそっぽ向いてしまいました。あら、すねてしまいましたか。でも本当のことですし、仕方ないですよね。

 楠ひなたはXXの染色体を持つ正真正銘の女性なのですから。


 わたしだって、ひなたのことは大好きですよ。だけど、どうしたって女性同士の恋愛は、わたしには向いていないと思うのです。否定はしません。悪いことではないと思います。でも、わたしが恋をするのは、いつも異性である男性ばかりでした。ほら、童話の中で王子様の役割はいつだって男性でしたから、そこに憧れを抱いてしまうのは……しょうがないことなんです。ひなたには申し訳ないけれど。


 でも、本当に、わたしは思うのですよね。ひなたはとってもかわいらしいお顔立ちをしています。わたしなんかより、何倍、何十倍、何百倍も。だからスカートを穿いたり髪を伸ばしたりすれば、きっと今よりもっとずっとモテるんじゃないかって。……まあ、今も十分モテていると思いますが、八割方女の子からの支持なんですよね。一部の男性には好かれるのですけど、いかんせん本人は意図せずとも女の子を根こそぎ持っていくので、どちらかというと恋愛面では男性からは疎まれているかもしれません。男性に男性と思われている女性なんです、ひなたは。

 本当にもったいないです。


「いいんだよ、このままで。僕は僕なんだから」

「スタイルもいいし、頭もいいし、超絶美少女なのにもったいないですよ。考えを改めませんか。僕っ娘というのは一部の人にしか需要がありません」

「需要なんていらないよ……べつに」


 ……とか言いつつも、前髪をいじっていますね。髪の毛を伸ばしてみようかな、なんて考えているのでしょうか。素直じゃないところもまたかわいいです。もしわたしが男性だったら、きっとひなたを好きになっていたと思います。……あ、でも、そうなったらひなたはわたしを好きになってくれていたんでしょうか。わたしがわたしであれば、女の子じゃなくても好きになってくれましたかね。そうだったら嬉しいな。


「あ、そうです」


 ぱちん、と手を合わせます。


「ねえ、ひなた。今度大神さんの家で一緒に食事をしませんか。近々ごちそうを作ってくれると言っていたんです。食べたいものがあればリクエストをしましょう。きっと喜んで作ってくれますよ。彼、とっても料理がお上手なんです」


 言えば、ひなたは鼻を鳴らして腕を組みます。


「料理? ふん、そんなの僕にだってできるさ、楽勝だよ」

「おや、そうでしたか、初耳ですね。ちなみに得意料理はなんです?」

「あー…………目玉焼き、かな」


 ……ああ。なんでも完璧なひなたでも、料理の腕だけは残念だったのですね。誰にでも向き不向きはありますしね。仕方ないですね。……ま、わたしが言えたことではないですけど。


「わかりました。じゃあ、ひなたは目玉焼きを作ってください。他の料理は大神さんに任せましょう。わたしはゆで卵すら作れない人間なので、そのあいだティーカップにレモンティーを注いでいますね。彼お手製のレモンティーも絶品なんですよ、はちみつを入れるともう最高で」


 ふと、ひなたが苦笑の表情を浮かべます。

 だからわたしは話をやめ、首をかしげました。なんでしょう。なにか言いたいことでも?


「……あのさ、沙雫。こういうことはあまり言いたくないんだけど……念のため、言わせてもらう。君も、彼に料理を教わったらどうかな。悪いことは言わないからさ。ほら、彼と交際を始めたんなら自分の将来のためにもね」


 なるほど、そういうことですか。

 申し訳なさげな顔をするひなたに向かい、わたしはてのひらを向けました。


「あ、それは大丈夫です。すでに何回か教わったことがありますよ。ケーキも一緒に作りましたし」

「え、そうなの? なんだ、じゃあケーキは作れるようになったんだ」

「なるわけないじゃないですか。だってわたしですよ? 無理無理。あのときだって大神さんは死んだ目をしていましたよ。また一緒になにか作ろうと言ってくれましたが、きっと二度とキッチンには立たせてくれないでしょうね」

「……沙雫、君は一体どんなことをしたんだ?」


 とくになにかをしてしまった記憶はないんですけどね。不思議ですよねほんとにね。

 ひなたは大きな溜め息をつき、こめかみを押さえて首を横に振ります。


「ああ、沙雫、君は本当に純粋でかわいいのだけれど、そういうところが本当にダメダメで心底残念女子だな……」

「おや、今なにか言いましたか、ひなたちゃん?」

「いや……なんでもないよ、気にしないで」


 そうですか。ならいいです。


 ひなたが言うように、将来のためを思って料理を習うのも悪くないと思います。……ですが、もし彼と結婚したとしたら、大神さんが毎晩腕によりを掛けた料理を振る舞ってくれると思うのです。だって彼はとっても料理好きですから。だから、そのあたりはまったく心配はいらないでしょう。きっとね。



 ふと時計に目をやりました。

 ……もうそろそろ時間ですね。

 わたしはゆっくりと椅子から立ち上がり、ラックに掛けている赤い帽子と赤いポンチョを身につけました。


「ああ、もうそんな時間か」

「ええ。わたしからお茶に誘ったのに申し訳ありません」


 今朝、また母に祖母の家までおつかいを頼まれてしまったのです。

 わたしの母がとっても恐ろしいことを、ひなたは十二分に心得ているので、事情を話すと気の毒そうな顔をしてうなずいてくれました。


「持っていくのは、パンと葡萄酒かい?」

「そうですね。これは赤ずきんの必需品ですから」


 ひなたはいつものように優しい顔で笑ってから、「それじゃあ僕もそろそろ帰るよ」と椅子から立ち上がりました。

 二人で玄関へ行き、靴を履きます。わたしはバスケットを持ち、扉を開けました。外へ出ると、真っ赤に燃えるような夕陽は山の向こうへ顔を隠す寸前でした。


「もう暗くなるね。気をつけて行くんだよ、沙雫」

「はい。ひなたも、お気をつけて帰ってくださいね」

「僕は大丈夫さ、護身術を学んでる。……だけど、沙雫は本当に気をつけて。君の近くには、いつもある一匹のオオカミがうろうろしているからね。心配なんだ」


 ……ああ、そうですね。確かに、わたしのそばにはいつも一匹の大きなオオカミさんがいます。

 だけど平気です。なにも心配するようなことはありません。だって彼は、……大神さんは。


「――飼い主には絶対に噛みつかない、とても従順でお利口なわんこですから」

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