休日の過ごし方 2/2

 一階に降りてダイニングに入ると、絶賛二日酔い中の父さんがダイニングテーブルに着いてうなだれていた。


「おそよう。水飲む?」


「……光葉か。すまん」


 父さんがうなだれたまま答える。飲み慣れていないワインが効きすぎているのかもしれない。ちなみに『おそよう』とは読んで字の如くだ。楠家では午後に起きてきた人に対して嫌味を込めて使う。もっぱら父さん向けの挨拶だ。


 僕は「やれやれ」と溜息をこぼしながら、キッチンでコップに水を注いで、父さんの前にわざと音を立てて置いた。


「これ飲んでしゃきっとしなよ」


「……」


 父さんは無言でコップを手に取って、ごくごくと勢いよく水を飲み干した。まるで乾杯をした直後にビールの一口目を飲んだかのように「ぷはぁー」と深く息をついて、


「生き返ったー。助かったぞ、光葉」


「生き返ってるようには見えないけど」


 父さんは「生き返った」と言いながらパンパンな顔で死んだ魚のような目をしている。


「ところで母さんは?」


「買い物に行ってるが、もうじき帰って来るはずだ」


「そっか。昨日の残りをチンして食べようと思ってるけど、食べる?」


「……リゾット残ってるか? それなら食べられそうだ」


 父さんはぼーっとテーブルの一点を見つめたあと、思い出したようにつぶやいた。


「残ってたけどさすがにそのまま出せないよ? オーブンで焼きなおすから出来るまでソファに座って休んでたら?」


「……すまんがそうさせてもらう」


 父さんはまだまだ濁った目をしてよろよろと立ち上がり、ふらふらとリビングに向かって歩いて行った。ボサボサ頭でよれよれのジャージを着た後ろ姿はまるでゾンビだ。聖夜の翌日に居ていい存在じゃない。ソファに倒れ込むまで見届けた所で、自分もさして変わらぬ姿をしていることを思い出し、昼食を食べたらすぐにシャワーを浴びようと決意した。


 水分を失った茸たっぷりのクリームリゾットを耐熱容器に移して、スライスチーズとパルメザンチーズをたっぷりとまぶした後、オーブンレンジに放り込んだ。焼き上がるまで、野菜のたっぷりと入ったコンソメスープを火にかけて温めなおす。少し味が濃いが二日酔いの父さんにはちょうど良いだろう。母さんの分も含めて三人分のリゾットとスープを取り分けて配膳したところで、母さんが帰ってきた。


「あらいい香り。光葉が用意してくれたの?」


「おかえり。リゾットはオーブンで焼きなおしてみましたー」


 僕は得意げに胸を張った。


「あらあら。チーズがとろとろで美味しそうね。お父さんは?」


「あっちで死んでるよ」


 リビングのソファーを指さす。父さんがだらしなく口を開けて天井を凝視している。


 母さんは「しょうがないわねぇ」と言いながら楽しそうな足どりでソファーへ向かい、


「ほら! 起きなさい! 光葉がご飯用意してくれたわよ!」


「おうっ! いきなり怒鳴るなよぅ……。頭がキンキンする」


 一度飛び上がってしゃんと座りなおした父さんが、こめかみを抑えて唸った。


「私お手製の野菜スープを飲んだらきっと治るわよ。それに、ご飯を食べたら光葉がいいもの見せてくれるって」


「いいもの? なんだそれは」


 父さんの目に少しだけ光が灯る。


「うふふ。それは見てのお楽しみ」


 母さんが僕に向かってばっちりと決まったウインクをした。天川のそれとは年季が違う。母さんは、その天川が僕にくれた写真を餌にして父さんを動かそうとしているのだ。僕としてはそのまま寝ていてくれたほうがいい。


「「「いただきます」」」


 三人揃って昼食を食べた。二人にとっては朝食だったが。焼いたリゾットはおこげがカリカリで香ばしく、コンソメスープはもたれた胃に優しい味がした。


「ところで、いいものってなんだ?」


 出された食事をペロリと平らげてすっかり元気を取り戻した父さんが、食後の珈琲まですすりながら思い出さなくてもいいことを思い出して言った。


「うふふ。光葉がイヴの写真を見せてくれるって」


「なにぃ! あの子たちのか!?」


「そうよ。ほら、見せてごらんなさい」


 母さんが手のひらを上に向けて右手を差し出した。言わなくても分かる。スマホを寄越せと言っているのだ。僕は観念してポケットからスマホを取り出し、天川が作ったフォルダを開いて母さんに手渡した。


「これは遥ちゃんねー。やっぱりちょっと恥ずかしがってる! かーわいい」


「白水女史はサンタの格好をしていてもさすがに威厳があるな。おお! こいつは我が同士! 実物も見たが似合っているなあ」


「光葉も映っているわよー。やっぱり無難ね。私が選んだやつを着てくれればもっと目立ったのに! 残念だわ」


 二人は感想を言い合いながらスマホを覗き込んでいる。思い思いに口を開いているのでまるで会話になっていない。


「お! この子は誰だ? 横顔しか映ってないがこんな子家に来たか?」


「どれどれ? あーきっとこの子が光葉のアレね! 私の作ったとっておきの衣装を着てるわ!」


「なに!? ええい、正面からの写真はないのか!」


「うーん。どれも遠目に映っているものしかないわね」


 楓を見ていきなり息をぴったり合わせた二人が、悔しそうな目をしてこちらを向いた。楓の写真はグループチャットではなく天川との個別チャットの方で受け取っていたので、いま開いているフォルダにははっきりと映った写真が一枚も無いのだ。僕はにやりと笑みを浮かべて、


「イヴの写真はそれで全部だよ。残念だったね?」


「そんなはずないわ。きっと別のフォルダに……」


 母さんはどこで覚えたのかスマホを素早くタップして、天川との個別チャットのフォルダを開いた。まさかそこまでスマホを使いこなせるとは誤算だった。


「あ! 勝手にいじらないで!」


 僕の静止もむなしく、画面いっぱいに恥ずかしそうにポーズを決めた楓が映った。


「とっても可愛いじゃない! やるわね光葉!」


「んんんんんん? なるほどなあ。道理で文芸部の子らに目移りしないわけだ」


 二人してにやにやと僕の顔色をうかがっている。だから見せたくなかったんだ。


「もういいでしょ。返してよ」


 取り返そうとスマホに手を伸ばすと、母さんがひらりと躱した。


「まだ見終わってないわよ。最後まで見せて?」


 母さんはそう言うと、次々と写真を見てはキャーキャーと黄色い声を上げた。何回かスワイプして、フォルダの順番としては最後の、天川が撮った最初の写真が表示された。ポーズを撮っていない素の顔をした楓が映っている。


「やっぱり似てるな」


 徐々にテンションを上げた母さんとは対照的に言葉数が少なくなっていった父さんが、ぽつりとつぶやいた。


「似てるって?」


 スマホの画面にくぎ付けになっている父さんに尋ねる。


「ああいや……」


 スマホに視線を落としたまま、珍しく父さんが言葉を濁す。


「なあに、あなた。言いよどんじゃって」


「……むぅ。いやあ、最近流行ってるなんとかって漢字のアイドルグループがあるだろう? そのグループに可愛い子がいてな。その子に似てると思ったんだが、いい年してアイドルと言うのも気恥ずかしくてな。あっはっはっ」


 顔をようやく上げた父さんがわざとらしく笑う。


「あなた? 本当はグループ名をちゃんと覚えているでしょう?」


 母さんが横目で冷たい視線を送る。


「い、いやあそうだな……。光葉、絶対に逃すなよ!」


 父さんが誤魔化すようにして、右手の親指をぐっと上にして僕に向かって突き出した。


「……わかったよ」


 いまさら取り繕っても仕方がないので肯定しておいた。「まぁ」と母さんが顔をほころばせている隙にスマホを取り返して、そのまま自分の部屋に戻った。


 なんだかシャワーを浴びる気にもならなくて、ブックカバーを付け替えて日が暮れるまで小説の続きを読み耽った。

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