第一章 召喚管理局へようこそ

第1話 召喚はある日突然に

 閑静な住宅街の一室。スマートフォンのアラームが鳴り響き、一人の男性が飛び起きた。


「やべっ!七時かよっ!」


 男性はシャツのボタンを留めながら、階段を駆け下り、ダイニングテーブルでお茶を飲んでいた老婆に当たり散らす。


「ばあちゃん、なんで起こしてくれないんだよっ! 父さんも母さんも薄情だなあ」


 祖母の環は湯飲みをテーブルに置き、冷静に反論を始めた。


まこと、私は何度も起こしましたよ。でも、朝ご飯は炊かなくてはならないし、仏さんのごはんもお供えしないとならないし、あんたを起こすだけが朝の仕事ではないわよ。父さんはとっくに出勤したし、母さんはポチがあんまり催促をするから散歩に出掛けたわよ。というか、二十八にもなって誰かに起こしてもらうのが間違っているわよ」


 淀みなく、祖母の環が答える。


「でも、それでも孫が遅刻しそうになるまで起こさないのはちょっと……」


 真と呼ばれた男性は気まずそうに最後のあがきとして反論する。


「それに、寝坊したのは真が夜遅くまでゲームして、夜更かししまくって、爆睡していたからでしょ」


「ううっ」


「はあ、どうして今時のゲームの女の子はおっぱいが総じて大きいのかしらね」


「ぐはっ! ってなんで知ってんだよ! こないだも本棚のラノベ読んでたし! 勝手にいじるなよ!」


 反論するものの、図星を突かれたらしく真はトーンダウンして黙りこんだ。


「ほら、騒ぐ前に味噌汁だけでも飲みなさい」


「いや、要らない! とにかく支度する!」


 嵐のように真はダイニングから洗面所へ行き、派手な音を立てながら玄関を飛び出して行った。

 一人残された祖母の環は再びお茶の残りを飲み干し、食器の片付けを始めた。一通り洗い終わった頃、母の良子が犬の散歩から帰ってきた。


「ただいま。お義母さん、さっき疾風の如く駆けていく真とすれ違ったけど、こんな時間まで寝てたの?」


「ええ、起こしてくれなかった文句をつけてきたから、ちょっと鎌をかけて黙らせて出勤させたわ。やれやれ、入管職員になって立派になったと思ったのだけどねえ。おや?」


 環がエプロンを外して、仏間の隅のかごに入れようとして気が付いた。日当たりのいい窓際に、真の物と思われるタブレットと充電器が置きっぱなしになっている。どうやら寝坊だけではなく、忘れ物までしたようだ。


「またあの子は忘れ物して……しょうがないわねえ。多分これがないと一日が不便だろうし、届けに行きますか」


「お義母さん、そこまでしなくても。あの子の自業自得ですよ」


「いいわよ、健康のために動くわ」


「もう、本当になんだかんだ言って、真には甘いのだから」


 環は手提げ袋を取り出し、支度を始めた。忘れ物のタブレットには何か充電器が繋がっているからそのまま一緒に入れる。

 あとは家にあったお茶のペットボトルと、日焼け止め、読みかけの本にルーペ。財布にはお金を多めに入れればいいだろう。九月になっても、まだ気温は高いから塩飴や塩せんべいの袋も入れておく。


「じゃ、行ってくるわ。それから、毎回言いますけどね、仏壇の石が光っていたら私が帰ってこなくても捜索願いは不要です」


「わかっていますよ。でも、何十年も無いのなら大丈夫でしょう」


「わかりませんよ、一寸先は闇といいますからね。では、真を追いかけていきますか」



 成田空港のそばにある入国管理局。ここは、外国人の入国審査や在留資格の審査を行っている国家機関である。

 真は庁舎内を小走りになりながら、時計を見ていた。

「な、なんとか、ぎりぎり間に合ったな。今日は電車の乗り継ぎが良かったからかな」

窓口のデスクに座るとほぼ同時に番号案内機の無機質な音声が庁舎内に鳴り響いた。


 入国管理局の中でも真が勤める部署は外国人の在留審査だ。だから九時の開庁と共にビザの更新に次々と外国人が申請にやってくる。

 真の座る窓口にもそうやって更新手続きらしい人が座ってきた、はずだった。


「局長を出してください」


 流ちょうに日本語を話すショートカットの若い女性、見た目は二十代の日系人のように見える。しかし、チャコールグレーのローブのような服装。肩に掲げているカバンからは大きな水晶が見えているなんて、どっかの映画から出てきたような服装だ。どう見ても占い師か何かだ。


(ハロウィンにはまだまだ早いよな、まだ九月に入ったばかりだ)


 なんだか胡散臭い。しかし、テロリスト的な怪しさとか、不法滞在的な怪しさかと言うとそうではない。見たところ占い師に見えるが在留資格はあったのだろうか、司祭なら『宗教』か。或いは就労制限の無い日本人配偶者ならあり得るかもしれないが、こういう仕事着でビザ更新へ来るものだろうか。真は訝しげに目の前の外国人を見た。


「あ、あの、局長をお願いします」


 再び、女性は要望を口にする。もしかしたらクレーマーかもしれない。自分のビザ更新が認められなかった外国人が不服申し立てをするのも、ここでは日常茶飯事だ。


「ご用件はなんでしょうか」


 ここはとりあえず用件を尋ねる。いきなり上を出せとは穏やかではない。


「あ、アレクサンドルの代理で来たと言えば通じますっ」


 アレクサンドルという名前からして、他国の事務視察だろうか。しかし、国名も名乗らないのは不自然だし、行事予定には今月は視察予定はなかった。第一、この手の視察に来るのはおっさんが相場だ。こんな若い女性が代理、しかも一人で来るのはおかしい。

 それよりも他国職員がこんな司祭みたいな格好なんて聞いたこともない。第一これでは仕事しづらいだろう。


「局長は本日は不在です。今回はどのような件で来たのですか」


 無難にかわしつつ、追及するかのように真は問いかける。


「いいから出してください」


 話がちっとも噛み合わない。相手は思い通りに行かないためか、苛立った口調になってきたが、用件を明確に言わない。


「いえ、確認致しますので、えーと、担当者の名前はわかりませんか?」


 こりゃ、午前中はこの外国人との攻防戦になるなと覚悟を決めたその時。


「ああ、真! 良かった、窓口にいた」


 不意に聞き覚えのある声が割り込んできた。顔を向けると祖母の環が手提げを掲げて満面の笑みを浮かべている。


「ばあちゃん!? なんでここに?」


「あんたの忘れ物を届けにきたのよ……」


 環が真のいるカウンターへ近づいたその瞬間、外国人の掲げているカバンの水晶が光始めた。

「な……! バカな! 召喚石が何故……?!」


 外国人がうろたえたように光を抑えようとしているのか何かつぶやいているが、光は止まらない。


「まさか、爆弾か? 皆さん、伏せて! 」


 真はフロア一帯に通る声で呼び掛け、素早く祖母を見ると驚いたように直立不動で固まっている。


「ばあちゃん、危ないから伏せて!」


 水晶の光はもはや直視できないくらいに光り輝き、真は素早くカウンターを飛び越えて祖母に覆い被さるように庇う。


 しかし、予想していた爆発音や衝撃は襲ってはこなかった。強くつぶったまぶた越しから光を感じなくなったため、恐る恐る目を開けると見知らぬ場所に来ていた。

 石造りの床。よく見ると何かの模様が描かれている。回りは何かの宮殿か大聖堂のような荘厳な作りの中世風の建築。

 そばには先ほどの外国人が狼狽えている。


「さっきの奴……そうだ! ばあちゃんは?」


「重いわよ、真。早くどきなさい。あんた太ったのじゃない?」


 庇われて真の下敷きになった姿勢のまま、環は毒舌を吐く。


「ひどいな、ばあちゃん。孫が捨て身で爆弾から守ったのに」


 環を起こしながら、真が不満を漏らす。何のために捨て身で庇ったと思っているのだ。


「爆弾じゃないわよ、あれは」


「じゃ、なんなのさ」


「私が説明してもいいけれど、それはそこの人たちから聞いた方がいいのじゃないかしら」


 環が指した先には先ほどの外国人とは別の人物、短髪の黒髪に紺色のローブを纏った者が立っていた。しかし、彼の服には宝石や金糸が施され、高貴な身分であることが伺える。


「どういうことだ、チヒロ。帰還予定時刻よりも早いぞ。しかも、そんな若い者と老婆を喚ぶとは」


 喚ぶ? なんのことだろう? 真は事態を飲み込めずにそれぞれの人物を眺めた。

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