アル・スハイル 4

「あの……一つ疑問があるのですが」

 私はそっと、手を上げた。

「なんだね? バーバニアン君」

 ワイズナーが私を見る。

「魔術士ミザルの集めた『生気』は、どうなったのでしょう?」

 水晶球のようなものに集められた輝くキラキラしたもの。たくさんの命を吸って、大量に奪われたそれは、どこへ消えたのか。

「ミザルの自殺現場に……生気を保存したものは発見できなかった」

 サネスが首を振り、苦い顔をした。

「ミザルは、国境手前で『服毒死』だ。魔術の関与は見られない。争った形跡もない。黒魔術にも明るいミザルが毒を騙されて、というのは、考えがたく、『自殺』とされたが……コゼットのいうような、杖や水晶球はもっていなかったな」

 少しずつ、丁寧に思い出すように、サネスは言葉を紡ぐ。

「ミザルと関係なく……たとえば、何か大きな魔術が使われたかもしれないような事件はなかったのでしょうか?」

「ミザルと関係なく?」

 サネスはびっくりしたような顔をして、急に顔をあげた。

「そうか、なるほど。すでに使用されたあとだという可能性や、別の人間が使うという可能性もあるわけだ」

 サネスは、額に手を当てて、じっと考え込む。

「そういえば」

 ラッセネクが顔を上げた。

「あの年、『雪花せっか』が、不足して……父が苦労しました」

 雪花というのは、ラセイトスでは貴重な材料だ。魔力のない私のような人間でも魔道具が使えるよう、開発された、魔石をつくるための鉱石である。魔石には、ある程度の魔力が込められていて、基本、使い捨てだ。国内では本当に貴重で、わずかしか産出しない。ほぼ輸入品に頼っている。

「僕の実家は、魔石を作る小さな職人の家で」

 ラッセネクは首をすくめた。

「父は、腕はいいけど、商売は下手でね。だからそれほど裕福ではなく、母が、孤児院に通いで働き、わずかな給金を得ていたわけだけど、母が死んだ年、魔石の材料である雪花が手に入らなくなり、つてを頼って、ずいぶん駆けずり回っていた記憶があります」

 サネスが眉を寄せた。

 少し部屋が暗くなってきたので、私は立ちあがり、部屋の明かりに火を入れる。

 ちなみに、研究室は普通のランプである。魔道灯は、時折、実験の時だけ、ジニアスが使用するものの、基本、これはどこの研究室も同じである。研究室はできるだけ『魔術』を排した環境にしておかないと、よけいなエーテル干渉がおこって正確な結果を得られないからだ。

「そういえば……あの年は、船が何隻も沈んだ」

「船が?」

明かりがともって、影が濃くなったサネスが思い出したように、頷く。

「確か、ジュバ島あたりで、何度も突風が吹いた」

「突風ね」

 ジニアスが渋い顔をする。船を沈めるほどの突風を吹かせるのは難しい。だが、出来ない訳ではない。

 まして、あれだけたくさんの人間の『生気』を集めたのだから、『才能』ある人間ならば、可能だ。

「ジュバ島……軍の訓練施設がありますね。船舶の事故なら、海軍の管轄です。一度、調べてみますよ」

 ニヤッとラッセネクが笑った。

「私は、他に魔術がらみの事件がなかったかなど、調べ直してみよう」

 ワイズナーが立ち上がる。

「釣りは、どうしますか?」

 ラッセネクがサネスに問う。

「進めてくれ。グラズーン家が相手だとしたら……こちらから仕掛けなければ、しっぽを切って逃げられる」

 サネスの眉間に深いしわが刻まれていた。


 祭りまで、あと三日と迫った。

 私とジニアスは 日中、屋台店を捜して歩き、夕刻からは、監察魔術院の古い資料をあたるという日々だ。

 魔術そのものは見つからないものの、 『売り子』の何人かが似ているということで、ワイズナーには報告はしているが、決定打はない。

 ラッセネクがやってきたのは、そんな昼下がりであった。

 情報交換をすると言う意味で、ジニアスの研究室には、ジニアスとワイズナーとサネスがソファに腰かけ、私の用意したサンドウィッチを頬張っている。

「バーダンと接触しました」

 ソファにどっかりと腰を下ろしながら、ラッセネクが口を開いた。

「やあ、美味しそうだ」と言いながら、サンドウィッチに手を伸ばす。

「印象としては……黒ですね」

 ぼそり、とラッセネクが呟く。

「その年、沈んだ船舶は5隻。船が沈んだ時期に、ジュバ島で、魔術師部隊はちょうど演習していました」

 ラッセネクは資料をポンとワイズナーに渡す。

「海軍の調査は行われていますが、魔力調査などはされていません。もともと、あの辺りは、突風が吹くことがある海域ですから、五年に一度くらい沈む海域ではあります」

「……難所には違いない」

 ジニアスが頷く。

「その件と、コゼットさんの記憶をちらつかせたところ、僕の将来を保証してくれる気になったらしいです」

 ラッセネクは、彼に似合わぬ人の悪そうな笑みを浮かべた。

 私は、ラッセネクにお茶を入れて、渡す。彼は、それをごくりと飲みほした。

「将来?」

 ワイズナーが首を傾げた。

「僕は、海軍の将校に睨まれてましてね……まあ、幸か不幸か、それは事実なので」

 ニヤリ、とラッセネクは笑う。

「手始めに、シャウラは赤い髪だとわかっていましたから、コゼットさんが、孤児院に慰問に来た男に赤い髪と金髪の人間がいたと言った、とかまをかけました」

「それで?」

 ジニアスが先を促す。

 私は、ゆっくりとまた執務机に向かい、メモを取り始めた。

「ミザルは黒髪ですからね。別人を示唆してみたわけです。バーダンの金髪はよくある色だから、平静を装っていましたが、かなり青い顔をしていました。だから……」

 ラッセネクは、首を軽くすくめる。

「祭り前日に行われる、グラズーン家の国外の顧客を招待するパーティに僕とコゼットさんを招待してくれと、頼みました」

「グラズーン家の前夜祭パーティか……かなりデカいやつだな」

 サネスが眉をしかめた。

「僕に大臣であるライナル・グラズーン氏を紹介していただければ、コゼットさんに協力をするふりをして、パーティに連れだし、その帰りにコゼットさんが事故死するという未来を提案してみました」

「……それ、お前も消されるぞ」

 ジニアスが、ボソリと呟く。

「でしょうね。僕もそう思います」

 面白そうにラッセネクは笑う。

「グラズーン商社は調べてみると、かなり黒い」

 ワイズナーが口をゆがめる。

「シャウラは、ハメられた可能性が高い」

「そうかもしれません。軍に投獄されて、ほぼ調ベを受ける前に、獄中死していますから。死因は外部からの魔術攻撃。ただし、その捜査記録は曖昧で、担当したのはバーダンとなっていました」

 ラッセネクの言葉に、ワイズナーが首を振る。

「その年に沈んだ船舶のなかで、一隻、当時若手だった、ライナル・グラズーン氏にとって、最大の政敵であった、グラセド・ブラーナル氏の乗った船が沈んでいる」

 ワイズナーは残っていたサンドウィッチに手を伸ばし、かぶりついた。

 ジニアスが厳しい顔で、資料に目を落としている。

「国内にわずかに産出する雪花の鉱山を持っていたのは、グラズーン家だったな。この年、随分、儲かったに違いない」

「政敵と、商売のために、船を沈めたかもしれぬな」

 サネスが大きく息を吐いた。

「証拠はない」

 ワイズナーの顔が厳しい。

「だからこそ、釣りなのでしょう?」

 ラッセネクがくすくすと笑った。

「パーティか」

 ジニアスが難しい顔をする。

「コゼットさんには、僕を信じ込んで、僕に頼り切っている女性として、同行してもらいます」

 ワイズナーが首をすくめた。

「ラッセネク君。もっと直球に言いたまえ。『恋人』のふりをしろと」

「えっと。一応、わかっているつもりです」

 私が頷くと、ラッセネクが嬉しそうな顔をした。

「……お前ひとりで、コゼットは守れないだろう?」

 ジニアスが不機嫌にそう言った。

「どうする気だ?」

 ワイズナーが珍しく、面白そうにジニアスを見る。

「パーティには俺もいく……招待はされていないが、ツテはある。使いたくはないが」

 ジニアスはそう言って書類を指ではじいた。

「俺もツテを捜してみよう。可愛い養女(むすめ)を、ひとり、餌にして放置はできん」

 サネスがそういうと、ラッセネクは首をすくめた。

「僕、信頼されていませんね?」

「君がいくら優秀でも、魔術士が束になったら、勝てない。たぶん、敵はバーダンひとりではない」

 サネスが苦い顔でそう告げる。私も、責任の重さに少し身体が震えた。

「では、私は、グラズーン家が所有している魔術士の工房などを中心に調査を続けるとしよう」

 ワイズナーはそう言って、立ち上がる。

「とりあえず、パーティでは、僕の贈った髪飾りをつけてくださいね。あなたは僕に夢中のハズなのですから。それからドレスは……」

「コゼットのドレスは俺が用意する。お前が気にするな」

 ジニアスがムッとした声でそういうと。

「おや? 自分は、制服で彼女をパーティに連れていったくせに、僕がドレスを用意したりするのは嫌ですか?」

 ラッセネクが珍しく意地悪く言い放ち、ジニアスが唇を噛んだのがわかった。

「ラッセネクさん。それとこれとはお話が別です。どちらもお仕事ですが、仕事の質が違います」

 私があわててそう言うと、ラッセネクは首を振った。

「あなたは、もっと自分の価値に気が付くべきです。僕ならあなたをもっと大切にしますよ」

 ラッセネクは立ちあがり、私の髪をすくい、そっとキスをした。

「では、下準備がありますので」

 ニコリと、ラッセネクは笑い、部屋を出て行く。

「自分で言うだけあって、しつこい男だ」

 ワイズナーは首をすくめて、ラッセネクの後を追い、ガチャリと扉が閉まった。

 研究室に残った、サネスとジニアス、そして、私は、なんとなく重苦しい空気に包まれた。

「まあ、なんだ。俺は、コゼットが幸せなら、相手が誰であろうと、それでいいのだがな」

 実に曖昧な物言いで、サネスはゆっくりと立ち上がる。

「お養父さん?」

 トントントン

 激しく扉がノックされて。

「ねえ、お昼、まだ残っている?」

 フィリップがガチャリと、扉を開けて入ってきた。

「……空気、読め」

 開いた扉を呆れたように見つめて、サネスがボソリと、呟いた。



 長い髪を、結い上げて、ラッセネクからもらった髪留めで止めてもらう。

 今でも、もらう理由はないと思っていて、返すべきだと思っているけれど、私にとてもあわせてあるデザインで、つけてみてびっくりした。

「まあまあ。ジニアスさまは何をしているのだか」

 それが、ラッセネクからの贈り物であると知ったフェネス家の女中であるベラさんは、なぜか、呆れたように大きくため息をついた。

 ジニアスが用意してくれたのは、うすいピンクのドレス。

 私はベラさんの助けを借りながら、それをまとう。ジニアスが、ドレスの用意だけでなく、ベラさんまで研究室に連れてきたのには驚いたが、正式なパーティに出たことなどない私には、彼女の助けは必要であった。

「コゼットさまの体形なら、もっと大人っぽいセクシー路線が良いのではないか、と、皆で押したのですが」

 ベラは悔しそうだ。そういえば、祭り用の胸元の大きく開いた衣装を『これがいいのです』と力説していたのは、彼女である。

「ジニアスさまが、どうしても、ダメだと言い張りまして。こちらになりました」

 ベラは、苦笑した。

 ノースリーブで、腕は大きく出ているものの、胸元の露出は少なく、すそは美しいレースのフリルがあしらってあった。

「似あいませんか?」

 ちょっと可愛らしすぎる印象。ジニアスは私を『年下の妹』だと認識しているのだな、と、なんとなく思った。

「いえ、よくお似合いです。ただ、なんというか、せっかくのすばらしいお胸とくびれがわからないデザインで、私的には、ジニアスさまの心の狭さを感じます」

 ベラは小さな声でブツブツと呟く。

「だいたい、制服でパーティにコゼットさまを同行させたという話を人づてに聞いて、奥さまもお嘆きですわ。ひとことご連絡いただければ、すぐにもご用意いたしましたのに」

「そもそも、私はジニアスさまの助手ですし、仕事のお話ですから……」

 私が苦笑すると、ベラが大きくため息をついた。

「まったく、会場の隅で遠くから美しいコゼットさまを指でもくわえて、お眺めになればいいのですわ」

 鏡の中には、化粧を施された、いつもと違う私。今日の私は、作られたものであるとはいえ、美しい貴婦人に見えるだろう。

 明日は、アル・スハイル。恋人たちが、永遠の愛を約束し、丘の上で、ダンスをして、月の光の下でキスをする。

 こんなドレスを着て、ジニアスと並びたかったな、と思う。

 でも、今日の私は『ラッセネクの恋人』。

 そして、このドレスはジニアスが、ラッセネクの隣に立つのに相応しいと思って、用意してくれたドレス。

 恋愛成就の呪術のこもったペンダントを首にかけた。

「でも、ジニアスさまもパーティに参加されるから、安心です」

「ジニアスさまがパーティに参加したいとあんなに、あちこちに頭を下げるのは、もうないでしょうね。フェラン家は、グラズーン家とかかわりはいっさいありませんでしたから。アレシアさまに頼んで、カレドニ家に骨を折っていただいたようですよ」

 ベラが面白そうに笑う。

「アレシア・カレドニさま?」

 ベラはコクンと頷いた。

「カレドニ家とは、近いうちに婚約が成立するとはいえ、かなり無理を言ったようですね」

「婚約……」

 私は、自分の耳を疑った。そんなところにまで話が進んでいたなんて、全く知らなかった。

 よく考えたら、助手の私に、プライベートを報告しなければいけない義理はないのだ。

「コゼットさま?」

 不思議そうに私を見るベラに、私は慌てて微笑む。

「なんでもありません。そろそろ、ラッセネクさんがいらっしゃるので、表に出ますね」

 私は、冷たくなった自分の心に蓋をする。

 今日のパーティは、孤児院の悲劇を繰り返さないために、うまくやらなければいけない。

 明日は、アル・スハイル。私には縁遠い、恋人たちの祭り。

 私は、ペンダントにそっと触れ、大きく息を吸った。

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