星が繋ぐ人


「信じたかどうかはわからないけど、乃愛は高校卒業と同時に渉さんと東京を離れた。信州にいる事がわかったのは、彼女がすい臓癌で亡くなった時だった」


 話はお母さんの病気の事に移っているのに、胸の動悸が収まらない。

 よく似た言葉でも煉さんのは嘘で、虎汰くんのは本当。だって立場も状況も違う、でも。

 

「あたしも房中術を知りたかっただけって言われたの……」

「うん?」


 今度は煉さんが眉をひそめて聞き返してくる。こんなこと話しても仕方がないけれど。


「女の子なんてみんな同じだから、どうせならメリットのある娘娘を落としてみたかったって。娘娘は好きな男を手に入れる為には手段を選ばないって……」

「へえ……それはまた。虎汰くんだね? そういうコトいうのは」


 笑いを含んだ声色に小さくうなずいた。


「あの子は母親が仕事で忙しくて、ほとんど葵姉ぇが面倒みてたからな。……それに自分のせいで葵姉ぇが事故に遭ったと思ってる」

「え? 事故って」

 

 虎汰くんが彼女の名前を口にした時が思い出される。『葵さんを傷つけて愛を得た娘娘』そう言った彼の目はどこか虚ろに見えた。


「彼らが小学部に上がってすぐだったかな。遊びに行ったきり帰らない二人を探しに出て、葵姉ぇは居眠り運転のトラックにはねられたんだ。当時の新聞にも【交差点での大惨事、死傷者十数名】ってデカデカと載ったよ」

(死……!)


 そうだったんだ。


 幼い頃から慕っていた人は娘娘のせいで辛い想いをし、そして次は自分のせいでこの世から消えてしまった。

 その自責の念も相まって、葵さんは彼の中で消えない痣のように残っているのだろう。


「それ以来、虎汰くんは表向きはやけに聞き分けのいい、そつのない子になった。本音はいつも笑顔の下に隠してる。それがわかるのは己龍くんくらいかな」


 ケンカばかりしてるように見えて仲のいい二人。

 従兄弟で幼なじみで同じように四神を宿し、同じ大事な人を失った哀しみを共有してきたから……。


「でももう子供じゃないんだ、娘娘の事はとっくに消化してるはずだよ。言われた事が気になるなら己龍くんに相談してみたら」

「そ、そんな。己龍くんになんて……聞けないよ」

 

 虎汰くんに『己龍のとこ行け』って言われたけど本音だと思う? なんて聞けるわけがない。 


「じゃあ自分で判断するしかないね」

「……はい」


 判断ってなんだろう。ただあたしは、彼の冷たい言葉を信じたくないだけで。想いが届かない事を、認めたくないだけじゃないかな……。


 ふいに、開け放った窓から涼やかな風が通り抜けた。それは草の香りをはらんで、霊園の丘から吹いて来る。


「……お母さんが呼んでる」

「そうだね。気分は良くなった? 身体が大丈夫なら行っておいで」

「あたしだけ? 煉さんは?」

「後から行かせてもらうよ。まずは母娘二人だけで話すといい」


 うなずいて、あたしはここに来る途中で買い求めた献花を手に車から降りた。


(西日が暑い……。お母さんが亡くなった日も暑かったっけ)


 お母さんが入院する事になり、寂しいと言って泣いたのは確か桜の季節だった。

 それからたった数か月で逝ってしまったのだから、すい臓癌と分かった時はもう手遅れだったのだろう。


「こんにちは。お線香いただきます」


 霊園の管理人さんに挨拶をして、お線香を分けてもらう。管理室の前にはお墓参りに来た人が自由に使えるようにそういった物が用意されている。


 なだらかな芝の丘に様々な墓石が鎮座し、大げさな仕切りなどほとんどない。その間を縫って歩く事、ものの五分。

 お母さんのお墓は丘を少し上った所で、大きな胡桃の木が傍にあるのが目印。深い臙脂の御影石で出来た墓石には方丈家とだけ彫られている。


(お母さん、来たよ)


 各所に置かれた水桶を借り、持ってきた花を花立に飾り……黙々と一通りの作業に取り組んでいると、またさっきと同じ緑の風が吹いた。


「……やだな、心配しないで。お母さんのこと怒ったりしてないから」


 一人つぶやいて、あたしは観念したようにお墓の正面に立った。


「だってお母さんだって辛かったよね。こんな変な体質で、しかも相手のいる人を好きになっちゃって」


 記憶の中にあるお母さんは、優しくて可愛らしい人だった。いつもコロコロ笑ってて、抱きしめてもらうとお日様の匂いがした。


「でもいいなぁ。お母さんは好きになった人に気持ちが通じたんだもん。あたしはフラれてばっかりでさ……あ、でもお母さんも昔はそうだったはずだよね」


 もしお母さんが生きていたら、こんな風に恋の相談をしたのだろうか。世の中の普通の母と娘はそんなことしないのかな。


「あたしには難しいみたい……。恋も、お母さんから受け継いじゃった娘娘の体質も。もう、両方ともいらない……!」


 声を震わせたその時、視界の端に虹色に輝く大きな鳥が見えた。


(あ……)


 緑の丘の上空を、滑るようにこちらに向かってくる焔を纏った尾長鳥。それは霊力の火の粉を降らせながら、夏の空に虹をかけるように真っ直ぐやってくる。


(朱雀……、煉さん)


 ごく自然に、あたしは片手を高く掲げた。熱くて触れないと思っていたけど今はわかる。波長を朱雀に合わせればいいだけ。

 あたしの手を止まり木にして焔の朱雀が舞い降りる。途端に感じるのは、温かくて優しい魂の繋がり。


「ごめん夕愛ちゃん、さっき一つだけ君にも嘘をついた」

「嘘……?」

「乃愛がここに移り住んだ事、本当は最初から知ってた。病の事が知れた時も、何度も何度も病院にこっそり様子を見に行った……心配で苦しくて、会いたくて……!」


 嗚咽のように朱雀のくちばしから想いがこぼれる。お母さんのお墓の前で、きっとそれは嘘偽りのない真心。 


「でもね、いつ行っても傍に渉さんがいるんだ。真夜中でも早朝でも……乃愛の手を握って玄武の気を送り続けていた。知ってるかい? 治癒や安定の気は四神の中で玄武が一番優れていること」

(……!)


 そうだった。駅で骨折した人を亀太郎くんが治してあげた時、そう聞いた覚えがある。


「それを見て感じたよ。おそらく乃愛の身体にはとっくに病の兆候があったんだ。渉さんの傍で心を繋いだからからこそ、その進行は緩やかで君を産み育てる時間が残された」


 ザザアッ……と、風があたしと朱雀を取り巻いて通り過ぎていく。


「たとえどんなに関係の糸が絡まっても、星は運命に従ってその者に相応しい相手を繋ぐ。僕じゃダメだったんだと、その時知った」

「煉さん……」


 星は、運命に従って相手を繋ぐ。

 あたしの星もいつか誰かの星とつながる時が来るのだろうか。


「だから君も何も焦ることはないんだ。今は泣いたり笑ったり悩んだり、たくさんすればいい。それも幸せをつかむ訓練。勉強だよ」

「勉強……苦手なんだもん」


 燃える尾長鳥が翼を広げてハハハと笑う。つられてあたしもつい声を上げて笑ってしまった。


「それでいい。夕愛ちゃんが笑うと空も透き通るよ。これで大事な娘の身元引受人として認めてもらえるかな? ……乃愛」


 さっき飾った花が風に揺れてさやさやと鳴る。


 その音は記憶の中におぼろげに残る、お母さんの子守歌に似ていた。



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