まさかの朱雀


「え……? ええと、……ええっ!?」


 慌てて備え付けのティシューで鼻を拭きながら、あたしは目を白黒させる。


「お、なんかいつもの夕愛ちゃんっぽくなってきたね。よしよし」

「よしよしじゃなくて! も、元カレって? だってお母さんがお父さんと結婚したのって……えと、16年くらい前? その前の彼氏って」


 今、煉さんはおそらく25、6歳。じゃあその頃はどう考えても小学生ですよね!? しかも10歳以下!


(お母さんがあたしを産んだのが確か20歳の時。ギリギリを考えても19のお姉さんと10歳足らずの男の子のカップル!?)


「ないナイ無い! 年下すぎ!」

「ははは、まあ確かに僕のが2コ下だけど、乃愛ってポーッとしてる子だったし、彼女の方がよっぽど幼かったよ」

「…………」


 まてマテ待って。

 いつも思うけど、この人はなんというか一番いろいろワカラナイ。


「煉さんって……何歳なの?」

「ん? いま34」

「うそっ!」


 見た目より全然イッてるーー!?


「あ、もっと若く見えてた? なんか朱雀の宿主ってみんなそうらしい」


 そうなの!? なんて羨ましい特性!


「何度も蘇る不死鳥とは別物のはずなんだけど、そういうトコみると少しは関係あるのかねぇ」


 のほほんと答える煉さんは虎汰くんや己龍くんに良く似たイケメンで、やっぱり彼らのお兄さんくらいにしか見えない。……でも。


「じゃあホントにお母さんと……?」


 ふと寂しげに微笑んで、彼は缶コーヒーを飲み干した。


「四神の関係者には独自のネットワークがあってね。乃愛に九天玄女が宿ってる事が知れた時、学費を免除して彼女を東雲学園に呼び寄せたんだ」

「え、ウチの学校に? それって」

「東雲学園の創設者は四神の宿主。あそこは星宿を持つ子供がトラブルなく学べるように設立された学校なんだよ」

 

 ……本当に驚く事ばかり。

 お父さんが東雲学園を指定したのも、あたしが虎汰くんや己龍くんと同じクラスになれたのも、そういう裏事情があったからなんだ。


「彼女が編入してきた時、僕はまだ中等部で会う機会もほとんどなかった。でも下の姉貴が乃愛と同じクラスでね、家に遊びに来るほど仲良かった」

「下のお姉さんって……虎汰くんのお母さん?」

「そう。綾女あやめというんだけど、『あんた朱雀でしょ。乃愛の面倒みなさい』って命令された」


 クスクスと楽しそうに、煉さんは思い出を話してくれる。


「体育祭では男女混合の騎馬戦があったな。心配してたらやっぱり乃愛と綾女姉ぇの騎馬がもみくちゃにされちゃってさ、飛び出して行って周りの男どもを蹴散らした事がある」

「ええ!? 中等部の子がいきなり競技に乱入しちゃったの?」

「だって乃愛があんな大勢の男どもに触られたら、とんでもない事になるじゃないか。おかげで停学食らったけど、綾女姉ぇだけは良くやったって誉めてくれたっけ」


 想像するしかない、高校生のお母さんと美少年だったであろう中学生のやんちゃな煉さん。

 綾女さんはきっと虎汰くん似の美人で、はきはきとした女の子だったのだろう。

 

「最初は娘娘の保護をしてるつもりだったのに、いつの間にか僕の世界は乃愛が全てになってて。で、僕が高等部に上がった時……ちょっと強引に彼氏に収まったんだ」

「強引って?」


 すると煉さんは、とんでもなく艶っぽい微笑みであたしを流し見た。


「……内緒」

(ふぉ……っ!)


 あああ、やっぱりこの人も強敵だ! お母さん、何があったか知らないけど、お察しします。


(でもお母さんはその後、こんなカッコいい煉さんとお別れしたんだ……)


 お父さんを好きになって。


「こんな話、娘の夕愛ちゃんからしたら嫌かな。ごめんね、つい懐かしくて」

「ううん。あたし聞きたい。お母さんの事、それから……お父さんや葵さんの事。ちゃんと知っておきたい」


 そうでないとあたしは迷子のままで、どこに向かえばいいのかもわからない。


 煉さんは静かな瞳であたしの頭をそっと撫でた。


「君は乃愛によく似てるよ。心の動きが全部顔に出る。楽しいも嬉しいも、不安も悲しみも……。きっと心変わりも」

「……!」


 あたしを見つめながら、煉さんの瞳は遠い過去の恋人を見ている。別の人を好きになって、戸惑いと申し訳ない気持ちを映した乃愛の顔を。

 寂しげに、でも愛おしげに。

 

「良くある話だよ。その年の正月、新年の挨拶に来た渉さんに乃愛を紹介したんだ。その時から乃愛の様子がおかしくなった。玄武の宿主に少し惹かれてるだけだと思いたかったけどね……」


 ふと窓の外に目をやり、煉さんが緑の霊園に向かって続ける。

 

「渉さんもその頃は医師免許国家試験を控えてて。葵姉ぇの婚約者とは言っても、正式な結納はまだだった。だから別れる事自体は話し合いだけで済んだだろう」

「だけって……。そんな簡単なはず……」


 あたしが小さく口を挟むと、彼は長く息を吐いてクスリと笑った。


「そうだね。葵姉ぇは見る間にやつれたし、僕も兄のように慕ってた渉さんに恋人を奪われたんだ。簡単なわけがない。でも……」


 それきり言葉は途切れ、長い沈黙が降りる。

 急かす事なんてできるはずもなくて、あたしはただ黙って煉さんの横顔を見つめた。

 

「乃愛がごめんなさいと言って泣くと、僕も苦しいんだ。彼女の痛みがそのまま僕にリンクする。娘娘と四神の星宿は繋がってるから」

「煉さん……」


 そうなのかもしれない。だって今あたしの中に、煉さんの想いがわずかに流れ込んでくる。少し懐かしくて、遠い痛みが。

 

「だから言ってやった。『僕は遊びだった。房中術を教えてもらいたかっただけだよ』ってね」

「えっ!?」


 覚えのある痛い台詞に、あたしの胸が悲鳴を上げた。


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