賭けと成立


「どうしよう。あたしのせいで坂田くん、あんな怪我……!」


 涙が溢れる。

 どうしてあたしはこんな事で誰かを傷つけてしまうんだろう。どうしてこんな最凶な女の子なんだろう。


「あれはお前が悪いんじゃない。避けられなかった」

「坂田くん……坂田くん……!」


 胸を押さえてもう一度手の甲をつねっても彼を想う気持ちが消えない。うつむいたあたしのおでこに、ふわりと手の平が触れる。


「まだダメか……。深呼吸しろ、俺の気に波長を合わせるんだ」


 己龍くんが床に膝を付き、静かに青龍の気を通し始めた。


「消しちゃうの……? この気持ち」


 柔らかかった藍墨色の瞳がわずかにその気色を変える。


「当たり前だろう。お前のそれは」

「わかってる。わかってるけど、でも坂田くんを消さないで……」


 涙が止まらない。自分の中で二つの想いがせめぎ合ってる。彼を好きだという気持ちと、錯覚だと訴える気持ちが。

 

「さっきの不運は強烈だった。だからお前はいつもより坂田に執着してるだけだ」

「ホントにわかってるの……それなのに、この気持ちが消えちゃうのは苦しい」

「消す。それは娘娘の迷いだ、残らず消してやる」

「嫌だってば!」


 強く流れ込んできた青龍の気から逃れようと、おでこに触れる己龍くんの手を掴んだ。


「やめてぇ! 己龍くん……あたし許さないから。そんな事、絶対許さない!」

「好きにしろ」


 おでこを掴む手がどうやっても外れない。あたしの気持ちを踏みにじる己龍くんが憎く思えてくる。


(憎い? おかしいでしょ、己龍くんはあたしの為に。でも坂田くんを消そうとするなんて……!)


 ガタガタと机が、パソコンが揺れる。それだけじゃない、LL教室の全てが校舎が振動し始めた。


「地震? 娘娘の拒絶か!」

(嘘っ!)


 この地震もあたしのせい? このままじゃ学校中どころかこの辺り一帯の人たちに被害が出るかもしれない。


「坂田くん……」


 あたしは舌を噛んだ。きつくきつく、震えるほどに。


「ダメだ、舌は噛むな。そんな事しなくていい」


 あたしの頬を両手で挟んで、己龍くんが苦し気に顔を歪める。でもこれで正気に戻らなかったらもう……!


「もし噛み切ったりしたらどうする!」


 泣きながらあたしはただ狂ったように頭を振るばかり。


「やめろ……、やめろ夕愛!」


 涙で滲んだあたしの視界が藍墨色の瞳に覆われ、震える唇に己龍くんの唇が重なった。


(……っ!)


 口移しで青龍の気が流れ込んでくる。ミントのように蒼い、サラサラとした青龍の気。己龍くんの想い。


「き、りゅ……?」

「まだだ……黙ってろ」


 小さな子をあやすように髪を撫で、もう一度優しい唇があたしを覆う。


 揺れが収まっていく。

 同時にあたしの中にしがみついていた異質な想いも、雪のように溶けていく。


「目の色、戻ったな」

「己龍……」


 それ以上何も言えない。ただ心の中が空っぽで何も考えられない。


「悪りぃ……でも自分の頭に何が降って来ても構わないと思った」


 あたしを抱きしめて己龍くんがホッとしたように長く息を吐く。


 揺れが収まった。拒絶反応がなかった。じゃああたし、己龍くんならいいの? それとも驚いただけ?


「賭けだった。いや、そんな意識もなかったな。お前が別の男の名を呼んで泣くのが許せなかった」


 背中を抱く手に、きゅうっと力がこもる。


「夕愛、俺は無事だ。成立でいいのか……?」


 成立? あたしと己龍くん。運命の娘娘と黄帝……本当に?


 時が止まったような静けさ。LL教室もあたしの心の中も、なんだか真っ白に霞んでる。


「なんか言えよ。……バーカ」


 ……なんとなくわかる。いま己龍くん、青龍だったら尾っぽがくるくる巻いてるんじゃないかな。


「――成立でしょ。にゃんにゃんは己龍を拒否キョヒらなかったんだから」


 その声に己龍くんがピクンと震え、あたしを抱く腕が緩んだ。


「虎汰……」


 振り返った己龍くんが彼をじっと見つめる。あたしはと言えば、出入り口に立っていた虎汰くんにぼんやり視線を流すだけ。


「ドア、開けっぱ。来たのがボクじゃなくて亀太郎だったら大騒ぎだね」

「よくここがわかったな」

「まあね。ここで己龍がときどき昼寝してるの知ってるし。それにしても地震まで……、ああ坂っちは亀太郎が保健室に連れて行ったから大丈夫だよ」


 二人の会話が目の前でだた通り過ぎていく。虎汰くんはいつも通り笑顔さえ浮かべて、そこに居る。


「見てたのか」

「うん、全部」


 その瞬間、真っ白だったあたしの現実にザァァーーっとドミノ倒しのようにイキナリ色が戻って来た。


(い、今あたし……己龍くんにキスされた!? でも拒絶反応もなくて地震まで収まっちゃって、それを)


 虎汰くんに見られた……!


 何か言おうと思っても、喉の奥で声が詰まって出てこない。身体中の毛穴がキュッと締まってなんか変な汗が。 


「立てるか? 帰るぞ」


 己龍くんがあたしの腕を引っ張り上げる。よろよろとおぼつかない足でかろうじて立ち上がった時、はたと虎汰くんと目が合った。


(虎汰、く……)

「……ほらね。やっぱり撃たれた」


 こぼれた彼の言葉が記憶の端っこをチクンと刺す。


(ごんぎつね……?)



 その日以来、あたしのベッドに小さな白虎が潜り込んでくることはなくなった。



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