12月25日(火) -7 days to the last day-

クリスマスパーティ

 学校の終業式が終わってすぐ、僕ら文芸部は揃って校門をくぐった。これから『クロワッサン』でクリスマスパーティを開くのだ。


 昨日の興奮が冷めやらぬのか、これからのパーティへ期待に胸を膨らませているのか、前を並んで歩く三人の声が上ずって聞こえる。いっぽう僕の隣を歩く千見寺は、難しい顔をして部長の背中をじっと見つめている。決意を秘めた瞳だ。千見寺の横顔を怪訝そうに見ていると、急にこちらを向いて口を開いた。


「なあ、プレゼント交換なんだがな」


「なにさ」


「もし部長のプレゼントが当たったら交換してくんね?」


「なんだよ。そんなことを考えていたのか」


 僕は心底呆れた顔をした。


「そんなことってなんだよ。光葉だって水無月さんのプレゼント欲しいだろ?」


「そうだけど……」


 僕ら男二人組にとっては、プレゼント交換は本日の一番の山場と言っていい。結果はすべて部長の作ったあみだくじに懸かっている。もちろん、誰のプレゼントが当たっても嬉しいことには変わりはないが、どうせなら好きな女の子からのプレゼントを貰いたいと考えてしまうのは仕方のないことだ。


「取引といこうぜ。俺が水無月さんのプレゼントを当てたら光葉にやるからさ。な? 悪い話じゃないだろ」


 千見寺が声のトーンを一つ落としてひそひそと言った。


「それは魅力的な提案だけどさ。交換なんてしたら最初に当たった人に失礼だろ?」


「……そうだな。確かに。全然気にしてなかった」


 千見寺は言われて気づいたというような顔をして前を向いた。目的のためには手段を選ばないような奴でなくてよかった。


「しっかりしてくれよ。気持ちは分かるけど」


 千見寺の後を追うようにして前を向いた。僕にはじっと見つめる背中がなかった。


「わりぃ。んじゃまあ、恨みっこなしだな!」


 吹っ切れたらしい千見寺が、両手を高く上げて伸びをしながら大声を出した。プレゼントが入った大きめの袋が頭上で揺れている。きっと部長のために気合を入れて選んだのだろう。前を歩く三人が驚いて振り向いた。


「なによ、大声出しちゃって」


 遥が形の良い眉を寄せながら言った。口元が笑っている。


「んー? パーティ楽しみだなってことだよ」


 千見寺は伸びをした姿勢のまま、にやついた顔をして答えた。


「ほほう。なにか出し物でもしてくれるのかな?」


「ちょ、部長! そんな無茶ぶりはさすがに無理ですって!」


 千見寺が慌てた声をあげた。


「お二人の出し物、楽しみです♪」


 思わず足を止めた男二人組を置いて、三人はキャッキャと黄色い声をあげながらどんどんと進んでいく。僕は隣を向いて千見寺の阿保面と見合わせた。


「どうしてか僕まで巻き込まれちゃったんだけど」


「すまん、光葉。三人が今のやり取りを思い出さないように祈ろうぜ」


 二人で肩を落としながら三人の後に続いた。



 『クロワッサン』に着くと、マスターと先に来ていた楓が僕らを出迎えた。


「おう。揃って来たか。ちょうど料理も出来上がる。座って待っとれ」


 マスターはカウンターに入って食事を準備している。店内には肉を焼いたおいしそうな香りが漂っていた。いつもの『クロワッサン』なら嗅げない香りだ。


「昨日はお疲れさま」


 メイド服を着た楓がテーブルを拭く手を止めて僕に言った。


「お疲れさま。楓は今日も仕事なんだね」


 仕事着の楓を見て、胸の奥がズシンと重くなった気がした。と分かってはいるものの、普通に参加してほしかったと感じてしまうのはわがままだろうか。


「光葉もエプロン付けて手伝って?」


 楓はそう言ってカウンターの中へ回り込むと、一度だけ使った綺麗に折りたたまれた黒いエプロンを持って僕の前に立ち、「はいっ」と僕に向かって差し出した。


「あ、ありがとう」


「うふふ。お礼をいうのはお店の人。あ。光葉も今日はお店の人だった」


 楓はいつかと同じ台詞を言うと、スカートをふわりと翻してテーブルの掃除に戻っていった。僕はおへその辺りからじわじわとせり上がってくる熱を感じながら、エプロンを両手に持ったまま楓の姿を見つめつづけた。


「ウエイターさん! 喉がかわいたー!」


 千見寺に大声で話しかけられてようやく我に返る。楓が拭いているテーブル席にはいつのまにか他の部員全員が座っていて、こちらをニヤニヤしながら見ていた。遥だけが下を向いてスマホをいじっている。


「ああ、いま珈琲を持っていくよ」


 なんとか声を絞り出し、もたつく手を無理やり動かしてエプロンを身に着けた。カウンターに入ると、マスターが「やれやれ」とでも言いたそうな顔をして湯気が立つ四つのカップを顎でしゃくった。こぼさないように丁寧にトレイに並べてテーブル席に向かう。すれ違いざま、楓が「ありがと」と声をかけてくれた。


「どうぞ」


「ありがとうございます、先輩」


「なかなか様になったじゃないか。冬休みのバイト先は決まったな」


「甘いですよ、部長。カップを置くときに音が鳴りすぎです」


「遥ーそんな姑みたいなこといってると眉間の皺が取れなくなるぞ?」


「千見寺? ちょっとそこに正座しなさい」


 遥がいつになく刺々しい。


「――ミルクいる?」


「いらない」


 僕のカルシウム補給の提言はにべもなく却下された。すごすごとカウンターへ戻る。


「こいつがクリスマスケーキだ」


 カウンターに戻ると、マスターが髭面を目いっぱい横に広げてどでかいホールケーキを渡してきた。肥えた苺がたっぷりと乗ったショートケーキだ。


「重たい」


「張り切って作ったからな。中にもたっぷり苺が入っている」


「さっき一口食べちゃった。すっごく甘くて美味しいのよ」


 ケーキの味を思い出しているのか、楓はとろけそうな笑顔を見せた。


「嬢ちゃんも料理をどんどん持っていってくれ」


「はぁい。揃ったらマスターも出てきてくださいね?」


「俺はだな……。店主だからここにいるぞ」


「駄目ですよ? きょうは皆でパーティなんですから」


「そうだな……そうだったな」


「うふふ。それではいってきます」


 マスターの爪と牙が楓によって抜かれていく様を背中で聞きながら、慎重にホールケーキを運ぶ。皆が珈琲を飲む手を止めて、どでかいショートケーキに釘付けになっている。ここで転んだらどんな顔をするのだろうか、と馬鹿な気を一瞬起こしかけながらもようやくテーブル席に辿り着いた。


「ふわぁ……」


 天川が目をハートにしてケーキを見上げている。見るとさっきまでハリセンボンのように刺々しかった遥までもが、マタタビを目の前にした猫のように目をトロンとさせている。ここまで女子高生をメロメロにさせるなんて本当にマスターは罪深いなと思いながら、テーブルの中央にでんとホールケーキを置いた。


「素晴らしいな」


 目の前に置かれたケーキを見つめて、部長が呆けたようにつぶやいた。千見寺がその横顔を悔しそうに見ている。ケーキに嫉妬するなんて情けないにも程があるぞ。


「お待たせしました。どんどん持ってきますね」


 続けて楓が、一口サイズの鶏手羽元のローストがたっぷり盛り付けられた大皿をホールケーキの隣に置いた。料理が運ばれる段階になると、全員が立ち上がり協力して次々とテーブルに料理を並べた。マスターが一人で作ったとは思えないほどの量だったのでテーブル一つでは収まりきらず、すぐにカウンターに並べてバイキング形式をとることにした。


 いま、テーブルの上にはどでかいホールケーキとローストチキン。それと、たっぷりとクロワッサンが入った籠が置いてある。カウンターには、色とりどりのマカロンと、クリスマスのリースに見立てて盛り付けられたサラダ、程よくレアに焼かれたローストビーフ、ほうれん草がたっぷり入ったキッシュが並んでいる。よくもまあここまで準備したものだと感心する。というか食べきれるのか? これ。


「最後はこれだ」


 ずらりと並んだ料理を満足そうに眺めたマスターが、にやりと笑いながらおもむろにシャンパンを掲げた。


「僕たち未成年ですよ!」


 思わず大きな声をあげる。


「もちろんノンアルコールだ」


 マスターは当然だという顔をしながらシャンパングラスをカウンターに七個並べると、器用に音も立てずにコルクを抜いて次々に注いでいった。


「千見寺、持ってきたか?」


「もちろんです、部長」


 部長の問いかけに千見寺はすぐさま反応して自分の鞄をごそごそと漁った。鞄から出てきたのは、パーティの定番アイテムであるクラッカーだった。千見寺はそのまま全員に配っていく。注ぎ終えたシャンパングラスも配られ、各自クラッカーとシャンパングラスを両手に持つ形になった。――乾杯とクラッカーのタイミングをどう合わせるんだ? とそわそわしたが、誰も気にしてないようだった。まあこういうのは雰囲気だ。その場のノリでいこう。


「さて。皆にシャンパンとクラッカーは渡っただろうか」


 落ち着いたところを見計らって、部長が声をあげて全員を見渡した。両手にシャンパンとクラッカーを持ち全員がホールに立っている。店内はそこまで広くないのでバラバラに立って部長に向いている。


「まずはこの場と素敵な料理を提供してくださったマスターに感謝を。そして皆、文芸誌の完成とイヴの大仕事、お疲れさま。愛らしい面子も加わりこうしてパーティを開けることを嬉しく思う。とまあ、堅苦しい前置きはここで終わりにしておこう。マスター、乾杯の音頭を」


 しんみりとした空気の中でいきなり振られたマスターが大きな体をびくりと跳ねさせた。全員から視線を向けられて、「お、俺がか…?」と情けない声をあげている。


「…ごほん。俺からはとにかく『ありがとう』だ。突飛な申し出だったが、俺のやりたい事をなんとか形にすることができた。料理はせめてもの感謝のしるしだ。思う存分食べてくれ。それじゃあ……メ、メリークリスマス!」


「「「「「「メリークリスマス!」」」」」」


 一拍遅れてバラバラなクラッカーがパンパンと鳴り響いた。パーティの始まりを告げるまとまりのない号砲に、全員が声を出して笑っている。こんな始まりも有りだなと僕も笑った。


 わいわいと話しながら次々と料理に手を付けた。マスターの手料理はどれもが絶品だ。僕は特にローストビーフが気に入った。パンよりも米が欲しいとクリスマスらしからぬ気持ちでいっぱいだ。


 めいめいに好きな料理を食べていたが、天川は我慢出来なかったのかいきなりケーキから食べ始めていた。頬っぺたに生クリームをつけながら、遥に優しく叱られていた。後輩と言うよりは本当に妹みたいだ。マスターは気持ちよくケーキを切り分けていて、楓も混じってケーキを食べ始めた。遥は諦めたのか自分も食べたいだけだったのか、一緒になってパクつきはじめた。いっぽう部長はむしゃむしゃとクロワッサンを食べているし、千見寺はローストチキンに齧り付いている。好みが割れているのは不幸中の幸いか。


「うふふ。文芸部はみんな面白いね?」


 お腹を満たしてカウンター席に座り一息ついていると、ショートケーキが乗った小皿を持って楓が僕のところへやってきた。「光葉もどうぞ」と渡された。


「ありがとう。ん、美味しい」


「でしょう? こんなに甘いケーキを毎日食べられたら幸せね」


「こういうのはたまに食べるからいいんだよ」


「クリスマスに夢が覚めることは言わないの。そうだ。プレゼントはちゃんと持ってきた?」


「持ってきたよ。こないだ買ったやつ。鞄に入ってる」


 椅子に置きっぱなしの鞄を指さした。


「ふふっ。プレゼント交換楽しみね?」


 楓は僕の鞄を見て目を細めた。


「前にも言ったけど、あみだくじだから当たるかは分からないよ」


「そうね。でも、心から欲しいって思ったらちゃんと届くと思うんだ」


「……そんなに欲しいんだ」


「うん。とっても欲しい」


「楓が好きな赤い栞だから?」


「真っ黒な栞だったとしても欲しいと思うわ」


 楓はいたずらっぽい目をして笑うと、ふわりとカウンターチェアから下りてみんなの元へ戻っていった。ほんとにもう。もうほんとに。楓は僕の心を揺らしてくる。想いのたけをぶちまけたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。


「おーい光葉! プレゼント交換するぞ!」


 千見寺が僕を呼んだ。「早く早く!」と手招きする様は、気合が入りまくっているように見えた。入り過ぎて手首から先がちぎれそうだ。僕はカウンターチェアから下りて自分の鞄に向かい、楓のために選んだプレゼントを手に取ってテーブル席に向かった。


「あみだくじを用意した。どこのラインか選んで名前を書いたら、下の方に一本だけ線を付け足してくれ。順番は時計回りでいいだろう」


 部長がテーブルに広げたA3の紙には、七本の線が縦に引かれていた。線の上端は空欄で、下端にはそれぞれの名前が書いてある。線の途中は白い厚紙で隠されていて、どのようなルートを辿るかを見ることが出来ない。


 名前を書く順番は、『天川、遥、マスター、千見寺、楓、僕、部長』の順だ。順番に名前を書いて一本だけ線を付け足していく。僕の番が廻ってきた。選択肢は二つしかない。僕は楓の隣のラインを選んだ。名前と線を書いてから部長に渡す。部長は最後の一本に自分の名前を書いたあと、じっとあみだくじを見つめて一瞬だけ僕を見てにやっと笑い、最後の一本を付け足した。もしかして部長が言ってた協力って――。


「よし。これで全員揃ったな」


 部長はあみだくじを掲げると、経路を隠していた厚紙を丁寧にはがした。それぞれが真剣な顔をして自分の名前をスタート地点にして下へ下へと辿っていく。


「「あ」」


 僕と楓の声が重なった。思わず顔を見合わせる。


「もしかして僕の?」


「うん。光葉も?」


「楓のが当たった」


「ふふっ。言ったとおりになったね? はい。大事に使ってね」


「あ、ありがとう。じゃあこれ」


「ありがと。大事に使うね」


 楓の嬉しそうな視線に耐えられずに視線をそらすと、それぞれがプレゼント交換を始めていた。誰が誰に渡しているのかを把握する余裕がない。とりあえず、千見寺が発狂しそうなほど喜んでいるのが見えた。よかったな、義男。


「さて。本日のメインイベントの一つが終わったわけだが」


 ざわつく店内を部長が締める。


「続いては千見寺と楠によるショータイムだ! 楽しみだな? あっはっは!」


 飛び上がりそうなほど浮ついている千見寺が一瞬にして凍り付いた。もちろん僕も。


 クリスマスって素晴らしい。どんなに滑っても、みんなクリスマスの空気にあてられて笑ってくれたのだから……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る