ジラフ×エレファント
「は、遥、そ、その、ぷふっ、キ、キリンとぞ、象のシーンなんだ、け、どさ、」
「何よ、人の顔見て笑いだして。はっきり喋りなさいよ」
「ご、ごめん……ちょ、ちょっと、待って……」
部室のパイプ椅子に座って息も絶え絶えな僕を、遥は冷たい目をして眺めている。
帰りのホームルームが終わると、僕は真っ先に部室へ足を運んだ。部室に入ると、長机の上には完成原稿が収まった三つの茶封筒が置いてあるだけで、他に誰もいなかった。どうやら部長と天川は原稿を完成させたらしい。あとひとつは僕のものだろう。中身が気になって茶封筒に手を伸ばしたそのとき、部室の扉が開いて遥が入ってきた。遥の顔をみた途端、教室で無理やりに抑え込んだ感情が再び暴れだした。遥の顔を見て笑ったのには他意は無い。
遥の小説は、理性を簡単に吹っ飛ばすだけの威力を十分に秘めていた。読んでから何時間も経っているのに、シュールな光景が脳裏に焼き付いて離れない。
僕はよろよろと立ち上がって、部室に備え付けてある冷蔵庫から350ml缶のお茶を取り出し、プルトップを開けて一気に飲み干した。
「ふぅ。遥。キリンと象、おもしろすぎ」
ようやく落ち着いて話すことができるようになった。
「ふふん。でしょ?ギャグ小説界に革命をもたらす出来だと自負しているわ」
遥は言いながら僕が座っていた椅子の隣に座った。
「ああ、間違いないね。ギャグに
「その言い草は褒めているものだと受け止めておいてあげる」
遥はにまっと笑って、
「それで? 読んでておかしいところはあった?」
「いや、表現でおかしなところはほとんど無かったよ。全体的な誤字脱字と合わせて昼休みに赤ペンでチェックしておいたから、ちゃんと確認しておいて」
僕は机に置いてある自分の鞄から原稿を取り出して、机の上にバサリと置いた。
「どうもありがとっ、光葉」
遥は原稿を受け取ると、ぺらりと捲って鼻歌を歌いながら赤ペンのチェックを確認し始めた。表情をコロコロ変える様子は、見ていて飽きない。
「それよりさ、遥」
「ん、なに?」
遥は視線を原稿に落としたまま答える。
「キリンと象のテニスシーンなんだけど、もっと面白くなりそうなアイディアがあるんだ」
僕がそう言うと、遥はがばっと顔を上げて、
「さっすが光葉。早く教えて」
遥は、パイプ椅子をぼんぼんと勢いよく叩いて、早く座れと促している。
「全体的な文体だけど、遥はこの小説を書くにあたって、描写をあまり細かくしていないよね? ギャグ小説だから意識した?」
僕はパイプ椅子を引いて、座りながらそう尋ねる。
「そうよ。ギャグはテンポ良くした方がいいと思ったの。やっぱり分かりにくかった? ここのキリンの必殺スマッシュを象が打ち返すところとか」
遥が原稿をなぞりながら答えた。指先を目で追うと、つい文章を読んでしまって思い出し笑いが漏れた。
「くっ、ぷぷ……ふぅ。い、いや分かりにくいんじゃなくってね」
何とか抑え込んで、
「ギャグとしては今のままで十分伝わるんだけど、遥はアクション小説を書いていたから、行動の描写は得意だよね? その得意な描写をもっと盛り込んで、このラリーを馬鹿みたいに丁寧に描き切ったらもっと面白いと思うんだよ。たぶんこの発想なら、テンポを少しくらい損なっても面白さは失わないと思う。逆に、馬鹿なことを真剣に描写するっていうギャップで、もっと面白くなると思うんだ」
「な、なるほど。確かに。やっぱり光葉に見てもらって良かったわ! それ採用!」
遥が興奮したように声を張り上げて、ビシィっと僕を指さす。
「お。早速試してみる? じゃあ例えばこことかさ、」
「ふむふむ。なるほど。ちょっと待って。パソコン立ち上げる。よし、と。じゃあここをこうしたらどう?」
「いいんじゃないか。でさ、ここも、」
僕と遥はお互いに意見を出し合って、遥の小説を改良していった。遥の文章力は、前回の文芸誌と比べてもメキメキと上達していて、まさに打てば響くといった様子でどんどん書き進めていた。時間を忘れて作業に没頭していたので、完成したときには既に窓の外は真っ暗になっていて、時間は夜の8時を過ぎていた。
「うん、これ、面白いよ。上手くいったね、遥」
遥と入れ替りノートパソコンの前に座って完成原稿を一通り読んでみたが、修正前より大分まとまって面白さも増していた。さすがにずっと傍らで読んでいたので、もう噴き出したりはしない。
「ふぅ、それじゃあ完成ね。付き合ってくれてありがと、光葉」
ふと遥が優しい笑顔を見せた。普段はむすっとしていることの方が多い分、見慣れない表情に思わず照れてしまった。少し慌てて、
「そ、それじゃあ保存して印刷するよ。穴あけパンチとか用意して」
「りょうかーい」
一仕事終わって緊張の糸が切れたのか、いつもより声質も柔らかく機嫌が良い。
マウスを操作して印刷をクリックすると、少し古いプリンターがガシャコンと答えた。静かな部屋に原稿が吐き出される音が響く。封筒と穴あけパンチと黒紐を準備した遥が、僕の向かいに座った。
「ねえ、光葉」
「なに?」
モニターから遥へ視線を移す。遥の表情は少し固い様に見えて、何を言われるのかとドキリとした。さっきみたいに柔らかい表情の方が可愛いのに、と僕は思う。でも、見慣れた遥の表情が見れなくなるのもそれはまた違うか、とも思った。
「ちょっと珍しなって思ったから聞くだけだけど。別に答えたくないなら答えなくてもいいのよ? でね、聞きたいことがあって。ああもう。あのね、光葉が忘れ物をしたのって、最近あんまり部室に顔を出さなくなったのと、もしかして関係ある?」
歯切れ悪く言い
「――いや、関係ないよ」
「そう――。まあ大したことじゃないから、どうでもいいんだけどね!」
遥はコロリと表情を変えた。
「どうでもいいって、酷いなあもう」
一瞬だけ、部室の空気に冷たいものが走った気がしたが、
「最近、部活に顔を出せなくて悪かった。もうちょと早く指摘出来ていれば、もっといいアイディアを出せたかもしれないのに」
今日の僕は遥に謝ってばかりだな、と苦笑する。遥は、
「急にどうしたのよ。畏まっちゃって。まあ光葉が来ないなってずっと思ってたけど、小説の出来不出来まで責任を押し付ける気はないわ。結果として上出来なものが完成したわけだし? あたしが感謝するだけの話よ」
「それでもごめん。もっと周りを見るようにするよ」
「ふうん。まあ光葉がそこまで言うなら謝罪も受け入れるけど。ふふん、光葉も視野を広げてギャグ小説、書いてみる?」
遥が軽口を叩く。これでこの話はもう終わり、と言われた気がした。
「やめとくよ。ギャグでは遥には敵いそうもない」
僕は両手を挙げて降参のポーズを取る。
「あら。小説に勝ち負けはないでしょ? それに、お笑いに順位をつけるだなんて、それこそギャグだわ」
「いま、お笑いの賞レースをすべて敵にまわしたぞ。気を付けろよ、遥。西から狙われる」
「望むところよ! ぎったんぎったんにしてあげる。『面白い』を表現して、それが周りに受け入れられるかそうじゃないかってだけなんだから!」
勢いよく立ち上がり、拳を握りながらぶち上げる。
「遥――そこまでお笑いに懸けてたんだな。大丈夫。たとえ芸人デビューしてお客さんが全然来なくっても、僕が全部のライブに顔を出すからさ。売れるまでの辛抱だよ」
「芸人デビューしない! あたしは小説で勝負するの! それに、なんで周りに受け入れられない前提なのよ! 光葉の馬鹿!」
いつもの遥に戻って良かったと思う。言いたいことがあるのに言い
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