12月28日(金) - 4 days to the last day-

文芸誌完成!

 昇降口から入って人気の無い廊下を歩く。しんと静まり返った校内は、太陽の光に照らされてじゅうぶんに明るいものの、言い様のない不気味さに包まれていた。廊下の突き当りの曲がり角から、いきなりぬっと誰かが出てきそうな気がする。足音が響くのが更にいけない。誰かの足音が混じって聞こえそうで。


 ぶるりと身を震わせながら、階段を昇り、長い廊下を突っ切って部室棟へ向かう。文芸部室の前に辿り着くと、薄いドアの向こう側に人のいる気配が感じられてようやくほっとした。驚かさないように、しずかにドアノブを回す。


「こんにちは」


 中に入ると、部長と千見寺が椅子に座っていた。


「おう光葉、ギリギリだったな」


 千見寺が壁にかかった時計を見ながら言う。十二時五十八分。集合時間は午後一時だから遅刻はしていない。


「遥と天川は?」


 二人の姿が見えない。もしかして遅れているのだろうか。


「天川がお花を摘みにな。どうやら一人では怖いらしい」


 くっくっと部長が笑いを噛み殺しながら答える。僕には笑う資格がなさそうなので黙っていることにする。


「でも部長。人気のない校舎は不気味ですって。閉まるのは明日からとはいえ、さすがに今日は俺らしか来てませんし」


 千見寺は仕方がないというような顔をして言う。お仲間がいてよかった。千見寺だが。


「む。楠もそう思うか?」


「さすがにトイレには行けますが、ここに来るまでは不気味に感じましたね」


 本当はトイレに行くのにもビクビクしてしまうと思う。


「そうか。人気のない校舎は趣深いと感じていたが、不気味さもまた情緒を構成する一つなのだな」


 部長は「なるほど」と言いながら一人で納得している。僕は千見寺と二人で頭に?マークを付けながら顔を見合わせた。誰かと一緒の校舎には甘酸っぱい思い出が生まれるかもしれないが、自分しかいない校舎に感じる趣とはどんなものなのだろうか。大人になってからふと寄ったときに青春時代を思い出す、くらいしか思いつかない。あ、そうか。きっとそれだ。


「卒業を控えてメランコリーですか?」


 僕は反撃のチャンスとばかりにほくそ笑む。


「……そうだな。そうかもしれん」


 拍子抜けするほど、部長は穏やかな表情をして肯定した。千見寺が驚いた顔をしてすぐに僕を睨んだ。きっと僕の発言で部長が普段見せないような表情をしたから悔しいのだろう。うん。その気持ちは痛いほど分かる。でも、部長をこんな表情にさせるのは僕の言葉じゃなくて『卒業』なのだ。そこのところは勘違いしないでほしい。


 千見寺の視線に対してそんな言い訳をしていると、部室のドアがガチャリと控えめに開いた。


「さっき窓から軽トラが見えましたよ! あ、光葉。来てたのね」


 遥が先に部室に入って来る。


「ただいま戻りました。部長、そろそろ携帯が鳴ると思いますよ」


 天川がそう言い終えるか言い終えないかのタイミングで、机に置いた部長の携帯がブーンと唸った。


「白水です。……はい。ありがとうございます。……ええ、昇降口に。すぐに全員で向かいます」


 部長は通話を切って携帯をポケットにしまいながら、


「到着したようだ。全員で向かうぞ」


 そう言って立ち上がり部室のドアに向かう。僕らは慌ててその後ろをついていった。


 昇降口に着くと、作業服を着た中年の男性が軽トラから下りて僕たちを待っていた。


「おお。みなさんお揃いで」


 人の良さそうな笑みをたたえながら帽子のつばに手をかけて挨拶をしているのは、文芸部OBの印刷会社の社長さんだ。出来上がった文芸誌を社長自ら届けてくれたのだ。


「お忙しい年の瀬に、わざわざありがとうございます」


 代表して部長が謝辞を述べて深々と腰を折る。僕らも部長にならってお辞儀をした。


「いやいや。私としてもOBとして頼ってくれて嬉しいよ。ずっと続けていることだし、何より完成品を一番に読めるのは役得だ」


「そういっていただけると助かります。記念すべき第五十号の出来はいかがでしたか?」


「特に白水部長の作品は文体が美しく、とても高校生が書いたとは思えない出来だった。他にもミステリー、ギャグ、青春モノ、と今年はジャンルが一つも被っていなくてそれぞれ楽しめた。挿絵も最近はずいぶんと豪華になったものだ。楠先生の総評も綺麗に纏めていらっしゃったし、第五十号に相応しい立派な仕上がりだと思う。OBとしても鼻が高いぞ」


 社長さんはでっぷりとしたお腹を揺らしながら、心底愉快そうに笑った。


「大先輩にそう言っていただけると、私も救われる想いでいっぱいです。正直荷が重いと感じていましたが、今ではちょうど良く部長として節目を迎えられたことに感謝しています。来年以降もぜひよろしくお願いします」


 部長はそう言って再び深くお辞儀をした。慌ててならう。


「来年も会社があればな! あっはっは」


 社長さんがどう反応して良いか分からないジョークを飛ばした。さすがの部長は余裕の笑みで「またまたご冗談を」と躱している。お、大人のトークだ……。


「あたしは来年の三年生です。来年もお世話になります」


 遥が一歩進み出て挨拶をする。


「わ、私はまだ一年なので、しばらくお世話になります」


 遥にひっ付いた天川がぴょこんと頭を下げた。


「こちらこそよろしくね。来年も楽しみにしているよ」


 出遅れた焦りを感じさせないようにして、僕も一歩踏み出す。


「僕も来年は三年生です。部長に負けないくらい素敵な文芸誌を来年は作って見せます」


「おれ……ワタクシは小説を書かないのですが……レイアウト頑張ります!」


 千見寺がカチコチに固まって続いた。


「ほっほっほ。君たちも頑張ってね? まずは荷下ろしからだな」


 社長さんは軽トラの荷台に視線を移した。段ボールが四箱積んである。全部で百冊印刷したから、一冊あたり二十五冊入っていることになる。こんなに印刷して大丈夫かと思うが、これがまた意外と捌けるのだ。僕が荷台に上って千見寺にひと箱ずつ手渡す。一冊の厚みが結構あるので、ひと箱でも結構重い。全て下したところで、社長さんがあらためて僕らに向き直った。


「それじゃあ来年もまたよろしくね。楽しみにしているよ」


 社長さんはそう言うと、運転席に乗り込んで手を振りながら走り去っていった。


「よし。三箱分は昇降口の廊下の机の上に並べる。ひと箱だけ部室に持っていこう」


 勢いよく段ボール箱に飛びついた天川を制して、千見寺と二人で手分けをして昇降口まで運んだ。


「部室まで持っていく方をじゃんけんで決めようぜ」


 段ボールを開ける三人を横目に千見寺がそんな公平な提案をした。


「いいよ。一発勝負ね。じゃーんけーん」


「「ぽんっ」」


「くぅぅ。行ってくる!」


 言い出しっぺの法則通りに負けた千見寺が潔く段ボール箱を抱えて階段を昇って行った。僕は廊下に事前に置いておいた長机に文芸誌を並べる作業を手伝った。と言っても十五冊ずつ五列に積み直すだけだったのですぐ終わった。十二月三十一日に発行となってはいるが、実際には学校が開いていないのでこうして並べるのは毎年この時期らしい。


 僕らは揃って部室に戻り、千見寺が運んでくれた文芸誌の残りをそれぞれ手に取って読み耽った。


 それぞれ感想を言い合ったり、校正漏れを指摘して笑ったり、より良くするにはどうしたら良いか話し合ったりと充実した時間を過ごした。


 気づけば日が沈み始めていて、見回りの先生から「もう閉めるぞ」との注意を受けて解散することになった。


「正月は初詣だな!」


 校門を抜けたあたりで千見寺が大声をあげた。


「うるさいわねぇ。わかってるわよ」


 いつものように遥が眉根を寄せて千見寺を睨む。


「朝十時にここに集合でしたよね?」


「そうよ。張り切って着物を着てきちゃだめよ?」


「わかってますって。裏山の祠ですものね」


 天川が沈みかけた太陽を隠している裏山を見上げた。釣られて全員で見上げる。


「願い事を考えておかなくてはな」


 部長がぽつりとつぶやいた。


「ええっ。部長、もしかして信じてます?」


 思わず声をあげてしまった遥が、おそるおそる尋ねる。


「葛城。こういうのはな、『信じる信じない』でなく、『願うか願わない』か、なのだよ。葛城にも願いの一つや二つあるだろう? ただそれを一つだけ選ぶだけだ」


 視線を下した部長が、遥を真っすぐ見据えた。


「は、はい……。選んでおきます」


 遥が珍しくしょんぼりと答えた。


「なあに。そんなに難しく考えなくていい。所詮は作り話だ。ゲン担ぎくらいの気持ちで行こう」


 失言に落ち込む遥に、部長は優しく諭す。


「そうだぞー遥。思いっきり欲望をぶつけようぜ! 勢いあまって口に出さないように気をつけてな!」


 千見寺が遥の背中をバンバン叩く。


「そんなに強く叩かないでよ! 痛い!」


 ひらりと逃げる千見寺を遥が追いかけまわす。その姿を部長が目を細めて眺めていた。


「先輩、これが青春ってやつです? いいなあ。同じ学年の子入らないかなあ」


 天川が羨ましそうに言った。


「そう思うなら天川も頑張らなくちゃね。遥が頑張って勧誘したから、僕が入って千見寺も着いてきたんだよ」


「そうだったんですね! 知りませんでした」


 天川が目を丸くして答える。


「うん。だから去年の冬は部長と遥と僕の三人で寄稿したんだ。いきなりだったから、それまで書き溜めてたものをいくつか載せてもらったんだよ。二人だけじゃページ数が全然足りなかったみたい」


「先輩はどうして最初から文芸部に入らなかったのです?」


「うーん、深い理由はないけど。別に一人でも書けるしね。でもいまは入って良かったと思っているよ。みんなといると楽しいし。僕らは天川より先に卒業しちゃうから、後輩は天川自身で見つけるんだよ」


「うぅ……。私にできるでしょうか……」


 天川が不安げに漏らす。


「大丈夫。とりあえず来年の新入生の勧誘は僕らもいるし。なんなら初詣でお願いしてみたら?」


「そうしますっ!」


 天川はぎゅっと拳を握って裏山の方向へ突き出した。ここにも青春真っ只中な部員が一人。


 さて。僕の青春は……。


 オレンジ色を背景に浮かぶ裏山をちらりと見やってから、くるりと踵を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る