12月26日(水) -6 days to the last day-

休日の過ごし方 1/2

「の、喉が……」


 喉がいがいがして目を覚ますと、目覚まし時計の針はすでに十時を回っていた。体がとても重いし頭も痛い。いつ部屋に戻って寝たのかすら覚えていないが、どうやらずいぶんと寝すぎてしまったようだ。起き上がると特に胃のあたりに不快感が集中している。昨晩はさすがに食べ過ぎた。


 昨日、『クロワッサン』から帰ると、サンタの格好をした両親がダイニングでクリスマスを祝っていた。ダイニングテーブル一面に、いったい誰が食べるんだという量の料理がずらりと並んでいた。「たくさん食べてきたから」と断るには気が引けるほど気合が入っていたので、風呂に入って落ち着いてから愛情たっぷりな料理に立ち向かうことにした。


 お酒を飲んで上機嫌になっている両親に勧められるがまま次々と詰め込んだので、正直言って途中から味なんて分からなかった。半分ほど残したままギブアップしてソファに倒れこんだところまでは覚えている。満腹中枢を嫌と言う程に刺激された脳は、血を思いっきり胃に集めて僕を深い眠りに誘ったのだ。


 こめかみを抑えながら部屋を出てトイレに入る。少しだけすっきりしてから階段を降り、廊下を進んでリビングのドアを開いた。


「あら、ようやく起きたのね。朝ごはん食べる?」


 昨夜にさんざん酔っぱらっていたことを忘れるくらいにケロリとした母さんが、涼しい顔をしてソファに座っていた。テレビには昨夜の街の様子がレポーターの紹介と一緒に流れている。ワインを飲んで珍しく顔を上気させた母さんに促されて、ふらふらになりながら自分の部屋に戻ったことをうっすらと思い出した。


「いや、いいよ。まだお腹がパンパン」


「お昼には食べてよね。まだいっぱい残ってるんだから」


 母さんはそう言うと、視線をテレビに戻した。僕はキッチンに向かい冷蔵庫を開けて、牛乳パックを手に取りコップに注いでから一気に飲み干した。乾いた食道をゆるゆると伝って、質量を感じる冷たい牛乳が胃に染み込んだ。ホットミルクは胃にやさしいと言うから、冷たい牛乳もきっと消化を助けてくれるはずだ。知らないけど。


「父さんはまだ起きてこないの?」


 牛乳パックを冷蔵庫にしまいながら尋ねる。


「まだ起きてこないわね。昨晩の様子だと、きっと昼ごろにのっそりと起きてくるんじゃないかしら。――今日は出かけないの?」


 テレビを向いたまま答えた母さんが、振り向いて尋ねた。


「うん。今日は家でゆっくりするよ。本も読みたいし」


「それじゃあ、お父さんが起きてきたらクリスマスの写真を見せて? たくさん撮ってきたのでしょう? 衣装を提供したのだから、それくらい見せてくれたっていいわよねえ」


 母さんが期待を込めた視線を僕に向ける。僕は一枚も撮っていなかったが、スマホには大量の写真が保存されていた。ことあるごとにシャッターを押していた天川が、グループチャットで大量に送ってくれたのだ。もちろん、楓の秘蔵写真も別でもらっている。お代は『クロワッサン』のケーキ三種類セットで手を打った。安いものだ。


「わかったよ。でも、父さんにも見せなきゃだめなの?」


「もちろん。私だけ見たって言ったら、お父さんきっと拗ねちゃうもの」


「見たって言わなきゃいいでしょ」


「黙っていられるはずがないじゃない。『光葉のかわいいお友達を見たのよ』って自慢したくなるもの」


 母さんは「頼んだわよー」とのんびりとした口調で言いながらテレビに向き直った。僕は溜息をつきながらリビングを出て、洗面所で顔を洗い歯を磨いてから部屋に戻った。


 鞄の中から小説を取り出してベッドに転がり込む。昼間からベッドで寝転んで読書をするのは、最高に贅沢な休日の過ごし方だ。夢中になりすぎて夕方まで読んでいると、充実した時間だったはずなのに後悔の念にさいなまれるので注意が必要だ。きっとお昼には徐々にお腹が空いてくるはずだから、それまでに一冊だけ読むことにしよう。読むのは楓から借りたシリーズの第三巻。昨日、「読んだから貸してあげる」と言って、五巻まで貸してくれたのだ。イヴの日はくたくたに疲れていたはずなのに読み進めているのだから、きっと面白いのだろう。


 うつ伏せになって枕の上に小説を立てる。ぱらりとページをめくって「さあ読もう」というときに、楓からもらったプレゼントを思い出した。


「そうだ。ブックカバー」


 ベッドから飛び降りて、鞄の中からクリスマス仕様にラッピングされた包みを取り出した。丁寧に包装を解いて赤茶色のブックカバーを取り出す。滑らかな手触りですこし固い。何の革で出来ているのだろう。


 ベッドに戻って楓から借りた小説を手に取り、丁寧にブックカバーを付ける。枕にぽすんと置いてしげしげと眺めると、何とも言い難い満足感が込み上げてきた。楓から借りた本に楓からもらったブックカバーを付けた。ただそれだけなのに、目の前の小説が何年も何年も続巻を待ち続けた待望の新刊に見えてくる。小説に伸ばした手が期待に震えた気がした。


 気を取り直してベッドに寝ころんでページをめくる。傍から見れば、とても滑稽に違いない。着ているのは部屋着のジャージで、寝起きから直していない頭は寝癖でボサボサのまま。だらしなくベッドに寝ころんで読んでいる本だけが、ピカピカで上質な本革の正装を纏っている。内容が全然頭に入ってこなくて、何度も何度もページを戻って読み直した。


 内容は、はっきり言って首を傾げるものだった。ひと夏とはいえあんなにも愛し合ったはずなのに、主人公の男は、もう別の女の子とラブロマンスを繰り広げていた。こんなにも簡単に心は移ろってしまうものなのだろうか。どうしても自分のことに置き換えてしまう。楓という火種から生まれた激しい炎がいつしか消えて、別の炎が燃え盛ることがあるのだろうか。想像もつかない。きっと炎が消えるのは大雨に晒されたときで、薪はびっしょりと濡れてしばらくは使い物にならないはずだ。たとえ消えるにしても乾いたままはあり得ない。


 読み終えると目覚まし時計はちょうど午後一時を指していた。くぅと控えめにお腹が鳴る。


 昨日は味わえなかった母さんの手料理を、じっくりと堪能することにしよう。

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