白地の浴衣


 車がホテルのエントランス前に着いた時、時刻はもう四時を回っていた。


「そうだ、夕愛ちゃんたちに渡すものがあったんだっけ。忘れてたよ」


 煉さんが車の荷台から大きめの紙袋を二つ下ろし、あたしに差し出してくる。


「これなに? ……あ!」


 紙袋の中を覗いてビックリ。そこには白地に青紫の朝顔がデザインされた浴衣が入っていた。


「え、え、なんで? わあ、こっちは紺色の浴衣……可愛い! 煉さん、どうしたのこれ」

「前にラブミーの撮影で使った浴衣のセットだよ。夕愛ちゃんにあげようと思って、持ってきておいたんだ」

「ラブミーの!?」


 紙袋と煉さんの顔を交互に見て、あたしは眉をひそめる。


「持ってきてって。煉さんもなにかラブミーと関係あるの?」

「言ってなかったっけ。僕、ラブミー本誌のレイアウトとかエディトリアルデザイン全般、担当してんの」

「初耳ですけど!?」


 この人って本当にオトボケさん!

 前に虎汰くんと己龍くんが『ラブミーのお偉いさんと知り合い』って言ってたのは煉さんの事だったんだ。それにしても。


「ラブミーに載ってた浴衣なんてスゴい。やぶぁぁい!」

「はは、喜んでもらえて良かった。ひとつは紫苑ちゃんにね、作り帯と下駄も入ってるよ。この後みんなでお祭りに行くんだろう?」

「はい。ありがとう煉さん、すごく嬉しい!」


 あたしが紙袋をギュッと抱きしめると、煉さんは穏やかに目を細めた。


「僕はどうにもタイミングが悪い。もっと早くか、遅く生まれれば良かったな」

「え、どうして?」


 答える代わりに、大きな手があたしの頭をぐりぐり撫でる。


「独り言。紫苑ちゃんが待ってるから早く行きなさい。僕も車を駐車場に置いたら部屋で少し休むから。お祭り、気を付けて行っておいで」

「あ……今日はずっと運転で疲れてるよね。ごめんなさい、ゆっくり休んでください」


 煉さんが車に乗り込むのを見届けてから、あたしは言われた通りホテルの部屋へ急いだ。

 

(確かあたしたちの部屋は7階。……え、7階の何号室?)


 部屋のナンバーを聞いていなかった事を思い出したのは、エレベーターで7階に上がってから。ポーンと柔らかい電子音が到着を告げる。


(やだもう、あたしのバカ。紫苑ちゃんに電話して教えてもらおう)


 エレベーターの扉が開くと、すぐ前の自動販売機で飲み物を買っていた人がこちらを振り返った。


(……っ!)


 あまりの不意打ちに、一瞬息が止まる。


「ああ、お帰り夕愛」

「た、ただいま……虎汰くん」


 煉さんから色々聞いてしまって、ますます虎汰くんの顔をまともに見れないと思っていたらイキナリの対面。心の準備すら出来てないのに。

 

(どうしよう、通り過ぎちゃったら変かな。でも部屋がどっちかわかんないし)

「遅いから少し心配してた」

「え?」


 彼の背中がそう言い、出てきた炭酸飲料を取り上げてまた自販機に小銭を入れている。


「えと……心配かけてごめんなさい」


 ガシャン!と次に取り出し口に落ちてきたペットボトルを、虎汰くんはあたしに差し出した。


「己龍だよ、心配してたのは。はい夕愛の分」


 渡されたのはあたしの好きなミルクティー。優しいけれど、そのセリフは距離を置いているのがありありとわかる。


「ありがと……」


 虎汰くんがニッコリと笑うと最近のあたしは悲しくなってしまう。どうしてもそれが作り物のように見えてしまうから。


「あれ? その紙袋なに、どうしたの」


 あたしの腕から下がるそれに目を留め、虎汰くんが首を傾げた。


「煉さんがあたしと紫苑ちゃんにって……浴衣をくれたの」

「ああ、これボクが前に撮影で着たヤツだ。こっちも。あはは、買い取ったのか持ってきちゃったのか」


 紙袋を覗き込む彼が近くて、思わず胸がギュッと痛くなる。思えば二人きりで話したのは、あの夏休み直前の図書館以来だ。


「確か読者に人気だったのは紺の方だったかな。臙脂の帯で地味派手っていうか。でもこっちの白も、帯が渋めの黄色で粋だと思……」

「あたし白がいい」


 ポツリとこぼれたあたしの声に、虎汰くんが言葉を切ってこちらを見た。そして我に返ったように傍から離れる。


「やっぱりあたし、白い方がいいの……」


 白地に朝顔の柄、そして誰かさんの瞳と同じオリーブ色の帯。煉さんに渡された時から、あたしはすぐに白虎を連想して着るならこっちがいいと思っていた。


「別に。どっちでもいいけどね」


 虎汰くんから笑顔が消え、もうあたしを見ようとはしない。


「祭りに行く仕度するんだろ? さっき紫苑ちゃんもそう言って部屋に戻ったよ。それまでボクと亀と下のゲーセンで遊んでたんだ」


 踵を返して、彼は廊下を戻り始めた。その後に慌ててついていく。


「己龍くんは?」

「あいつはここに着いてから部屋でずっと昼寝してるよ。そろそろ起こして仕度させる」

「え?」


 ふと違和感が胸を掠め、あたしは思わず立ち止まった。


「ずっとお昼寝? だって己龍くん、あたしを心配してたってさっき」


 息を飲む気配。けれど虎汰くんは足を止めず、その先の部屋のドアに手を掛けた。


「夕愛たちの部屋はそっち、712号室。ボクたちは711だから。六時に下のロビーに集合だよ」


 ジーンズのバックポケットから虎汰くんがカードキーを取り出す。


「ま、待って虎汰くん」 

「ああ、亀太郎も来るみたいだよ。じゃあまた後で」


 背を向けて鍵をドアに挿しこもうとする彼に、あたしは夢中で追いすがった。呼び止めたところで何を言いたいのか自分でもわからないのに。


「お願い待って、あたし……!」


 ほんの小さなものだけど、悪意のあるものでもないけれど、やっぱり虎汰くんは嘘をつく。でも今みたいに、ちょっとした隙にこの人の本音が見える時もあるんだ。


(あたしだめだ、どんどん都合よく考えちゃう。こんな小っちゃい事が嬉しくて聞きたくなっちゃう。あたしのことホントに嫌い……?)

「なに、なんか面倒くさい勘違いしてる?」

「……っ」


 こちらを見下ろす冷やかな瞳に、喉まで出かかった言葉が凍りつく。


「ボクは星宿持ちだから、本能的に娘娘を心配する事もあるの。でもそれだけだよ。勘違いされるのが嫌だからああ言っただけ」


 自分の図々しさに、顔が熱くなって今にもパンって弾けそう。

 ”そんなコトわかってるよ”って笑って誤魔化したいのに、唇が震えてちっとも上手くできない。


「なんだよその顔。マジで勘弁して。まるでボクがいじめてるみたいだ」


 冷たい視線を困ったように緩ませて、虎汰くんは長く息を吐いた。


「あのさ夕愛、ホントにもう変な気を回さなくていいんだ。思い出してよ、ボクはあの時拒否られた。受け入れられたのは己龍。それが夕愛の本心なんだよ」


 違うと言いたいけど、あの時の足音は本当にかすかな気配だった。虎汰くんに聞こえなかったのなら本当に空耳だったのかもしれない。


 だったらあたしのこの気持ちは何? もう何もかもがわからない。


「ボクに対しては悪いような気がしてるだけ。もっと真っ直ぐ、己龍を見てやりなよ」


 泣かないだけ自分を褒めてあげたい。でももしかしたら外は雨かも。


「あたし、前の娘娘の……お母さんの話聞いたよ」


 ふいにそんな言葉がでた。虎汰くんの眉が一瞬だけピクッと揺れたように見える。


「煉さんか」

「あたしが強引に聞き出したの。知らないままじゃダメだと思ったから。そしたら、虎汰くんの言うとおりだった」


 そこに嘘はなかった。疎ましく思われても無理はない。


(そうだよ、虎汰くんは最初から嘘なんて言ってない。なにもかも、あたしが認めたくないだけで)


 本気じゃなかったって。ちょっかいは出したけど、相手が己龍くんならどうぞって程度のものだって。


「だから、ごめんなさい。全部あたしのせいなの。あたしが生まれるために、きっと星はお母さんとお父さんを繋いでしまったんだと思う」


 ペコリと頭を下げても、傷ついた人たちの何かが変わるわけじゃない。それでもバカなあたしはこんな事しか自分に出来る事を思いつかない。


「……だったら仕方がないね。ボクたちは特に、星の影響をモロに受ける存在だから」


 下げた頭の上でピッと電子音が聞こえ、虎汰くんは自分の部屋に入って行った。


(星はあたしに、虎汰くんじゃなくて己龍くんのところに行くことを望んでいるのかな)


 でも己龍くんには紫苑ちゃんが想いを寄せてる。


 わからない、わからない。

 恋が星の成せることなら、みんなみんな、想う人に想われるようにしてくれればいいのに。


 その時、あたしの後ろでカシャンと712号室のドアが開いた。


「あー、やっぱり夕愛じゃん。おかえり。なんか廊下で話し声が聞こえたような気がしたからさ」

「紫苑ちゃん……。あ、あのね、煉さんがあたしたちにこの浴衣をくれて」

「え? うそマジ!? ちょっとコレ、超可愛いじゃん!」


 その後、大喜びの紫苑ちゃんと二人で苦労しながらも浴衣を着せあった。

  

 そして神々を祀る夏の祭りが始まる……。



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