Chapter2-1「事案13-2:農場襲撃」

椎奈が通りかかった時、光の矢が落ちた農場、その管理者ともいえる地主の家。

まずそこかしこに転がっているのは死体である。いずれも首を刎ねられたり、頭を砕かれたり、何か分厚いものに胴を貫かれている。それでなくても顔が潰れた以外の言葉で表すのが難しいような状態になった死体もある。


死体は道筋のように労働者たちの宿舎にまで続いており、その内部にも死体が転がっていた。外の死体同様、人間よりは強大な獣か魔物に襲われたかのような惨たらしい死体だ。しかし奇妙な点と言えば、首を刎ねられたり胴体を引き裂かれた死体がある中で、食い荒らされたような死体は一つもなかった。

代わりに、食事の途中だったのか食堂には料理が残されているのだが幾つかの料理は粗雑に食い荒らされている。


死体と血は礼拝所まで続き、礼拝所では死体、外見だけで言うとゲームにおける盗賊か武装した暴漢たちのリーダー格と思しき男が上半身と下半身を分断され転がっていた。そしてその先の部屋では争った形跡があり、割られたガラスの向こうには、農場の主である地主が無惨な姿で倒れていた。


そして、その死屍累々とした状況に立っている人間が二人もいた。

「こりゃあ、酷い有様だ。さっきのアレと同じ奴かい?」

「だろうね。やり方が単純だからすぐに分かる」

他の冒険者よりも先に死体を見ている男女、片方は金髪の少女、もう片方は黒衣のペストマスクを着けた男。カーネイジとミグラントである。

「ていうかカーネイジ、行こうと言った直後に飯屋に寄っちゃうからまた離れちゃったんじゃないか」追いかけようと言ってまずカーネイジが向かったのは飯屋で、そこで彼女はゆっくりと食事を味わい、それから街を出ていた。

時間にすれば一時間以上。ここに到着する頃には更に30分ほどかかっている。

「知らないのかい、女の子は朝昼晩のデザートを抜くと死ぬんだよ?」

「アキチが生きてた頃そんな子は一人もいなかったよ」「君が殺したからかい?」「やっぱ君だろ、アキチの風評被害撒いてるの」

会話しながら死体を調べている二人に、声がかかる。ミグラントが振り返ると、何人かの農業者らしき格好の人間がそこにいた。


「君達はここで働いている人たちかな?」「はい、ここで住み込みで働いています。街の低層区から通って働いている人もいます。その人たちは街で何かあったようで今日は来てないのですが」

死体を調べるのに執心しているカーネイジを放置し、ミグラントは農夫たちの話を聞いている。

「空から光の柱が立って、ここの管理者が豹変。訳の分からないことを喚き散らしながら君達を追い出して、入れ替わりで柄の悪い男たちが入ってきて、その後…」

「女にしては背が高く、背が高い割にはやや細い、胸の大きな女が身体を引きずるように建物を通りかかったら男たちに連れてかれた直後に男たちの悲鳴が聞こえた…か」

彼らの話によれば、男たちの悲鳴の中には「ウェステッド」という言葉もあったという。この世界における異物でしかない怪物の名前。

何故魔物と自分達ウェステッドは違うように見えるのかミグラントは分からないが、同業者も「魔物とは何かが違う、何が違うのかは言葉に出来ないけど何か違和感しかない」と言っているので、がウェステッドにはあるのだろう。

「君らはこれからどうするんだい?この様子じゃ暫く運営は…」

「いえ、冒険者の方は余り知らないと思いますが魔物や暴徒の襲撃もありますので、人員補充はすぐにされるのです」農夫、労働者たちのリーダーと思われる初老の老人が説明する。

「二、三日後には新任の管理者が来るのでそれまで低層区で休みですよ」

「ちょっと街から離れてるけど大丈夫かい、何ならアキチらが」

一緒に行こうかと言おうとしたミグラントが言葉を止める。

死体で何かをしているカーネイジが立ち上がったからだ。

「何してたか聞かないけど満足したかい」

「うん、やっぱりしてしまうような壊し方だ」

「それで、どこに行ったのか分かった?」「それは分からないけど道なりに進めば山に着く。その上の村か先の森だろうね」


時間は彼らが来る一時間前にさかのぼる。


まず、椎奈の視界は真っ暗になっていた。今彼女がいるのは納屋。そこに積まれた牧草に埋もれるようにして椎奈はそこにいた。

そして木製のバケツを被っていたので、彼女の視界は真っ暗になっていた。

勿論、彼女がこうなったのには理由がある。


アルバートの道連れからどうにか脱し、傷ついた身体を引きずるように街を後にした椎奈。暫く進むと麦畑が広がる農場のような場所に着いた時に、屋敷の時と同じ光の柱が建物に当たる瞬間を目の当たりにした。

あの光は何を意味しているのか分からないが、光が当たった場所の中には神々しさとは妙に合わない風貌の男たちしかいなかった。だからあれは、悪者を照らす光なんだろうか、と思いながら足を進める。暫く進み、建物の近くに着いた時に今度は何やら男の怒鳴り声と何人かの声が聞こえた。

何事かと早足で見に行ってみると、そこそこふくよかな体格の男性が、まるでタコのように顔を赤くして建物から飛び出した作業員、または農夫のような格好をした人々に何やら怒鳴っていた。怒鳴られている方は困惑した表情で何かを訴えているが、怒鳴っている男性は聞く耳を持たないようで、銃のようなものを振り回して叫んでいる。散々子供のように怒鳴った後、男は漫画なら頭からプンプンと怒りを表す空気を出しているような雰囲気で歩いて建物に戻っていった。

残された人々は何かに気付いたように慌てて麦畑に消えていった。

そして姿を現したのは、屋敷でも見かけたいかにもガラが悪そうな男たちだった。

自然発生かクローン人間なのかと疑ってしまうくらい格好が似ているが、流石に体格や顔は似てるとは言え別人だった。

怒鳴られていた方は彼らを見て麦畑に隠れたのだろう。と考えた所で残された自分に男たちが気づきニヤニヤしながら近づいてきた。理由はすぐにわかった。制服が戦いによって所々破け、ボロボロになってしまい高身長ゆえに恵まれた彼女の肢体を隠し切れなくなっていたのだ。

逃げようと思ったが爆発の衝撃やその前の戦いで負った傷、そして全身の疲労感で立つだけでも精一杯だった。あっという間に両腕を掴まれ、そのまま建物へと引きずられて、一人が顔を掴んだ瞬間。

何振り構わず男の股間を蹴り上げ、文字通り浮き上がった男を見て彼女を捕まえている二人が驚いて力が抜けた時に身体を振るようにして二人を振り払った。

そして、何かを考えるよりも前に背中から節足が飛び出した。凄まじい力で股間を蹴り上げられてもだえ苦しむ男の頭を踏み潰し、その姿を見て武器を取り出した二人の胴を巨大なムカデのような触手が貫き、振り回したのちに悲鳴を聞きつけて建物から飛び出してきた男たちに投げつけた。

目の前に集まってくる相手を前に、吼える椎奈だが当の本人はもう限界だった。

空腹と体中の痛みで意識を失いそうだ。それなのに身体は全開で戦おうとしているので、意識ではなく身体が勝手に動いているのだと彼女は思った。

だが、ぜえぜえと荒い呼吸をし、カマキリの威嚇のように鎌状の先端部を掲げる節足を見せながらぎこちない動きを見せる彼女の姿はやはり怪物の雰囲気を充分に醸し出していた。

あるいは、怪物に乗っ取られつつある少女か。



「畜生、ついてねえ…」管理者もとい地主と共にいるリーダーは手下たちの前に立つウェステッドを窓から見て毒づいた。

彼もまた、アルバートの下に送られた者たちと同じ悪役の役目を請け負った囚人である。裏ギルドの下っ端だった彼と違い、こちらは小規模の海賊団を率いていた。

しかし、水棲種のウェステッドと暗黒大陸からやってくる蛮族との戦いに巻き込まれて船団は壊滅。辛うじて生還し大陸に辿り着いたところで捕縛されたのだった。

「今年の最初のボスが決まったからまだ命が長引いたと思ったのによぉ…畜生、ウェステッドかあ…」「な、何故私が矢に選ばれたのだ…?」困惑する地主に彼は言う。

「関係ないのさ。悪党でも善人でも、矢に選ばれた奴は勇者の生贄になるしかない。本来なら無害な精霊や動物も、矢に射抜かれれば祟り神や魔物になる」

「それに、あの矢は悪役を決めるだけじゃないんだよ、勇者様の恋人、いや恋人なんていいものじゃない、娼婦や奴隷と呼ばないだけで、立場は殆ど一緒の孕み袋を決めるための矢もあるんだ。それに射抜かれた女は、未亡人だろうが、愛を誓い合った男がいてもあっさり勇者に股を開くって話だ」

「なんという…アルバート君はだからあんな手紙を…」地主は特急で届けられた手紙を見た。必死そうな筆跡で書かれたそれは、自分が矢に選ばれてしまったという、アルバートの遺言書のようなものだった。

「その手紙さっき読んじまったけど、最初のボスの妹さんが来るんだろ?」

「ああ、しかし私がこれでは…」「それどころか、ウェステッドに殺される。まあ勇者に殺されるのとどっちがマシかって言われれば、どっちもどっちだがな」

そう言って、彼は腰に下げていた拳銃を手渡した。

「撃ち方くらいは知ってるだろ、いいか、ウェステッドは頭だけを狙え。他は狙おうとするな。いいな?」「君はどうする気だ?」

「俺だって昔はショボいとはいえ海賊団の船長だ、陸地だろうが引けは取らねえ。何処にも居場所がない化物共なんかに負けてたまるかってんだ」


一方の椎奈は身体が傷ついた身体に自ら鞭を打つように本人の意思とは関係なく襲い掛かってくる男たちを蹴散らしていた。蹴り一回で漫画のように人間が宙を舞い、倒れた所に触手がギロチンの刃のように落ちてきて首を刎ねたり胴体を貫く。

黒く鈍く光る甲殻は見た目通り硬く、剣やナイフはおろか、矢や斧の攻撃すら意に介さず椎奈の盾となり、次の瞬間には巨大な剣の刃のように薄くなって、または極太の鞭のように厚くなって薙ぎ払った。節足も指で突くように人間の頭や体を貫き、貫かなくても無残な傷跡を雑多な鎧ごと人体に刻み付けていった。

むせ返るよりも吐きそうになる血の匂いの中、彼女の鼻が別の香りを嗅ぎ取った。

それは街で嗅いだ料理の香りだった。その瞬間、敵を殺しながらも彼女の本能は目的を匂いの先、建物内部の食べ物に変わった。

「建物内部に向かってる!」「怯むな!室内で包囲して殺すんだ!」

納屋や倉庫のような建物には目もくれず真っ直ぐ男たちが出てくる古い木造の学校のような建物へ入ると、待っていたかのように3人が槍を突き出してきた。内一本が彼女の腹に刺さるが、根元まで刺さらなかった。彼女が槍の穂先を掴んで止めていたのだ。残りは節足や触手に阻まれ、刺さった槍も柄が折られて持ち主の手元から離れた。そして次の瞬間には、3人とも触手の一撃で首を刎ねられて死亡した。


後ろから迫る一人が咄嗟の裏拳で顔面を砕かれて吹き飛び、その隙をついて短剣を構えて飛び込んだ一人の胴に触手がめり込み倍の勢いで押し返す。押し返された一人に二人が巻き添えを受け、うち一人が落とした剣を手に取って内臓と周辺の骨を粉砕された男を押しのけて起き上がった一人の頭を叩き割り、もう一人の首に突き刺して倒した。

匂いに惹かれるように前に立つを排除しながら匂いの元に辿り着いた。そこは小さな食堂のようで、大きな長方形のテーブルが二つほど並んでいた。

その上には木製の器や白い皿がやや雑に並べられていて、湯気を上げるやや透明なスープや何らかの動物(人とは思えない)の焼き肉が盛りつけられていた。

それを見た瞬間、空腹感が一気に押し寄せてきて手づかみとか行儀などの常識を彼女の思考から押し退け、気づいたころにはまず肉を掴んで半分ほどまで口の中に入れて噛み切って、数回噛んでから飲み込んだ。旨い。次にパンを一齧りでやはり半分まで一気に食べ、コップの水やスープで流し込んでは肉とパンを平らげてしまった。

続いて小学校の給食の時間で運んだような巨大な鉄製のバケツめいた鍋を掴んで持ち上げると、浴びるように傾けてスープを飲み干し始めた。

「いたぞ!食堂にいる!」それを見つけた男たちが叫ぶと、彼女は持っていた鍋を声がした方へ投げた。


満腹になっても椎奈は訳も分からず前進を続ける。襲い来る男たちを次々と倒しながら。さっきのアルバートの時と違い、理由もなく、意味もなく。

これこそが、ウェステッドの獣性いしか。

彼女は、それを考える事はなかった。


悲鳴。ガラスが砕ける音。または建物の一部が破壊される音。

何の神を祀っているのかは元海賊も地主も知らないが、礼拝所には何人かの仲間も集まっていた。皆、共に牢獄に入れられた仲間だった。

振動すら伝わってくる破壊音と続く悲鳴に、全員が身を強張らせる。

そして、ドアを破ってきたのは胴を貫かれただけでなく全身をズタズタに引き裂かれた男二人。それを見て、聞いた男たちは悲鳴のような雄叫びを上げて続いて入ってきた椎奈に挑みかかった。

「怯むな!取り囲め!首や腹を狙うんだ!機械種じゃなければ再生が追いつかないほどの傷と致命傷を与えれば殺せるはずだ!」

元海賊がそう叫ぶが、その時には節足が一人の胴を突き刺して持ち上げていた。

その一人が彼の足元に転がった次は、ムカデのような触手が巨大な鞭の如くうねってまず一人の頭を砕き、続いてその隣にいた男の首を刎ね飛ばした。

もう一方の触手が別の男を貫こうと伸びるが、男が咄嗟に構えた鉄製の大盾に弾かれて光線のように天井に突っ込んだ。それには椎奈も驚いた表情を見せて天井に突っ込んだ自分の触手を見上げた。それを好機と見た盾の男が持っていた槍を突き出すが、喉に刺さる前に椎奈の両手が槍を掴んで止めて、二人を殺した触手が側面から彼を叩き、吹き飛ばした。

そして、元海賊一人だけとなった。だが彼は震える脚を叩いて抑えると腰に下げたカトラスを引き抜くと、槍で切った傷がすぐに消えていくのを眺めている椎奈に叫びながら襲い掛かった。

大上段から切りかかった彼が見たのは、こちらを見ていない筈なのに触手だけが正確にこっちに向かって伸びていく瞬間だった。


礼拝室の先の小さな部屋、自分の書斎で震えながら渡された銃を構える地主の耳に入ったのは、元海賊のつんざくような悲鳴だった。続いて、ドアに何かが叩きつけられる音。それは二度続いて、三度目で節足に貫かれた元海賊がドアを破ってきて、虐殺の犯人である椎奈が彼の前に姿を現した。

黒い髪の、女性にしては高い身長、高い身長の女性にしては細身の身体、そして目に入れたくなくても入ってしまう大きさの胸。

更に背中から覗くカマキリの鎌のような先端を持つ虫の節足のようなものとボロボロで所々肌まで見えている制服で、明らかに怪しさどころか非人的なものだと彼の脳に刻み付けている。

「うわあああっ!」悲鳴を上げながら銃を構えて引き金を引く。

しかし恐怖と慣れない銃で彼は目をつぶってしまい、弾は頭ではなく左肩に命中。

とはいえ椎奈も少女らしい悲鳴を上げ、何による攻撃なのかを理解した瞬間、怒り以外の言葉で表現できないような表情を彼に向けた。同時に、怒りに震えるように節足が大きく掲げられた。



明らかに労働者ではない格好の男たちの死体が転がっていることを不審に思ったセバスチャンが馬車を止めて降りたのと、ガラスを突き破って地主の顔を掴んだ椎奈が姿を見せたのは同時だった。怒りに任せるように椎奈は節足を何度も振り下ろして地主をめった刺しにし、地主が動かなくなったのを確認すると勝ち誇ったように吼えた。

その叫び声にも似た咆哮はセバスチャンも馬車の中のイリスとリュカにも聞こえた。

短い間しか聞いたことがなかったが、忘れがたいあの叫び声が。

「この声は、あの時の…!」「そんな、お兄様と道連れになったはず!?」

「くそっ…」外に出ようとしたリュカを、セバスチャンが止める。「あなたはお嬢様をお願いします。ウェステッドは魔物とはわけが違うのです」

駆け出しの冒険者がウェステッドを倒せる確率は、逆に殺されるケースを想像した方が早いほど低い。ましてや、多数の人間を殺してを積んだウェステッドに対しては銅級の冒険者でも一歩間違えれば返り討ちに遭う。

そして、だ。


「さて、見た所蟲種のようですが…」呟きながらセバスチャンは椎奈に近づく。

彼女が覆い被さっているのが地主だと確認すると、少しばかり苦い顔を浮かべた。

をアルバート家に紹介したのが地主だった。

先程まで吼えていた椎奈は、まるで電池の切れたロボットのように動かない。

距離を詰めていくと、突然横の建物から男が飛び出してきた。

「うぇ、ウェステッドだ!ウェステッドが現れたんだ!助けてくれ!」そう叫びながら馬車の方へ走っていく。「いけません!まだ彼女は…!」慌てて男を止めようとしたが、その瞬間には彼の顔をムカデのような触手が通り過ぎていく。

彼が振り返った時には、既に触手は男の胸を貫いた。悲鳴と同時に、銃の発射音が聞こえた。どうやら胸を突き破られた反動で握っていた銃が暴発したのだろう。

そして、馬車の方から悲鳴が響いた。



暴発して発射された弾丸は、奇跡にも近い不運で馬車の窓に命中。

そして窓から覗いていたリュカの眉間に命中し、丸い鉄製の弾丸は彼の両目と眼窩の骨を砕きながらまだ幼い彼の脳の前半分を破壊し後頭部から抜けて行った。

その直前、彼はこう言っていた。

「地主さんの家に着いたら、何回か俺と一緒に遊ぼう、そして…」

その先の言葉は「いつか一緒に暮らそう」だったが、そこまで言う前に彼の頭部は砕けて、プロポーズの花束と例えるにはあまりにも血なま臭い赤と少々の白の花びらをイリスの目の前で披露したのだった。

それを見た彼女は、最初何が起きたのか理解できず「え…?」と口から零し、すぐに何が起きたのか分かると、悲鳴を上げた。

「ああそんなリュカッ!リュカぁ!」すぐに彼を抱き締めて泣き叫ぶ。

さっきまで普通に喋っていた彼が、今では無惨な射殺体でそこにいる。ウェステッドに両親と兄を奪われた上に、唯一の友達すら失った彼女は、訳も分からず泣き叫び続けた。


馬車の外では、椎奈とセバスチャンが対決している所だった。

(何らかの理由で興奮状態が収まっていないのですね、しかし…それにこの動きは…っ)

そう考えながら、笑い声と共に尻尾のように繰り出される触手の一撃をいなしながら彼女との距離を詰めていく。椎奈の動きは、初めの頃に比べると早くも身体が使かのようにより人より獣じみた動きへと変わっている。とはいえ彼にとってはまだまだ甘いもの。

「シッ!」鋭い声と共に繰り出した掌底が節足と触手をすり抜けて椎奈の顔面を直撃。ぎゅっともぐえっとも表せる小動物が潰れたような声が椎奈から出た。

反撃に思わず怯む椎奈に、彼は更に拳を繰り出していく。うち一発が彼女の鳩尾に入り「ぎゃっ!?」と椎奈が叫んだ。鈍い痛みが彼女の鳩尾から脳に伝わって、直後怒りの火にくべられる薪となって闇雲に拳を振り回すが全く当たらず、逆に彼のビンタが彼女の頬を強かに打つ。

そのビンタを受けた直後、椎奈から溢れるように出ていた殺意が急に消えた。

思わぬ攻撃を受けた事で、彼女の理性が戻ったのだ。

触手と節足が一時停止をしたように止まり、ずるずると背中に引っ込んでいく。

「!?…??…!!!??」そして何が起きたのか分かっていないような素振りを見せる椎奈を見て、セバスチャンは安心したように息を吐く。

そして瞬間移動で瞬時に彼女と顔がぶつかる距離まで近づくと、耳元でこうささやいた。

「私たちが立ち去り、人の気配がなくなった所でこの先の山を目指してください。山の上の村を越えた先の森で、お待ちしております」

この世界に来て耳にしなかった、自分の分かる言語。それもまた椎奈のパニックを煽ったが、彼女が何かを言う前にセバスチャンが彼女の胴体に掌底を打つ。

厳密には彼女に当たっていないが、代わりに気が衝撃波となって彼女を吹き飛ばし、その先の納屋の内部に突っ込ませた。突っ込んだ先の柱に頭を強打し「いだぁっ!」と声が出るも、衝撃で木製のバケツが彼女の頭にすっぽりはまり、民家の時のように倒れてしまった。

間抜けな状態で牧草に埋もれている椎奈を見て、彼は納屋の扉を閉め、カギをかけた。


「お嬢様、仇のウェステッドは退治いたしました。これで…」

椎奈を納屋に閉じ込め、馬車に戻ったセバスチャンが見たのは、頭が弾けたリュカの死体と、泣きながら笑うイリスの姿だった。

「夢、夢に決まってる、悪い、悪い夢だわ、目覚めればお兄様もリュカも生きてて、お母様もお父様も帰ってくるはず…」ぶつぶつとそうつぶやくと、頭を抱えて大声で泣き出す彼女を、セバスチャンはどうしていいのか分からず立ち尽くしていた。

この家がダメとなると、身寄りのないイリスは、神殿に行くほか道がない。

神殿。確かに一番安全だが、ウェステッドによって神殿すら完全に安全ではなくなってしまった。意思を持ってそれなりの警備が置かれている神殿を襲うことはめったにないが、第四形態ではたとえ一人でも躊躇せず襲う。

事実、複数の第四形態か、魔物の襲撃からの本命とばかりに現れた第四形態によって破壊と蹂躙の限りを尽くされ廃墟と化した神殿はここ近年増え続けている。

ならば、一番安全な王都内部の神殿に向かうしかない。

「ええ、夢ですとも。すべて悪い夢です。さあへ向かいましょう」

そう言って馬車に乗り込み、馬に跨って走らせる。

行先は王都。壮大そうな名前があったが、覚えづらいので王都と呼んでいる。

一番安全で、一番不安な場所へ彼女を預けるのはかなり心配だが、だからといって他の神殿に預けてウェステッドに喰われたとなると、流石にアルバート家に合わせる顔がない。元から、そんなものなどあるはずもないのだけど。



そうしてセバスチャンたちが去り、カーネイジとミグラントが到着する前にバケツを放り投げ、納屋の扉を手こずりながらも破壊して外に出た椎奈は、言われたように道なりに進むことにした。例え嘘だったとしても、蹴散らしてしまえばいい。

本来なら人殺しなど、肯定してはいけないはずなのに、何故か多少の罪悪感を抱くだけで、を、椎奈は自覚していた。

これは、怪物となった自分の、怪物としての側面で、いつかこの側面がより形を持って私の前に現れるのかなとも思った。その時、私はちゃんと否定できるだろうか。


暫く歩いていると、後ろから近づいてくる音が聞こえたので振り返ると、馬が荷台を引いて走ってきていた。荷台には荷物を持った人が沢山乗っていて、何となくだが椎奈はバスのようなものだと思った。

馬はすぐに彼女を通り過ぎて行ってしまうが、少し歩いていると看板の横で止まって、人を乗せているのが見えた。見た感じ運賃はないように見えるので彼女も急いで荷台に乗り込んで、老紳士が言う山の村を目指す事にした。道なりというのだから、このまま行けばそこに辿り着くのだろう。と自分でも再考するべきではと思うくらい単純な考えだった。

だが、自分がどうやら脅威であること以外は分からない以上、目先のものに飛びつくしかない。それに、自分の分かる言葉がない訳ではないことも分かった。

老紳士の言う「村の先の森」で、全て分かるだろう。この世界と、自分のことも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る