遠い笑顔


 あれから十日余りが経って、今日はもう終業式。明日からは待ちに待った夏休みになる。


 あの時、坂田くんは一応病院で精密検査を受けたけれど特に異常もなく、あたしへの気持ちもキレイさっぱりなくなっている。

 表向きは何もかも元通り、これまでと何も変わらない。


 でも、やっぱり恋する乙女には漠然とだけれど意中の彼のわずかな違いがわかってしまうみたい。


「夕愛ってさ、本当にイトコなのか?」

「えっ!?」


 終業式も終わって、あとはホームルームだけというユルみきった教室の中。

 紫苑ちゃんのイキナリの質問に、あたしの口からピョコッと心臓が半分くらい出た。

 

「ななな、なに急に……そそそれは、その」

「なんとなくだけど。あいつらって夕愛のコト、普段からものすごく気にかけてるじゃん。特に最近……目つきがちょっと今までと違うかなって……」


 うつむいて、彼女が手にしたタオルハンカチを弄ぶ。伏せた瞳に寂しげな色を滲ませて。


「夕愛は気付いてないかもだけど、時々じっとこっちを見てるんだ。なんつーの? 見守る、みたいな目してさ……」


 ボコッと、心臓が三分の二までお外にコンニチハ。


 実はあたしも気付いてた。

 あの日以来、己龍くんはやけに優しい目で楽しそうにあたしを見ている。それをあまり隠そうともしない。


「ただのイトコにあんな目するのかなって。私にだって従兄妹はいるけど、そんなのあり得ないし」

「い、いえ、あああたし、あたしたちはそんな……」


 そんな、その先は何? これ以上嘘を重ねて紫苑ちゃんを騙していくなんて……でもぉぉぉ!


「……なんてな。ごめん夕愛、変な事言って。告白するって決めたら、なんかムダに臆病になっちゃってさ。こんなのおかしいよな」


 ハンカチで口元を隠して、泣き笑いのようにエヘヘと笑う紫苑ちゃん。可愛くていじらしくて、もうこっちがおかしくなりそうだよ!


(それに比べてあたしはなんなの? いまだに己龍くんとホントに『成立』なのかわかんない)


 あの時、確かに地震が収まった。あんなコトされたのに拒否反応はなかった。それなのに、どうしてだろう。


(ごんぎつね……)


 あたしはごんぎつねの本が入ったスクールバッグに目を落とした。結局コッソリ図書館に戻すことが出来ないまま、バッグに入りっぱなしになっている。


 ”やっぱり撃たれた” あの時、確かに虎汰くんはそう言った。あれはどういう意味なんだろう。

 彼はあんな場面を見てもいつものように笑ってた。今も変わらず優しいし、家でも話しかければ普通に応えてくれる。


(でもあれ以来、例のレッスンもパッタリなくなって、白虎になってもあたしの膝には乗ってこない)


 フカフカでイタズラで、ちょっぴり意地悪な時もあった虎汰くん。それがあの日を境に、優しくて可愛いだけのぬいぐるみのよう……。


「ゆーあ! ボク今日、用事があるから先に帰ってて」

「はぅっ!?」


 ガボッと、今度こそ心臓が全部飛び出したかと思った。たった今、頭の中に居た人がいきなり目の前に現れたら、誰でも絶対そうなる!


「ここ虎汰たたた……!」

「なんだよ虎汰、また坂田とかメイたちとカラオケか? 好きだなぁ」


 紫苑ちゃんがちょっぴり棘のある口調で、彼の横顔に言った。


「ん? 紫苑ちゃんも行く?」

「行かない。私、部活あるし」

「あは、そう言うと思った」


 すげなく断られても虎汰くんはやっぱりニコニコ笑ってる。そしてその笑顔があたしに向けられた。


「そんなワケだから、よろしく」

「あ、あのっ! 虎汰くん最近……忙しそう、だよね」


 ついそんな言葉が出てしまったのは、こんな風に一緒に帰らない日が増えたから。それだけじゃなく、休みの日も一人で出かけてしまう事が多くなった。


(もしかして、あの事であたしのお守りはもう己龍くんに任せればいいと思ってる? 清々してる?)

「そうかな、別に普通だよ。……ちょっと面倒事が減ってさ、自由に遊べるようになっただけ」

「……!」


 自分でもびっくりするくらい唇が震えた。自分でもびっくりするくらい、今ズキッって胸が。


(それは、あたしの事?)


「……なんて顔してんの。たぶん夕飯もいらない。煉さんにそう言っといて」

「わ、かった……」


 虎汰くんがニッコリ笑う。その笑顔はなんだかすごく遠い。


「あ、先生きた。じゃ夕愛、頼むね。紫苑ちゃんは部活頑張って」


 紫苑ちゃんのポニーテールをいたずらっ子のようにツンと引っ張って、彼は自分の席に戻ってしまった。


「あぁ、もう……虎汰のばか! 今日はけっこうキレイにまとまったのにー」


 口調は荒くても紫苑ちゃんは笑ってる。虎汰くんの周りの友達も笑ってる。


 あたしもそうだった。彼が可愛くじゃれてくると癒されて、時々現れる小悪魔にドキドキ困らされても、結局最後は笑っていたと思う。


(それなのに、いつからあたしは笑えなくなったの……)


 担任の江藤先生が教室に入って来るとすぐに号令がかかり、ホームルームが始まる。

 お決まりの夏休みの注意事項、宿題の確認、そして成績表が渡される間、あたしはずっとぼんやりそんな事を考えていた。


(そうだよね。今まで虎汰くんは、あたしのせいで自分の時間を潰されてたんだ。じゃあこれからは?)


 やがて教室に解放感なざわめきが湧き上がっても、頭と心の霧はいっこうに晴れる気配はない……。

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