第12話 クラスメイトは言いました(1)

 ――運命の赤い糸が見えたなら、きっと誰も悲しむことはないのに。

 そんなことを考えるようになったのは、確か小学校中学年の頃からでした。


 昔から童話が好きだったわたしは、シンデレラや白雪姫のような愛にまつわるお話もたくさん読んでいたので、まわりの子たちよりは少しばかりませていたと思います。お姫さま抱っこには強い憧れを抱いていましたし、キスって一体どんな味がするのだろうと一晩中考えていたときもありました。今こうして高校生になり、生まれて初めての彼氏ができて、そりゃあ、もちろん、人並みに……キスだって経験しました。でも残念ながら、お話の中で描かれるような、甘酸っぱいレモンのような味はしなかった……味なんてものはなかったと思います。


 ……でも、そうですね。

 昨日の夕方、わたしにとっていちばん親しい友人と交わしたキスは――ちょっとだけ、苦かったような気もします。


 あのあとどうなったのかというと……自分でもあまりよく憶えていないのです。ひなたからのキスはあまりに突然でしたから、脳がフリーズしてしまったのです。

 でも、確か、あのあとは……ひなたはわたしからくちびるを離すと、小さな声で一言「ごめん」と言って、そのまま体育館の中へと逃げるように戻ってしまったのだったと思います。一人残されたわたしは、とうぶんのあいだそこでぼーっとしていましたが、日が沈んであたりが真っ暗になった頃にふと我に返り、急いで家路についたのでした、たぶん。そう、帰りが遅くなると、また母に叱られますから。


 あれからひなたとは顔を合わせていません。いつもだったら、授業の合間の休み時間には必ずわたしの教室へ遊びに来て、いろいろと話したりお菓子を食べたりして過ごしていたのですが……。今日は結局、一度も来ませんでした。

 休み時間になるたびにそわそわしていたのに、ひなたってば一瞬でも姿を見せないものだから、おかげで挙動不審になりクラスメイトの皆さんからの視線をひとりじめしちゃいましたよ。どうしてくれるんでしょう。ただでさえ、あまりクラスに馴染めていないというのに、これじゃあさらに浮いてしまうじゃないですか。ぷかぷか、ぷかぷか。一人だけ違う場所で浮き続けるのって、意外と苦労するんですよ。

 そりゃあ、まあ、ひなたは人気者だし? わたしのところなんかに来なくたってたくさんの友人に囲まれながらワイワイキャアキャア楽しく過ごせるのでしょうけど? ……わたしは、そうじゃありません。ひなたが教室ここに遊びに来てくれなければ、わたしはいつでもひとりぼっちです。自分から声を掛ける勇気は……ほとんど、ないから。弱虫で、臆病だから。……だから、わたしと一緒じゃないときは、ひなたはわたしの知らない友達と、どんな顔で笑って、どんな会話をして、どんなふうに過ごしているのか、なんて……思ったり、思わなかったり、するのです。

 いえね、そんなに気になるならこっちから行けばいいじゃんって話にもなるのですが……少し、いえ、かなりためらってしまいます。だって顔を合わせたところでなんと声をかけていいのかわかりません。どうして昨日はあんなことをしたんだと言うのは、なんだか責めているようにも聞こえてしまいますし、あえて何事もなかったかのように接するのも、ちょっと失礼な気がするのです。


 ……やはり今は会わないほうがいいのでしょうか。せめて、わたし自身の気持ちが落ち着くまでは。


 ずっと友人だと思っていた幼なじみからのキスは、あまりに衝撃的でしたから。

 まだ、わたしも動揺しているのです。


「赤井さん、その後の調子はどう?」


 声が聞こえました。顔を上げると、そこにいたのは先日わたしの体調を心配してくださった巨乳ちゃんでした。

 ひとりぼっちのわたしを、また気にかけてくださったのですね。なんと心のお優しいかたなのでしょう。慈悲深いかたです。ありがたやありがたや。


「ありがとうございます。調子はだいぶよくなりました。ご心配おかけしてしまい、すみませんでした」

「そっか。よかった!」


 本当に、笑顔がかわいらしい子です。ほんわかした雰囲気はわたしまでなごやかな気持ちにさせてくれます。どこか母性も感じられます。なんでしょう、胸が大きいからでしょうか。でもそうなるとわたしには母性の欠片もないということになってしまいますね。不愉快です。全力で否定します。一応これでも面倒見がいいと言われるのですよ。……小さな子どもにはなぜか嫌われますけど。


「そういえば、今日はあの黒髪スレンダーの人は来てないんだね?」


 そう言って、あたりをきょろきょろを見回す彼女。

 黒髪スレンダーの人――と言われて思い出せるのは、ひなたくらいしかいません。そもそもわたしのもとへやってくる人はひなただけですから、つまりは間違いなくひなたのことです。

 わたしは曖昧に笑みを浮かべながら言いました。


「ひなたの……Fクラスの楠ひなたのことなら、きっと今日は来ないと思います。たぶん……明日も。明後日も、そうかもしれません。当分は……会えないかも、しれませんね」

「へえ、そうなんだ。なにかあったの?」

「どうでしょう、わかりません。ああ、でも、強いて言うなら――もしかしたら風邪をうつしてしまったのかもしれません」


 経口感染で。


「そっかあ。寂しいねえ。赤井さんとあの人、いっつも一緒にいるもんね。仲良く隣に並んで歩いてさ。たまに手とか、繋いでるし。まるでカップルみたいだよ。……っていうか、付き合ってる?」


 おっと。ここでも言われてしまいましたか。

 やっぱりわたしとひなたはそういう関係に見えてしまうのですね。でも、まあ、そうですよね。暇さえあれば一緒にいるし。帰りも待ち合わせるし。手、繋いじゃってるし。……手は、その、ほら、ひなたが握ってくるから。「沙雫の手、ふわふわしてるねー」なんて言いながら、ナチュラルに、さらっと。さすがに振り払うわけにもいかないじゃないですか。そんなことしたらかわいそうですし、それに、なにより……わたしも、嫌ってわけじゃないですから。


 わたしは眉を下げ、笑います。


「ひなたは、ただの友人ですよ」

「本当に? 付き合ってないの?」

「ないです。……そういうふうには見られませんから」


 わたしは、ね。


「なるほどなるほど、じゃああれは全部友達としてのスキンシップってことだね」

「そういうことです」

「じゃあ、遠慮しないで誘っちゃってもいいかな」


 ん? なにをです?


「黒髪スレンダーさんと一緒じゃないなら、赤井さん、今日は一緒に帰らない?」

「え?」

「ほら、私たち、今までなかなかお話する機会なかったでしょ。だから、これをきっかけに仲良くなりたいなー、なんて。ね、どうかな? じつは私と赤井さん、帰る方面が同じなんだよ。知らなかったでしょ!」


 なんと。それは初めて知りました。いつもはひなたとばかり一緒にいたので、クラスメイトがどのあたりに住んでいるかなんてまったく知りませんでした。……特段、気にもならなかったですし。いえね、そりゃあ同じ方向へ帰る人たちが「カラオケ寄っていかない?」だとか「新しいスイーツのお店に行ってみよう!」だとか、そういう会話をしているのをうらやましく思うことはたびたびありましたよ。ありましたけど。……でも、わたしにはひなたがいるから。


 でも、そうですね……。少し、ひなた以外の人とも仲を深めるべきかもしれません。せめて「クラスメイト」ではなく胸を張って「友人」と呼べるようになるくらいには。

 ひなたと気まずくなって初めて気づきました。わたし、本当に友達がいません。冗談抜きで、本気で。

 巨乳ちゃんの帰路がわたしと同じ方面にあるなんて、ちっとも知りませんでしたし、なんと言いますか、その、そもそも巨乳ちゃんのお名前も、存じ上げないのです、情けないことに。あまりになにもかもを知らなすぎて驚きます。そんなんでよく今まで過ごせていたなと。……ああ、違いますね。過ごせていなかったのでした。わたしに友人と呼べるような人は、ひなたしかいないのですから。


「ね、赤井さん。私と一緒に帰ってくれる?」


 せっかくのお誘いですし、断る理由もありません。この機会に仲良くなりたいという思いもあります。あるいは、この機会を逃せば、わたしはこの先もずっとひとりぼっちかもしれないという不安も。


 わたしはにこりと微笑み、首を縦に振りました。


「こちらこそ、ぜひご一緒させていただきたいです」


 それからわたしたちは、二人で学校をあとにしました。

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