おしえて娘娘

みんな娘娘


 ホテルの窓に、フラッシュのように虹色の光が映し出される。窓際のソファでじっと膝を抱えていた紫苑は、その色でふと我に返った。


(そっか、夕愛が花火もあるって言ってたっけ。いつから始まってたんだろ……)


 重い身体を奮い立たせて窓辺に寄ると、夜空の向こうで鮮やかに咲き散る華、柳、そして花束。


「綺麗……」


 ぼんやりと呟いたその時、部屋のドアがコンコンとノックされた。夕愛が戻って来たのか、それにしては早すぎる。

 訝りながらドアを細く開けると、そこにははち切れそうなTシャツの巨体とぽっちゃりフェイスが。


「ああ、きゃめか。どうした」


 次の瞬間、ガツン!とドアの隙間に亀太郎のスニーカーが突っ込まれた。


「えっ!?」


 反射的に閉めようとしたドアは挟まった靴にこじ開けられて、彼はいともたやすく部屋に侵入してきた。


「ちょ! なんなんだよいきなり、ビックリするじゃ……」


 ドゴン!と亀太郎の太い腕が紫苑のこめかみを掠め、彼女の背後の壁に突き立つ。


(……っ!)


 壁に追い詰められ、目の前で自分を見下ろすつぶらな瞳に紫苑は言葉を失った。


「紫苑くん……3秒ほどじっとして居たまえ」

「さ、3……?」


 すると彼のグローブのような手が、そっと、そーっと紫苑の額に触れる。……きっちり3秒。


「ふむ。やはり気持ちはグッチョグチョに乱れきっている。さもありなん、虎汰郎くんを好いていたキミにとって、さきほどの場面は決定的だ」

「きゃめ……、あんた知ってたの」


 目だけでうなずいて、彼は紫苑をじっと見つめた。


「だが夕愛くんもいつ戻って来るかわからない。ゆえに失恋の痛手に泣く事も出来ず、涙を飲み込んでいるというところか」

「……」

「そういうストイックな所も含め、キミは本当にオトコマエ女子だ。だが女の子なのだぞ」


 窓の外では花火の弾ける音が微かに響いている。あまりの図星に取り繕う事も出来ず、紫苑はただ唇を震わせた。


「泣きたい時は泣くといい。というわけで紫苑くん」


 亀太郎がバレエ立ちになり、すうー……っと両手を広げる。


「今夜限定……、僕の胸は絶賛貸し出し中だぬ」

「けっこうですまにあってますおとといきやがれ」


 彼のポーズがピタッと綺麗なYの字になった所で紫苑に冷静さが戻った。ナイス亀太郎。


「なんだ、いいのきゃ? 我慢は心と身体によくない。怒りでも哀しみでも、ある程度の吐露は必要なのだぞ」

「まあね……でも」


 紫苑はため息をついて、トンと壁に背中を預けた。


「泣くのはちゃんと告白してフラれた時って決めてるから。それが締めくくりっていうか……打ち上げ花火みたいなもんよ」


 その時は、何もかも自分のリミッターを外して。

 何か目的があってこそ今を頑張れる、負けを感じた試合でも全力、それが紫苑のスタイルだ。


「なるほど。では紫苑くん、スカッシュをやろうじゃないか」

「え、スカッシュって、部屋の中でやるテニスみたいなやつ?」


 突然の申し出に驚きはしたが、テニス部の彼女にとっては少々興味がある。


「ウチのホテルはそういうスポーツ施設も充実している。実を言うと最初からその誘いに来たのだ」


 亀太郎が自分の背中に手を回し小ぶりなラケットを二本取り出した。どうやら腰のベルトに差してあったらしい。


「泣かないのなら、これでスマッシュを決める度に悪口雑言を叫ぶがいい。きっと少しは気も紛れる」

「……いいね。考えてみればあんたも私と同じじゃん。脈はなさそう」


 ラケットを受け取り、紫苑がそのグリップを握りしめて苦笑する。


「いやいや、僕から言わせれば誰もみな焦り過ぎだ。今の星の巡りがそうでも、いずれ夕愛くんと繋がる日が来るやもしれん」

「星の巡り?」


 大きくうなずいて、彼はふと窓の方を振り仰いだ。


「人生は長い。きっと僕は夕愛くんが様々な経験を経て最後に辿り着く終着駅なのだ。つまり、全くちっともこれっぽっちも諦めてなどいない」

「……ストーカー」


 紫苑の冷やかな視線にも彼は全くもって動じない。


「ははは。さあ行こうじゃまいか。僕の華麗なテイクバックに度肝を抜かれるがよい」

「わかった。でももうチョイ動きやすい服に着替えていくから、先に行っててよ。一階のスポーツ棟だろ?」

「ザッツライト。では後ほど」


 亀太郎は着替えに行った紫苑の背中を見届けて、廊下に出た。

 さっきまで彼女を取り込んでいた鬱々とした気は、今は少し薄れている。


「頑張りたまえ紫苑くん。いつかキミも心から想う男と結ばれた時、きっと相手を心身ともに充実させ運気もあげる。……女の子は全て娘娘になれるのだよ」


 そうして亀太郎は、クルクルとラケットを回しながらスポーツ棟へ向かったのだった。


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