星に願いを


「……早かったな。血相変えてどうした」


 己龍くんの背中からそっと前を覗くと、数メートル先で彼が膝に両手をつき、下を向いたまま肩で息をしている。


(虎汰くん……!)

「出直して来い。まだこいつと色々……わかるだろ? 最中なんだ」


 からかうような物言いは本当に演技なのだろうか。口を挟みたくても、己龍くんの背中から『黙ってろ』オーラが凄くて声が出せない。


「……すぐ、消えるよ」


 うつむいたままの虎汰くんが息を切らしながらそう呟いた。その言葉に己龍くんの気配が明らかな怒りに変わる。


「やっぱりな……。まだそんな事」

「いつから己龍はボクのやる事にいちいち口出しするようになった? こんな茶番アホらしいし、お前には似合わないよ」


 ああ、やっぱり虎汰くんはこういう人なんだ。

 周りのお膳立てなんかお見通し、しかもそれはますます彼を遠ざけてしまう。


「ホントにてめぇはこじらすと面倒くせぇな!」


 弾かれたように己龍くんが前に出て、虎汰くんの胸倉を掴む。


「己龍くんダメ! やめて!」

「いつまでもガキみてぇにすねてんじゃねぇ!」


 でも虎汰くんが顔を上げた瞬間、振り上げた拳がピタリと止まった。


(え……? ええっ!?)


 睨むように目を上げた虎汰くんの左頬が、すでに赤黒くパンパンに腫れあがって片目は半分潰れている。


「お前……どうしたこの顔! まさかさっきの奴に!?」


 己龍くんが声を荒げて詰め寄り、あたしは……あまりの酷い状態に血の気が引いて今にも倒れそう。


「んなわけないだろ。あんなのに一発でも許すか」

「じゃあ誰にやられた!?」


 プイと横を向いて、虎汰くんが蚊の鳴くような声で答えた。 


「だから……煉さん」

「「煉さん!?」」


 あたしと己龍くんの叫びが見事にリンクする。


「前に心にも無い事言って夕愛ちゃんを泣かしたからって。さっき帰りに」


 嘘! うそウソあたしのせい!?


(お墓に行った時? あたしが、虎汰くんに”房中術を知りたかっただけ”だと言われたって話したから?)


 今度こそあたしはめまいがして、芝の上に浴衣で座り込んでしまった。 


「マジかよ……あの人に食らったのかコレ。怖ぇ……」


 己龍くんが怯えたように虎汰くんの顔を覗き込んでいる。


「頭、なくなったかと思った。しゃべるとまだ首から上、全部が痛い」

「だよな。撮影もあんのに、お構いなしか」

「あたしのせいで……。でもあんな優しい煉さんが信じられない……」


 思わずつぶやくと、二人が揃ってあたしを流し見た。


「いや……あの人、ああ見えて若い頃はヤバかったらしい」

「うん。今でも正月とか、見るからにアブなそうなオッちゃんたちが挨拶に来るんだ」

「そうなの!? あんなにふわわんってしてて!?」


 やっぱり煉さんってわかんないーー!


「次の撮影までには治る程度にしといたってさ」

「嘘くせぇな、その匙加減。でもこれじゃ俺にまで殴られたら死ぬな」


 虎汰くんが痛そうな顔をさらにしかめて、己龍くんを軽く睨んだ。


「当たり前だろ、壊れるよ。だいたいさ、この煉さんからの一発は仕方ないとして、なんでさっきから己龍はボクを殴る気満々なんだ」

「どうせウダウダ言うだろうが」

「何が。イミフなんだけど」


 首を傾げる虎汰くんに一瞬だけ眉をひそめ、己龍くんがため息をつく。


「夕愛の事に決まってんだろ。偏屈なお前の事だ、今さらだのなんだのウダウダ考えてスルーかと。今だってすぐ消えるとか言ったじゃねえか」

「だから、夕愛と一緒に消えるんだ」

(え……?)


 息を飲む己龍くんから離れ、虎汰くんはあたしの前にしゃがみ込んだ。


「夕愛、二人で話したい。やだって言っても引っ張っていくから」

「…………」


 ただ呆然とするだけのあたしは、虎汰くんに腕を引かれてよろよろと立ち上がる。


「確かに最初は己龍の言う通り、今さらボクの出る幕はないって思ったよ。さんざん酷い事も言ったし、でも」


 目の前の変形した顔が、あたしの瞳を覗き込んで笑った。


「でもダメなんだ。夕愛は嘘なんかついてなかった、そう思うと嬉しくて……息も出来ない」

「……!」


 笑顔が怖くないなんて、ずいぶん久しぶりのような気がする。それだけであたしも息が出来ないくらい苦しい。


 そして虎汰くんは、あたしの手を握って振り返った。 


「己龍と話したら夕愛を呼び出すつもりだった。ボク、夕愛に関してはひねくれる根性ないみたいだ」

「……ならもういい、好きにしろ。俺は部屋に戻って寝る」


 己龍くんが夜空の星を仰ぎ見ながら歩き出し、あたし達の横をすり抜けていく。


「ボクの方こそ己龍がウダウダ言ったらぶん殴ってでも黙らせるつもりだったのに」

「俺がなにをウダウダ言うって?」


 虎汰くんの真横で立ち止まり、己龍くんが片眉を上げる。


「……ボクが、夕愛を連れていくこと」

「言うか、バカ」


 ビシ!と虎汰くんの脇腹に彼の手刀が入った。低く呻いて身体をよじる虎汰くんを尻目に、彼は丘を降りていく。 


「あ、あの、己龍くん!」


 その後ろ姿に思わず声をかけると、彼の足がピタリと止まった。


「ありがと……願い事、叶えてくれて」

「……バーカ」


 肩越しに振り返ったその顔はとても怖くて。己龍くんの優しい気持ちが溢れてる。


(ありがとう。本当に、大好きだよ己龍くん……)


 虎汰くんと二人、小さくなっていく己龍くんをしばらく見つめていた。

 

 

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