アル・スハイル 3

 額に触れるやわらかな感触。

 割れそうな頭から痛みがすうっと引いて、かすみの向こうの景色が遠くなる。

 私の身体は、温かな温もりに包まれ、恐怖が和らいでいく。

「コゼット」

 心配そうな私を呼ぶ声に、目を開くと、ジニアスの顔が間近にあった。

「ジニアスさま?」

 私はジニアスに身体を預けるように床に座っていた。

「コゼット、大丈夫か」

 ジニアスの顔の向こうから、心配げなサネス。少し不満げなラッセネクと、表情の読めないワイズナー。

「コゼットさん、ハーブティ、お飲みになりますか?」

「ああ、頼む」

 助手のマルカブが声をかけてきたのに、サネスが頷いた。

「私……また、倒れてしまったのですね……」

 身を起こして、立ち上がろうとすると、ジニアスが私を強引に抱き上げた。

 そしてそのまま、自分が座っていたソファに私を座らせる。

 マルカブが、温かなハーブティを私の目の前のテーブルに置いてくれた。

 私は、その優しい香りを胸いっぱいに吸い込む。

 立ったままのジニアスが、私の肩に手を載せた。大きな手の温もりで、胸に安堵が広がっていくのがわかる。

 私は、ひとくち、ハーブティを口にしてから、姿勢を正した。

「ラッセネクさんのお母さまは、エニフさん、ですね?」

 私の言葉に、ラッセネクは無言で頷いた。

「とても勇気ある優しい方でした。あの日も、突然、呪文の詠唱を始めた男を止めようと一番に走っていかれて……」

 私は息を整える。

「コゼットさん、無理をしなくてもいいです」

 私の表情に何を見たのか、ラッセネクは優しく微笑んだ。

「あなたが無理をすると、また『緩和』の治療を受けるあなたを見ないといけなくなる……僕には、そちらの方がキツイです」

「……あれでもまだ、諦めないとは。タフだな」

 呆れたようにワイズナーが呟く。ふと、ジニアスを見あげると、私を見つめる真剣なブラウンの瞳とぶつかり、私は思わずうつむいた。

「僕はしつこいですよ。そうでなければ、わざわざ軍に入ったりはしないですから」

 ラッセネクがニヤリと笑う。

「まあ、『緩和』はジニアスじゃなくても構わないのだが」

 サネスがぽつりと呟いた。

「奥さんに言いつけます」

 ぴしゃりと、ジニアスがそう言うと、サネスは首を振りながら、小さく「アンナは怒らないし、俺は一応、父親だし」と、言い置いて。

「それはともかく、思い出したのか? コゼット」

 こほん、と咳払いしたサネスに私は頷く。

「男は、杖のようなもので、呪文を詠唱しながら水晶球に何かを集めていました。使っていた魔術はたぶん……私の知っている魔術とは別人だったように思います」

 私は大きく息を吸う。

「さすがに……エーテルの種類は思い出せません。でも……たぶん、違う」

 霞の向こうにある景色は、とても遠い。

「もういい、コゼット。やめろ」

 ジニアスが優しく私を止めた。

「もともと、十五年も前の記憶だ。覚えていることの方が難しい。それに、本当を言えば、お前にとって、『忘れていた方が良い』記憶かもしれない」

「でも……」

「無理をしたところで、バーバニアン君の記憶では、証拠にはならない。証拠は我々がつかむしかないのだ」

 ワイズナーはポンと書類をジニアスに渡した。

 ワイズナーの言葉は、冷たいようでとても優しい。私が顔を向けると、ワイズナーは優しく微笑んだ。

「一晩で、随分調べたな」

 ジニアスは、渡された資料に目を通し始める。

「獄中死したシャウラは、軍の刑務所にいたため、その死に関しては司法にはない。ただ、シャウラ逮捕につながるまでに、行った捜査のほうの記録は残っている」

「シャウラは、魔術師部隊の所有していた軍用の魔道具の設計図等を横流ししていたとあるが……」

「そうだ。中には、『軍が所有していてはおかしい』違法な魔道具も、横流し物件の中から取り押さえられたとある」

 ワイズナーは眉をしかめた。

「魔術師部隊というのは、研究部門も持っています。規模は、魔術研究所よりはずっと小さいですが」

 ラッセネクが口をはさんだ。

「今でも、魔術師部隊というのは、軍に所属している僕らから見ても、謎の多い部署です。何をしているのかよくわからない。現部隊長はガルックス。副隊長はバーダン。元老院とのつながりや、勢力争いがあるとか噂の絶えないところですね」

「ミザルが、魔術師部隊の研究部門にいたという、証拠でもあればな」

 ポツリ、と、ジニアスが呟く。

「十五年も前のことだ。なかなか難しいだろう。それに、さすがに『ミザル』の名では、大っぴらに雇えない。魔術研究所を放逐された男だからな」

 サネスは首を振った。

「とりあえず、バーバニアン君がペンダントを買ったという店を捜してみるしかない。ただ、ペンダントの魔力から術者本人を見分けるほどの『眼』をもつ人間は限られている。正直、私でも難しい」

 ワイズナーの顔は険しい。

「私がやります!」

 名乗り出た私を見て、ワイズナーは眉をしかめた。

「俺と、コゼットでやる。コゼット。お前は、一人で動いてはダメだ」

 ジニアスが、ワイズナーに頷きながら、私をたしなめる。

 確かに、何度も記憶が蘇るたびにぶっ倒れている現状、ひとりでは、どうなるかわからないという不安がある。

「では、僕は、魔術師部隊に探りを入れてみますよ」

 ラッセネクが口を開く。ラッセネクの瞳に、亡くなったエニフさんの姿が重なる。

 私は、大きく息を吸った。

「私の名前を使って下さい」

「え?」

「ミザルに共犯者がいたのなら、私に興味があったはず。少なくとも、私の『記憶』に、『共犯者』の影があるかどうか知りたいはずです」

「それは……」

 周りの人間が息をのんだのがわかった。

「私をあわよくば魔術師部隊に売るという『揺さぶり』に反応するかどうか、みてみるのも、一つの方法かと」

「ちょっと、待ってください。僕は、君をそんな危険な目には」

 ラッセネクが眉を寄せた。

「私が記憶を取り戻したことが捜査の段階で洩れない保証はありません」

 私の言葉に、サネスは渋い顔で頷いた。

「コゼットのいうことは、一理ある。敵に勝手に動かれるよりは、こっちの手のひらで躍らせた方が、コゼットを守りやすいな」

「しかし」

 ワイズナーが眉をよせ、苦い顔をする。

「無駄だ、デビット。コゼットは頑固だから」

 肩にのせられたジニアスの手から、暖かいものが流れてくる。私は、その手に自分の手を重ねた。

「大丈夫です。みなさんが、守って下さるから」

 サネスにしろ、ジニアスにしろ、私を絶対に守ってくれる……そう信じている。

 逆に、彼らで手に負えないのであれば……私は、それまでだ。

「……僕だって、君を守りますが、でも」

「たくさんのひとが、死ぬかもしれません。何もできないのは、嫌です」

 ラッセネクは、目を見開いて、私を見て……困ったようにワイズナーに視線を送る。

 ワイズナーは、ふうっと息を吐いた。

「その手段は、とりあえず、『屋台』を捜してみてからだな。ラッセネク君は、軍の資料をまず探ってくれ。いきなりバクチを打つ必要はない」

「わかりました」

 私が頷くと、ワイズナーは少しだけホッとしたような顔をした。

「ワイズナーさまが、私を心配して下さるとは思いませんでした」

 ニコリと笑うと。

「覚えておきなさい。バーバニアン君に何かあったら、ジニアスが使い物にならなくなる……それに、私も美味いシチューにありつけなくなって、困る」

 言葉とは裏腹に、ワイズナーの瞳には、冗談ではない光が宿っていた。


 

 その日は、結局、私は屋台の呪い屋の女についての調書づくりに協力をし、ジニアスはサネスとともに、魔術の解析作業に終始した。

 翌日。ジニアスの屋敷から、大きな衣装箱が届いた。

 中に入っていたのは、平民の日常着。驚いたことに、女物の衣装は、全て私のサイズに直してあった。

 そういえば、ジニアスの屋敷で採寸をしてもらったが、それにしても、仕事が早い。

「呪い屋を回っても、違和感のない服装が必要だ」

 と、ジニアスは自身も、着替える。たとえ、質素なデザインの服をまとったところで、ジニアスは絵になる。ジニアスと一緒に歩いては、目立ちすぎではないか、とは、思うが、私一人の行動はつつしむように釘を刺されている。

 そう。今日から、私とジニアスは、呪い屋を捜すために、二人で市場を歩くことになった。

 私は、ジニアスが用意してくれたドレスに着替える。屋敷で着ていたものに比べれば、胸元の露出は少なく、大人しいデザインで、ちょっとほっとした。

「コゼット、これを」

 着替えが終わった私に、ジニアスは、分離の終わったペンダントを手渡した。

 ペンダントは、前よりも鮮やかな魔術に彩られている。

 ジニアスのいろだ。もっとも、魔術の有無くらいしかわからない人間であれば、判別は不可能であろう。

「身体を温める魔術のほかに、俺の印が入っている」

「印、ですか?」

 ジニアスは、ペンダントを手に取り、私の首にかけてくれた。

「よほどのことがない限り、俺が、そのペンダントを見失うことはない」

「はい」

 私はブラウンの石に、手を伸ばす。まるで、ジニアスが私をずっとそばに置いてくれると言ってくれたように感じて、私は胸が熱くなった。捜査のためだと、わかってはいるけれど、それでも嬉しいと感じてしまう。

 ああ。でも。

 私の不確定な記憶を、ここまで真摯に受け止め、守ろうとしてくれる。私は、それに応えなければならないと思う。

「ジニアスさま」

 そっとジニアスの顔を見る。

「事件はまだ何も起きていません。ここまでしていただいて、私の勘違いでしたら、申し訳なくって」

 十五年も前の記憶。しかも失われていた記憶と『いろ』が一緒。そんな心もとない情報なのだ。

「勘違いだったら、何も起こらない。どのみち、俺たち監察魔術士の仕事はないわけだ。コゼットが悩む必要は何もない」

 優しい目で、ジニアスが私を見つめる。胸がドキドキした。

「街に出たら、俺から絶対にはなれるな。わかったな」

 ジニアスはそう言って、私の両頬に手を当てた。こくり、と頷くと、ジニアスは私の額にキスを落とした。

「え?」

「街に出たら、腕を組むから」

 意味がわからず、固まった私に、ジニアスはそう言って、背を向けて歩き出した。

 今のキスは、『緩和』なのだろうか。それとも、ただの気まぐれなキスなのだろうか。

 胸が騒ぐ。

 兄が、妹に見せる親愛の情なのかもしれない。でも、孤児の私には、これがその範囲なのか、見当がつかない。

「行くぞ、コゼット」

 呼び声に応えながら、私は、破裂しそうな胸に手を当てて、深呼吸し、慌ててジニアスの後を追った。



 市場の喧騒の間を縫って、私はジニアスと恋人のように腕を組んで歩く。

 正直、自分の目的を見失いそうになる。胸はずっと騒いだまま。心はどこかふわふわしている。

 この時期は、まだ恋人のいない女性は、呪い屋で恋愛成就のお守りを買い求めることが多いため、店はいつもより多く出ているが、どの店の売り子も、神秘性を出すために、顔をベールで隠すのが定番で、しかも、多くを語らないため、印象が同じような感じになってしまう。

 したがって、売り子を捜すというより、売りモノを丁寧に見ていくということになるが、人も多いとあって、これがことのほか、手間取る。しかも、ジニアスと組んだ腕から伝わる熱が、私の集中の邪魔をする。

 いけない、と思っても、ジニアスとの距離が近すぎて、落ち着けない。

 ジニアスは、いつもと同じ『仕事』モードの目だ。真剣に売り物を視ていて、私の動揺など全く気が付いていないようだ。

 当たり前のことなのに、自分だけが舞い上がっている事実が、少し寂しく感じられ、そんなふうに思ってしまう自分に腹が立つ。これは、仕事なのだ。デートではない。そこを勘違いしたら、自分が辛いだけなのに。

 結局、私がそんなふうだからなのか。数日、私とジニアスは、屋台店を捜し歩いたが、芳しい結果は得られなかった。

 ワイズナーの方も、それなりに人を使って捜査をしていたがみつからない。だいたい『まだおこっていない』事件に、捜査員を裂くというのは、なかなかに難しい話である。

 そもそも、この時期は屋台店の出店が多くなり、しかも、街のあちらこちらの辻に立つのである。

 せいぜい数人の人間で歩きまわって、見つけるというのは至難の業なのだ。

 私は、研究室に戻ると、大なべでポトフを作り始めた。

 たくさんの人間を自分のおぼろげな記憶で振り回しているだけに、少しでもそれに報いたい。

 報いる方法が、仕事と直結していないのが、情けないといえば情けないのだが、こればっかりはどうしようもない事だ。

「なるほどな。ミザル、かもしれない」

 ジニアスが、そう言ったのが聞こえた。

「証拠が見つかったのですか?」

 厨房から顔を出すと、ラッセネクとワイズナーがジニアスと一緒に資料を見ていた。

「名前は、ワズン。時期が、ちょうど、魔術研究所をやめたころ、魔術研究部隊に編入しています。しかも、名目は、研究部門の『助手』です」

 ラッセネクは、そう言った。

「彼は、助手といっても、一定の人間についていたという記録がありません。部隊長シャウラの口利きだったようですが」

「シャウラか……死んだ人間に聞くことはできんな」

 ジニアスが渋い顔をする。

 私は、ゆっくりと自分の机に座って、メモを取り始めた。

「人物を特定はできんのだが」

 ワイズナーが重々しく口を開いた。

「孤児院の記録を見ると、事件発生の三年ほど前から、金額こそ少ないが『ウエズン』なる人物からの寄付が、ある一定の周期であったことがわかった。そして、孤児院再建後は、『ウエズン』という人間の寄付はなくなっている」

「寄付ね」

「そうだ。たぶん、慰問をともなってのことだろう……ここで、ひとつ問題が発覚した」

 ワイズナーが首を振った。

「孤児院なら書かれているべき日誌が紛失している。収支報告書はあったがね。どうやら、司法の人間が証拠物件として回収したらしいのだが、どこにも保管されていないのだ。しかも、『ウエズン』なる人物を捜査したという記録は全くない」

 ワイズナーは、身内の恥、とばかりに苦い顔をする。

「それで、当時の捜査責任者を調べた。ルー・スーという男だが、調べてみると、シャウラの逮捕の決め手となった証拠をみつけたのも、ルー・スーだ」

「真っ黒じゃないか」

 ジニアスがそういうと、ワイズナーが頷いた。

「現在は、退職していてな。グラズーン商社で、警備顧問をしているらしい」

「グラズーン家か」

 ジニアスが眉を寄せた。

 グラズーン家は、ラセイトスでも指折りの名家だ。確か、現在の外務大臣はグラズーン家の人間である。

 外交に強いと言われていて、しかもグラズーン商社は超一流の商社だ。

「グラズーン家は、子飼いの魔術士も多いし、研究施設も持っていたな」

 ジニアスの言葉に、ワイズナーが頷いた。

「魔術師部隊の副隊長のバーダンの妻は、グラズーン家出身ですね」

 ラッセネクが苦い顔でそう言った。

「ここは……気が進まんが、バーバニアン君を餌に『釣り』をするべきか」

 ワイズナーがそう呟く。

 祭りまで、時間がない。本当に彼らが何かを企んでいるはずなら、必ず『釣れる』はずである。

 私に、否はない。

「ラッセネク君には、バーバニアン君をたらしこんで、奴らに売る『悪党』になってもらおう」

「たらしこむのではなく、そこは、本気ですけど」

 ラッセネクはそう言い、ジニアスが不機嫌な顔をした。


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