一番欲しいのは
(あ……花火、終わっちゃったみたい……)
さっきまで夜空を彩っていた大輪の花はなりをひそめ、今は足元に灯る小さな常夜灯だけが頼り。
ホテルの裏手に回ると、美しい日本庭園の脇に低木でこしらえた小径があった。その両脇にポツリポツリと灯る明かりが『星ふる丘』へと案内してくれる。
(俺の星を見せてやる……か)
己龍くんのメールにはそうあったけれど、真意はどこにあるのだろう。
たとえ何を言われても、ちゃんと向き合うつもりで出てきた。あたしは、あたしの気持ちを正直に伝えなきゃいけない。
黙々と歩いていくと、やがて道が開けて日本庭園の様相が一変した。
(うわぁ……!)
広がったのは、見渡す限り緩やかな丘が連なった芝原。三角帽子のような屋根のある瀟洒な東屋が、あちこちに据えられている。
(空を遮るものがない……。ここが星の降る丘)
ホテル自慢の施設だというのもうなずける。でも各所の東屋に宿泊客の姿は見えない。丘を上がって行くと、ちょうど中央辺りに位置する東屋の前に人影が見えた。
遠目にもわかる、すらりと背の高い男の人。その人はズボンのポケットに片手を突っ込み、身じろぎもせずに夜空を見上げている。
(己龍くん……)
心で呟いた声が届いたように、彼はふいに空からこちらに目を向けた。
「俺の星、当ててみろ」
東屋に灯る小さな明かりが、穏やかな彼の表情を映し出す。
「ええ……? こんなにたくさんの中から」
己龍くんの隣に駆け寄って、あたしは彼と同じように夜空を見上げた。
深い群青色の舞台に散りばめられたたくさんの星々。スプレーで描いたように空を渡る天の川。
「さそり座の
彼が指差す方向に目を移すと、一際明るい星が瞬いている。
「あ……あれ? ほら、あの少し赤っぽい大きなやつ」
「あれはアンタレス。その右隣の少し小さいやつがそうだ。俺はあの
凛々と振る星空に浮かべられた言葉。己龍くんの星は淡く優しく輝いて、地上のあたしを見つめていた。
「願い事しろよ」
「己龍くん……」
「お前の願いは俺か叶える」
夜空と同じ色をした瞳はあまりにも真っ直ぐで。この眼差しをあたしはもう受け止められない。
「だめ……。違うの己龍くん、あたし……!」
声を絞り出しうつむいた頭の上に、己龍くんの手のひらがポンと乗った。
「お前は俺を拒絶しなかった。なのに、なんでだろうな。少しも安心できない」
「……っ」
わかってるんだ、この人は。ちゃんとそれを感じている。
「お前の本心を知る事なんて簡単だ。もう一度捕まえて、抱きしめて……」
うつむいたままのあたしに降り注ぐ、遠くて静かな声。
「でも怖くてそれができねぇ……。自分でも呆れる」
低く揺れる声色はとても己龍くんのものとは思えない。彼の手のひらが離れていき、あたしは唇を噛んで顔を上げた。
「あたし、ちゃんと話さなくちゃと思って来たの」
「そうだな。俺もお前の口から聞きたい」
彼の親指が今度はあたしの唇にそっと触れる。
「娘娘の習性なんかより、俺はお前の言葉の方が信じられる」
「己龍、く……」
やっぱりあたしは、この人がとても大事で好きなんだと思う。もしかしたら最愛に近いところにいるのかもしれない。
(あの人がいなかったら……)
「うだうだ余計なもんはいらねぇ。お前が今、1番欲しいのはどっちだ。俺か……あいつか」
欲しい人。あたしが、今1番にその人の心が欲しいと願うのは。
「虎汰……くん……」
ふかふかで、抱っこするとお日様の匂いがして。女の子よりも可愛いと思っていたのに、いつの間にか男の子にしか見えなくなった。
「虎汰くんが……好きです」
小悪魔みたいにいたずらで大胆で、あたしに恋の熱を教えておきながら今は遠い。
「そうか。あの時はたぶん、拒否も何も考える間がなかったんだろう」
「ごめ……なさい……」
あたしの唇に触れていた指先が、頬を伝う涙を拭ってくれる。
泣くのはずるい。わかってるのに、胸が震えて勝手に涙が溢れてしまう。これじゃあ己龍くんも『振り回された』って怒りたくても怒れない。
「それでも、俺が欲しいのはこの先もお前一人だ」
頬に触れていた己龍くんの手が、突然あたしの背中を引き寄せた。
「!?」
一瞬で彼の胸の中に押し込められ、もがいても身動きが取れない。
「やっ……。己龍くん、なんで……!?」
「言っただろ、お前の願いを叶えるのは俺だ」
耳元で囁かれた言葉に、あたしの抵抗がピタリと止んだ。
「俺はこう見えて素直なんだが。アイツは見かけによらずひねくれもんだからな」
背後から芝を踏む音が猛スピードで近づいて来るのが聞こえる。
「さっき煉さんに車で俺たちの服を回収に行ってもらったんだ。その道案内に虎汰をつけた。戻ったら話があるからここへ来いと言ってある」
「それでわざとこんな事を?」
じゃあこの足音は。
でもきつく抱きすくめられて振り向くこともできない。
「たぶん、今更って気持ちと俺への遠慮。色んなもんがゴッチャになってる。半信半疑になってもアイツの性格上、今のスタンスは変えないだろう」
「それは……」
あたしも感じていた。
あの時の本が拒否ではなかったと知っても、一度は自分で追いやったあたしに今さら歩み寄ってくれるとは思えない。
「不意打ちでこんなシーン見せつけられりゃ、嫌でも素の自分がわかる。そこに一発、カンフル剤をぶち込んでやる」
駆け寄って来る足音が止まり、あたしは己龍くんにグイッと腕を引かれて後ろに隠された。
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