1-1 第三話 お兄ちゃん、行ってきて。

「日向、なんでこんな所に?」


「お兄ちゃんが遅いからでしょ」


「そんなに経ってたか?」


「うん。雪が降ってたし、十五分くらい経ってるし」


「十五分って、大して経ってないだろ?」


「う、うるさい! お兄ちゃんのこと、心配してやったんだから感謝しなさいよ!」


 きっと体力のことを心配したのだろう。あまり家から出ないから体力がないと? いや、さっき「十五分」って言っていなかっだろうか。


「そんなに体力ないと思っているのか!?」


「急に大きな声出さないでよ」


「あ、すまない」


 謝った後に「あれ? 先に大きな声を出したのは日向じゃね?」と追及してやろうかと思ったが、その前に日向はその理由を話してくれた。


「違う、そのパーカーじゃ……」


 そのあとの言葉は聞こえなかったが、俺にはわかった。これ以上は追及しないでやろう。まぁ、追及した方が面白いかもしれないが。


 日向は冬物のジャンパーを投げつけると、その場で何かを言いたそうにしていた。きっと心配なのだろう。俺は投げつけられたものをパーカーの上に着た。


「日向も一緒に来るか?」


「う、うん」


 日向はコンビニに向かって歩き出した俺の横に並び、言葉を続ける。


「私がいなかったら、お兄ちゃん凍えてたよね」


「そ、そんなことは無いぞ……?」


「へぇー? まぁ、お母さんのお告げに感謝するのね」


「え?」


「それ、持っていくように言われた気がしたの!」


 お母さんはいつもこうだった。本人には気づかれないようにこっそりと行動をする。でも、お母さんの存在は大きかった。日向の頬には一筋の涙のような跡がある。


「大丈夫か?」


 彼女はなかったことにしたかったのかは分からないが、着ていたコートのラペル部分で涙をふき取った。


「———なにが? 早くコンビニにいくわよ?」


 それでこそ日向だ。やっぱり強気の日向じゃないと。


 こうして兄妹で同じ道を一緒に歩いたのは何年ぶりだろうか。昔の記憶を思い出しながら一歩一歩、うっすらと白くなった道に、足跡をつけて歩いていく。お母さん、また助けてくれたんだな。


 コンビニの扉を開けて中に入ろうとすると、日向が急に俺の肩に触れてきた。俺は少し驚いて声が出てしまう。


「雪、はらわないと」


 彼女は小さな手で俺の雪をはらってくれる。お母さんみたいに丁寧に―――とはいかなかったが、少し乱雑ではあったもののうれしかった。


「すまない、ありがとうな」


「え? いや、別に」


 日向が顔をそむけ、照れている。今日は不思議な日だ。日向の珍しい顔がたくさん見られたし。扉を開ければ、いつもの沢田さんがレジに立っていた。


「いらっしゃい! って、珍しいね。連れがいるなんて」


「お久しぶりです、沢田さん」


 その言葉を聞いた途端、驚きの感情を隠しきれずに目を見開き、ドギマギしていた。まさか、ここに来るわけがないと思っていたのだろう。


「えっと『お久しぶり』ってことは、もしかして日向ちゃん!?」


「はい、そうです」


「えー! 日向ちゃん、随分と大きくなったのねぇ!」


「おかげさまでぇ……」


 珍しく困惑している日向。こんな日向を見たのもいつ以来だっただろう。困惑している間におにぎりを何個かレジに持っていく。


 すると、からかうように沢田さんが


「仕事が速いね~香織お兄ちゃん?」


 いや、「仕事が早い」と褒められるのは嬉しい。ただ、もふもふして、日向の髪型を見事に崩している。


「沢田さん」


 その後の言葉は日向が続けた。


「髪、崩さないでください」


「え~かわいいんだから仕方ないじゃない」


「スパイク食らわせますよ?」


 なぜかバレーボールが日向の手にある。まさか、学校でもこうじゃないよな。すぐにボールを出せる道具を聞いたことがあった。まさか、あれを現実で作れるわけがない―……よな?


「げ……っ。それは勘弁だわ」


「とりあえず、お会計お願いしますね?」


「あ~いいわよ。私からのおごりで」


「ごちそう様です」


 さすが女子と言うべきか、家庭の長と言うべきか。全く「良いんですか?」みたいな会話がないのがまた凄いところである。


「さてと、私もそろそろお邪魔しようかな」


「いや、お店どうするんですか」


「こんな店、閉めといても大丈夫よ」


 失礼だが、ここまで人がいないコンビニもない。こんな所でよくやっていけるものだと改めて思ってしまう。すると、日向が急に大きな声を出した。


「じゃあ、一緒に行きましょ!」


 珍しく日向のテンションが高い。そういえば、お母さんが生きていたときもこうして沢田さんがうちにきて、ご飯を食べていた。沢田さんは俺たちを外に出たのを確認して店の照明をすべて消した。店のシャッターを下ろして鍵をかけ、裏口から出てきた沢田さんと合流した。


「これで、大丈夫……っと。じゃあ、いきましょうか」


「いや、この雪の中歩いていくんですか」


 まだ十一月なのに珍しく乾雪かわきゆきが降っている。こんなことは中々なかった。去年なんてクリスマスでさえ雪が積もってなかったのだから。


 どんどん地面が白くなって、ねずみ色の地面が見えなくなる。まさかこんな季節にこんなに降るとは思ってなかったので、雪かき用のスコップとかママさんダンプとか倉庫から出せてないんだが。


 しかも、今の靴は普通の運動靴である。こんな道を歩いたら雪が靴の中に入って、足がしもやけになってもおかしくはない。


「ちょっとの間、中でまとうか」


 俺たちは店の事務所と思われる場所で雪がやむまで待つことにした。思っていたよりも整理されていてきれいである。


「コーヒー入れたけど、ミルクと砂糖いる?」


「ミルクだけください」「私は砂糖もお願いします」


「はーい」


 わざわざコーヒーまで用意してもらって何か申し訳ない気持ちになる。ただ、俺たちのために用意したミルクはお店のものだった。商品を開けていいものなのかとは思うが、先ほどまで外にいて凍りかけていた身体を、溶かしてくれた。


「沢田さん、ミルク……」


「え? 砂糖だけでいいんじゃなかったの?」


「砂糖って言ったはずなんですけど」


「あら、ごめんなさいね。入れてくるわ」


 そして、ミルク入りのコーヒーが日向のとこに置かれた。一息ついたところで沢田さんがあまり聞いて欲しくないことを、俺に聞いてきた。


「そろそろ受験だけど、香織くん大丈夫?」


「嫌なこと思い出させないでください。どうせいけるとこなんて無いんですから良いんですよ」


 その言葉を言った途端、沢田さんの顔が変わった。こんなことはめったに無い。今日は珍しい日だと再び思わされる。どうせ、「高校に入らないと―――」とか御託を並べるのだろう。そんなものは望んでいない。もし、そうならば流しておこう。しかし、彼女の言葉は驚かされるものだった。


「香織くん、私の知り合いのとこに行く気は無い?」


「知り合いですか?」


 知り合いって、何をする気なのだろう。まさか、裏取引みたいな事じゃないよな……?


「そう、知り合い。私の知り合いに孤児院の人がいるんだけど、そのお手伝いしてみない?」


「なんでですか?」


「香織くん、なんか色々と嫌な予感したから」


「そんなことは無いですよ」


「なら、他の人は自分を助けてくれないって思っていない?」


 なんで、俺の考えが読み取れるんだ。俺が今までに驚くような生活をしていたことは誰が予測出来るだろうか。相当な洞察力がある。


「私もそうだったから。昔の私は、助けてくれる人なんていないって思っていた。ただ、幸島さんと出会ってからすべてが変わったの。だから、香織くんもいいきっかけになると思うんだけど⋯⋯どうかな?」


 俺はすぐに答えることが出来なかった。学校にも行かずに、身元の分からない人のそばにいるなんて、父さんが認めてくれるわけがない。俺は断ろうとしたが、それを止めさせたのは日向だった。まさか彼女が、俺の後押しをしてくれるとは思ってなかった。


「お兄ちゃん、行ってきて」


「日向?」


 日向が一番最初に反対すると思っていた。なのに何故、俺を行かせようとしているのか。まさか、そこまで考えているとは思っていなかった。

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