12月21日(金) - 11 days to the last day-

甘いのは別腹なの

 朝のうちに部長の元へ父さんが書いた総評を持っていくと、放課後までには千見寺が文芸誌の完成データを仕上げていた。僕らは、印刷と製本を一手に引き受けてくださる文芸部OBが営む印刷所に直接データを持ち込んで、揃って丁寧に挨拶をした後、そのまま軽い足取りで『クロワッサン』へ向かった。


 本日、『クロワッサン』は臨時休業だ。


 僕以外には、テーブルに座って試作ケーキを今か今かと待ちわびる文芸部員他四人と、厨房で張り切ってケーキを準備するマスターしか店内にいない。


 僕はというと、カウンターの前にぽつんと立ち、テーブル席でわいわい話している四人をじっと眺めていた。


「うわぁ。メニュー増えてますね! フレンチトースト、美味しそうだなぁ」


由芽ゆめ、今日はケーキの試食なんだから我慢なさい」


「はぁい」


 メニュー表を眺めながら顔をほころばせている天川を、遥が優しい声でいさめた。二人のやりとりを見ていると、本当の姉妹のように見える。


「む。私はクロワッサンだけは譲れんぞ」


「部長はいいですってば。ほら、千見寺、部長がクロワッサンをご所望よ?」


「合点承知! クロワッサンひとつ! ハリアップ!」


「いや、二つ頼もう」


「さっきのキャンセルで! クロワッサン二つ! ムーブムーブ!」


「ちょっと千見寺、他にお客さんがいないからってうるさすぎよ! ちょっと黙ってなさい!」


 部長と遥と千見寺が、息ぴったりのコントを披露している。序列がはっきりしていて見ていて面白い。僕はどの位置だろうか。せめて千見寺の上ではありたい。


「だってよー新人ウェイターが注文も取らずに俺ら見て笑ってるのが悪いんだぜ? おい、聞いてんのか光葉! ちゃんと仕事しろー」


「楠先輩、フレンチトーストもお願いします♪」


 文芸部の序列がたった今確定した。僕は最下位だ。


「はいはい。でも、クロワッサンとフレンチトーストは別料金でお願いしますね。試食はあくまでもケーキだけなので。それと、珈琲はサービスです」


 僕は覚えたての営業スマイルを四人に向けた。


「坊主にゃそんな権限ないだろ。ほれ、これ持ってけ。待ってろ、クロワッサンとフレンチトーストも出してやる」


 思いっきり腕を振るうのがそんなに楽しいのか、マスターがいつもよりワントーンは高い声を出してトレイいっぱいのケーキを僕に差し出した。ショートケーキにチーズケーキにモンブラン。濃厚な甘い香りに思わず頭がくらくらした。


「すまんな、マスター。私はここのクロワッサンに首ったけなのだ」


「わぁい。マスター、ありがとう♪」


 二人の称賛と礼を聞いて、明らかにマスターの顔が緩みきっている。以前、楓を雇うのを仕方なくみたいに話していたが、実はこの熊さんは可愛い女の子に滅法弱いだけなんじゃないか? 童謡のくまさんみたいに、そのうち一緒に歌い出すのではなかろうか。


「それ持っていったら、珈琲のお替りも注いでやれよ?」


 マスターがいつものむすっとした表情に戻って僕を見る。


「こき使うよなあ。これじゃ楓も大変だ」


 せめてものお返しに軽く嫌味を言ってみた。


「ん? 俺への恩をもう忘れたのか。良いんだぞ?坊主を厨房に回しても」


「ぐっ……わかりました。配膳してお替りいできます」


 抵抗を諦めて、マスターの指示に従うことにした。


 僕が折り目が全くない新品の黒エプロンを身に着けて、客ではなくウエイターの立場にいるのには訳がある。昨日、僕が泣きついた後にマスターがこう提案したのだ。


『坊主、イヴの日は水無月の嬢ちゃんとホールに立つか?』


 それを聞いた僕は、千切れんばかりに首を縦に振っていた。


 マスターは『クロワッサン』に集まった皆に「一番勝手を知っているから」との理由を説明し、僕をウエイター役に推薦すいせんしてくれた。


 結果、部長と遥と天川のスリートップは客寄せの前線へ、僕と楓はホールを回す中衛へ、マスターと千見寺は厨房を守る後衛へと配置が確定したのだ。さっきから僕に対する千見寺の当たりが強いのは、この決定が原因だろう。今日の所はそれくらい目をつむろう。義男よしお、お前は本当にい男だ。

 

 そんな訳で、今僕は絶賛研修中の身というわけだ。明日は一日ウエイターの仕事をこなす。楓は明日も休みなので、一人でホールを回すのだ。そんなに混まないし常連ばかりだから大丈夫だとマスターは言うが、心配だ。――心配と言えば、楓はどうしているだろうか。体調が良くなってるといいけど。


「おまたせしました」


 僕は気持ちを切り替えて、トレイ片手にテーブル席の前で畏まる。なるべく音を立てないように配膳すると、黄色い感嘆かんたんの声が上がった。テーブル上には三種類のケーキが四つずつ、所狭しと並んでいる。


 目を輝かせながら、超攻撃型スリートップは黙々とケーキを食べ始めた。あのクールビューティな部長までもが女の子の顔になっている。そんな部長を見て、千見寺が顔を赤くして固まっている。ケーキの力、恐るべし。僕は無言で珈琲をいで回った。


「どうだ! お前ら! ケーキの味は?」


 次々と空になる皿を満足げに眺めながら、マスターは声を張り上げた。


「もぉいひぃでふ!」


 三女が小さな頬をリスみたいにパンパンにしながら答える。次女が、


由芽ゆめ、行儀悪いから飲み込んでから喋りなさい。それにしても美味しいわねー駅前の有名店のより美味しいかも」


 駅前に大行列を作る名店を比較に出して褒めちぎった。


「うむ。白水家御用達のケーキ屋よりも濃厚な味わいだ。マスター、白水家にこのケーキを定期的に卸さないかね?」


 最後に長女がスケールの大きい称賛を送って締めた。千見寺は女子パワーに圧倒されてまだ固まっている。


「わっはっは、美味しいだろう? そうだろう? 俺の腕もまだまだにぶっちゃいないってもんだ! あっはっは」


 マスターが心底愉快そうに笑っている。現役女子高生三人が手放しで褒めちぎるのだから、これらのケーキは間違いなく『クロワッサン』の新たな名物となるはずだ。今日の試作の反応で、マスターは相当自信が付いただろう。


「クロワッサンとフレンチトーストだ。持ってけ」


 そうだった。部長と天川は三つもケーキを食べたのに、まだ甘いものを食べるのだ。甘いものは別腹というのは中々理解できない。


 空の皿を回収しながらクロワッサンとフレンチトーストを二人の前に置いたところで、未だ部長に視線が釘づけな千見寺に声を掛ける。


「千見寺、ほうけてないで仕事だ仕事」


「へ?」


 千見寺は、何を言われているのか全く理解してない様子でこちらに阿呆面を向ける。


「『へ?』じゃないよ。皿を回収したら、次はお前の仕事だろ?」


 僕は厨房に向けてあごをしゃくった。マスターがうなずく。


 ようやく何を言われているのか理解した千見寺が肩をがっくりと落としているのを尻目に、部長は心底幸せそうな顔をして、クロワッサンにかぶり付いていた。


 こんな素敵な笑顔を見逃すなんて、ショートケーキのイチゴを残すくらいもったいないぞ、義男。

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