大好きが止まらない

 不意を突かれて立ちすくんだ。でも隣の紫苑ちゃんの顔をまともに見れない。


「あんな火が付いたみたいに怒った虎汰なんて初めてみた。昔、私も助けてもらったけど、それとは違う」


 その時、前方の笹藪がザアッと揺れて、蛇を巻き付けた大きな亀が滲むように姿を現した。


(亀太郎く……!)


 続けてその上に波打つ青い龍が、そして最後に白い大虎が現れて、こちらをじっと見つめている。


(逃げ切れたんだね……)


 玄武、青龍、白虎が、淡い光を放って薄闇の竹林に佇んでいた。でもやっぱり紫苑ちゃんにはそれが見えず、絞り出すような声で話を続ける。


「変だとは思ってた。前にも言った事あるよな。虎汰のやつ、坂田たちに囲まれててもその輪の中からいつも夕愛を見てた」


 それもてっきり己龍くんの事だと思ってた。そんな事、ちっとも気が付かなかった。


「うん……従兄妹じゃない。遠い親戚のようなものだけど、血は繋がってないの」

「そっか。なんか事情があるんだろ」


 うなずく事しかできなくて、あたしは上目遣いに三体の四神に視線を送る。変化してしまうと表情はわからなくなるけど、きっと話は聞こえているだろう。


「私さ、己龍には虎汰が好きだって話してあるんだ。それで色々相談したり。ほら、虎汰はポニーテールが好きだって教えてもらったからいつも結んでる」


 束ねた髪をツンと引っ張って紫苑ちゃんが笑う。でもその瞳は今にも泣き出しそうに揺れている。


「紫苑ちゃん、あたし」

「こめん夕愛、私すごく嫌な女だ。本当はとっくに知ってた。私が入り込む隙なんて無いってこと。……見ちゃったから」

(え……?)


 唇を震わせて、言葉を探して。

 いつも明るくあたしを照らしてくれていた紫苑ちゃんが、苦し気に目を伏せた。


「終業式の日、図書館で。あんたたちに本を投げつけたのは私」

「……っ!」


 思いがけない言葉に、あたしは両手で口元を押さえる。そうしないと叫び出してしまいそう。


「あの日、旅行のお金を渡すつもりだったのを思い出して教室に戻ったんだ。そしたら夕愛は図書館に行ったってクラスの子が教えてくれて、追いかけた」


 こちらを見ていた大きな白虎が、踵を返して霞むように消えていく。青龍と玄武を残して。


「夕愛を探して館内をウロウロしてたら、ひとつ隣の列の方から虎汰の声がしてさ。帰ったと思ってたからびっくりして本棚の隙間から覗いてみたら……あんたと一緒だった」

(いったいどこから見てたの? 聞いてたの? あたしたち、どんな話をしてた?)


 足がすくんで動けない。どこから見られてたとしても、本が降って来た時は……。


「はっきり聞こえたわけじゃないけど。虎汰が何かを試してみるって。己龍には譲らないって言って。……それで」


 蚊の鳴くような声で呟いて、紫苑ちゃんは言葉を切った。虚ろな彼女のまぶたにはきっとその時のあたしたちが映し出されている。


「私、頭ん中ぐちゃぐちゃで。やめてくれって思って、咄嗟に本をぶん投げちゃった。たぶん鬼みたいな顔してたと思う……」


 あたしはただ黙ってぶんぶん首を振った。だって『ごめんなさい』は違う気がするし、かと言って怒る立場でもない。

 紫苑ちゃんを傷つけた、それだけがはっきりしていること。


「慌てて逃げたけど、しばらくは立ち直れなくて。この旅行もやめるつもりだったんだ。で、しばらくイジイジしてたんだけど」


 顔を上げた彼女の後ろで、今度は青龍がスウッと消えていった。玄武はそのまま、笹薮の根元でじっと動かずに残っている。


「考えてみたらさ。私、最初からただの幼なじみで可能性ゼロって知ってたんだよね。こんな形で終わりにしたら、虎汰を失うだけじゃなくて……」


 あたしにピタリと視線を合わせた紫苑ちゃんが、はんなりと微笑んだ。


「夕愛ともこれきりになっちゃうだろうなって。それは嫌だなって思った」

「紫苑、ちゃ……ん」


 この人はやっぱりすごい。綺麗で優しくて、とても大きい。


「あーあ、なんで夕愛が泣くんだよ。もしかして私の気持ち知ってて、遠慮みたいなのしてたのか? なんかここんとこ虎汰とギクシャクしてるだろ」


 袖を顔に押し付けて、あたしはまた頭を振った。


 だって紫苑ちゃんの気持ちを知ったのはついさっきの事。知ってしまったのに、遠慮どころかますます想いは過熱する。


(やっぱりあの本はあたしの拒否じゃなかった……)


 心のどこかで、本が落ちてきた事に自分でも娘娘の拒否を疑ってた。

 これは恋じゃないのかなって。運命の人じゃないのかなって。娘娘は己龍くんを選べと言ってるのかなって。


(そんなの関係ない……! あたしは、あたしの気持ちを信じなきゃいけなかったんだ)


 ふわふわな態度がたくさんの人を振り回して、その結果大好きな人も遠ざけてしまった。もう遅いかもしれない。


「夕愛、失敗した福笑いみたいな顔になってるぞ。よくわかんないけど虎汰と仲直りしろよ。……好きなんだろ?」


 お母さん。今ならお母さんの気持ちが少しわかる。

 誰かを傷つけてると知っていても、大好きがとまらない――。


「うにゅ……。でぼ、ぢょっどからがってみだかっだだけっでいばれだぼ……。ぎりゅうんとご、いげって……」

「鼻水をなんとかしろ、浴衣で拭くな。ああもう……! なんだよ、そんな事になってたのか。悪かったよ、私には相談できなかったよな」

「ち、ちがうど! あだし……」


 紫苑ちゃんが巾着バッグからハンカチを取り出してあたしの顔にギュッと押し付けた。


「もういいから。この際、いろいろはっきりさせた方がいいよ。私は秋の交流戦で勝ったら予定通り告白する。それで気持ちの整理もつくと思うから」

「紫苑ちゃん…………、痛い」

「うるさい、鼻くらいつまませろ。あーくやしい。なんで恋敵の鼻水拭いてやってんだ、私は」


 ぎゅむぎゅむとハンカチであたしの顔を拭きながら紫苑ちゃんが笑顔を作る。


「なんでかな、夕愛なら仕方ないかって思えるわ。これが超可愛くて可憐で、どう見ても負けた!って女だったらやり切れないかも」

「はあ……。え、あの、それって……」


 やっと涙と鼻水が止まったところで、あたしのバッグからピロン♪とメールの着信音が鳴った。


「あいつらだろ。まさか捕まったとかいう連絡か? 見てみろよ」


 それはないはずだけど、紫苑ちゃんに急かされてあたしはオタオタとスマホを取り出す。メールを確認すると、それは己龍くんからだった。 


【己龍:ホテルに戻ったら星のふる丘にこい。俺の星みせてやる】

(星のふる丘……?)

「無事っぽいね。つーか、己龍も痺れを切らしたか。あんな虎汰を見ちゃったら確かに焦るよな」


 一緒にスマホを覗き込んでいた紫苑ちゃんが、おもむろにあたしの手を引いて歩き出した。


「とにかく一旦ホテルに帰ろう。面倒くさがりのアイツが腰を上げたんだ、行くんだろ?」

「……うん」

 

 己龍くんからの呼び出し。どんな星を見せてくれるかわからないけど、あたしもちゃんと向き合いたい。


 竹林公園を抜けるあたしたちの後を、玄武がシャカシャカと付いてきていた。



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