1-1第四話 日向のせいで⋯⋯

「お兄ちゃんが少しでもあの時の事故から一歩でも進めるのなら⋯⋯目の前人と向き合えるようになるのなら⋯⋯私は喜んで送るよ?」


 複雑な気持ちになるが、日向が自分の意見をここまで顕わにしたのはこれが初めてではないだろうか。ここまでお願いされてしまったら兄としての選択は一つしかないだろう。沢田さんに伝えた言葉。それはもちろん


「分かりました。行きます」


「その答えが聞けて、良かった。それじゃあ、明日の朝七時にここに来て」


「わかりました」

 

話をしている間に、雪が結構積もっているまだ、この程度ならばまだ歩いて帰ることが出来るはずだ。雪に深い足跡を残しながら、三人で我が家に向かう時は、もちろん俺が一番前で一列になって歩く。


 何故一列になっているかは、雪国の人には言うまでも無いだろう。雪が靴に入るのを後ろの人は多少ではあるものの防げるからだ。この三人の中で一番靴のサイズが大きかったのがたまたま俺だった。というわけだ。まぁ、気休め程度である。


「あ、また雪⋯⋯」


 また降ってきた雪は俺たちの足跡を消していく。しかし、先程踏んだ乾雪は、新しく積もった下でだんだんと固くなっている。まるで、お母さんのように。見えなくてもそこにはちゃんと存在しているのだ。現実には見えなくても、俺の中で生きている。母さんの本当に遺したものは、「心」なのかもしれない。


 俺がそのまま歩いていると、後ろに人の気配がない。もしかしておいて来てしまったのかと慌てて後ろを振り向く。


 やはり、そこに人影は無い。「やばい、おいて来てしまった」と思ったが、その心配は要らなかった。足元で何かが当たったような冷たい感覚があったからである。視線を下げると、日向と沢田さんが腰を屈めていた。


「お兄ちゃん、早く行ってよ」


 日向の身体の下にあるのは、丸い⋯⋯雪玉? 雪合戦でもする気なのか?


「いや、なにやっているんだ⋯⋯」


「なに⋯⋯って、雪だるま作っているんだけど?」


「もしかして⋯⋯家まで転がしていく気なのか?」


「⋯⋯当たり前でしょ」


 俺は手伝わずにそのまま歩いてきたのだが、日向は本当に転がしてきてしまった。その雪玉一つが俺の腰ぐらいまでの大きさになっていた。そして、家の玄関の横に俺の肩と変わらないぐらいの雪だるまが完成した。


「できた⋯⋯」


「疲れた⋯⋯」


 この不格好な雪だるまにも人の思いが詰まっているのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもよくて、夜ご飯が食べたいのだ。そして、裾が雪で濡れている。早く着替えたい。早く準備して食べたいんだ。待てなくなったので、彼女たちが雪だるまの顔を作っている間に俺は夜ご飯の準備を始める。その間に、日向たちは雪だるまを仕上げていたようで女子達の黄色い声が聞こえた。


「それじゃあ、ご飯の準備しようか」


 雪だるま組が終わったようなので、濡れた運動靴の隣にある濡れてないサンダルを素足で履く。そして、玄関の扉を少しだけ開き、頭だけを出した。


「どうしたの?」


「ご飯の準備できたよ」


 すると、日向ではなく沢田さんが腕を引っ張り俺は、寒い空気が入ってくるが、多少は暖かい玄関から外に出された。


「ナイスタイミングだね! 今終わったとこだから良かったら見て」


 なぜ沢田さんのテンションが上がっているのかは何となく分かった。さっきまでいなかったはずのお父さんもちょうど帰ってきていたから⋯⋯。たぶん、お父さんが沢田さんに缶チューハイでも渡したのだろう。片手に缶も持ってるし。お父さんもお酒が弱いことを知っているのにわざわざあげるんなんて正直驚きしかないが⋯⋯。


「ただいま⋯⋯沢田さんって、こんなにお酒弱かったか⋯⋯?」


 え⋯⋯まさか知らなかった感じ? 何度も一緒に飲んでいるはずなのに知らなかったの?


「うん、弱かった」

 

「そうか、俺お酒飲むと記憶が飛ぶことがあるからな⋯⋯」


 それ、飲みすぎなんだよ。記憶が飛ぶまで飲むとかどんだけ飲んでいるんだか⋯⋯。もしも道端で寝てたら、凍死するぞ⋯⋯。


「まぁ、それよりもご飯食べよう~!」


 沢田さんは相変わらずのテンションだが、この沢田さんは何度も見ているので慣れてきている。俺は沢田さんの布団も用意しておいた。どうせ彼女は酔いつぶれるだろうから、このままではお泊まりコース確定だろうし⋯⋯。


 そして、四人でご飯を食べて、賑やかになっていた食卓は、沢田さんが言い放った一言がこのあとの空気を一気に冷たくしてしまう。


「あ、香織くん明日からお借りしますんでよろしくです」


 普段は表情をあまり表に出さないお父さんも、この言葉には驚きを隠せなかったようだ。


「え⋯⋯? 香織は受験生ですけど・・・・・・」


 まさかここでも日向が、動いてくれる⋯⋯お父さんに言ってくれるとは思わなかった。ここまで俺のために積極的に動いたのは初めてだろう。


「お父さん⋯⋯」


「日向⋯⋯?」


「お兄ちゃんのこと、沢田さんに⋯⋯いや、陽子おねえちゃんに任せてあげてほしい」


「そんなこと言われてもな⋯⋯」


 仮にも受験生の親だから、悩むのは当然だろう。きっと⋯⋯お父さんは許可しないだろう。そして俺は普通の高校に行かされて、普通の人生を送るように努力させるのだろう。




―――しかし、その答えは「YES」だった。




 まさか許可を出してくれるとは思ってなかった。そして、俺の目をしっかり見て動きを止め、一言。


「香織、しっかり学んで来い」


「え⋯⋯?」


「高校なんてどこ行っても変わらんし、これから頑張ればそこらの進学校のやつらよりも、いい職に就けるしな」


「勉強もしっかりさせますから安心⋯⋯」


 完全に酔いつぶれた。沢田さんはこのままお布団に転がしておけば大丈夫だろう。結局缶チューハイを四本も飲んでしまった。


「四本も飲むのは俺でもきついぞ」とお父さんが言うのだから意外とお酒は強いのだろうか⋯⋯。そんなことをしているうちに時計の針は十一時を指していた。


 そろそろ寝ないと、明日がつらい。風呂はさっとシャワーだけにしたが、そのせいで湯冷めした。寒く感じて、中々寝ることが出来ない。


 ゲームをしようとも思ったが、沢田さんがあんな状態だし他のゲーム仲間も、既に寝てしまっているだろう。一人ではしばらくやりたくない。暗い部屋の中で天井を見上げるのもいつものことだ。時々踏み切りの音が聞こえる。いつも聞いている踏切の音なのに今日はいつもと違うような気がする。


 なぜか落ち着かない。その理由ではないだろうが、部屋の扉が開きパジャマ姿の日向が入ってきた。さすがというべきか中学生のパジャマ姿は少し色っぽい。しかし、パジャマの動物の柄が幼さを引き立てる。


「お兄ちゃん、今日は一緒に寝てもいいかな?」


「え? なんでまた急に⋯⋯」


「なんとなくね⋯⋯」


「なんとなく⋯⋯ね。分かったよ、おいで」


 俺は布団を横にずらして、日向の布団も敷けるようにした。そして、日向と同じ部屋で寝ることになった。日向が布団に入るときにシャンプーのいい香りがこっちに漂ってくる。


 ただ隣で妹が寝ているだけなのに緊張してなかなか寝付けない。なぜか一人の女の人として日向を見てしまう。これが恋ならば禁断の恋だ。永遠に成就することの無い恋。


「お兄ちゃん?」


「何だ?」


「⋯⋯いや、なんでもない。早く寝ないと、明日がつらいよ?」


「いや、分かってはいるんだけどな⋯⋯」


 誰のせいで寝られなくなっていると思っているんだ。日向の寝顔が俺をさらに寝付けなくする。男の子の寝顔は可愛いというが、そんなものよりも日向の寝顔のほうが二十倍は可愛い。そう思わせてくれるくらいの寝顔だった。こんなことを周りに言ったらシスコンだと言われても仕方が無い。


───結局一睡も出来ないまま朝を迎えてしまった。

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