1-1 第二話 「お兄ちゃん。なんでこんな所で泣いているの?」

 コンビニの袋に入ったおにぎりをを手に入れた俺は、公園の木陰の場所にあるベンチの横に腰を下ろした。今の時期だととても寒いが、ここがいつもの場所である。


 隣のベンチにお爺さんが地蔵のように、動かずに座っている。遊んでいる子供たちをずっと見ているようだ。何をしているのか全くわからないが、俺を見つけると、ゆっくりとこちらに顔を向けてくる。


「今日も来たのかい?」


「俺にはここしかありませんから」


「家で食べないのかい?」


「出来るだけ外にいないと」


 全く外に出ないことになるから。


 分かっていないようだったが、何となくで合わせてくれたらしい。


「なるほどな」


「それは?」


「これかい? そこのコンビニで買った弁当だよ」


 俺は先程買ったものを袋から出し、おにぎりの包装を破く。おにぎりを口にほおばるが、既にその味には飽きているので、味わうことはせずにすぐにお茶で食道へ流し込んだ。おじいさんがから揚げをお弁当のふたに入れて俺のほうにくれる。これもいつもの事だ。


「これ、良かったら食べな」


「ありがとうございます。いただきます」


 このおじいちゃんになにかを言ってから俺が食べるとお弁当のおかずをいくつかくれるのだ。俺は「それは?」を「魔法の呪文」であると心の中で思っている。そして、寒くてもここで食べる理由がもう一つあるのだ。


「ごみは俺が捨てといてやるよ」


 俺が食べ終わるとこちらに手を伸ばし、ゴミを入れたサミット袋を持っていく。


「ありがとうございます」


「俺の唐揚げ食べてくれるから、お礼は要らんよ」


 このおじいちゃん、こうやっていつもごみまで一緒に捨ててくれるのだ。ごみを出すにもお金が掛かる今なら普通ならありえない。ありがたくおじいちゃんに俺のごみを渡し、来た道を通って家に帰る。日向は、学校で部活があり今日も全日練習のようだ。


 家の鍵を開けて扉を引く。「ただいま」と言っても家には俺一人しかいない。これが日常だから仕方がないが、静かな家を一目見て仏壇の前に正座をする。


 この仏壇はお母さんのものだ。毎年お墓参りには行ってない。本当はゆっくりと時間をかけるべきなのだろうが、正座している足が痺れてしまうので、いつもなら動かない速度でキビキビと動く。そして、ロウソクの火をつけた後に線香を立てた。


「母さん、いつもありがとう」と心の中で念じる。


 もちろん返事はない。火事になったら困るので、ろうそくの火は消して部屋に戻る。これで他にやらなければならないことが本当になくなった。部屋でゲーム以外の何をしよう。もちろん、部屋にゲーム以外ものはないので、ゲームで時間をつぶすしかないのだが。


 夜の0時までは何かで時間をつぶさなければならない。俺は黒い箱からゲームディスクを昨日やっていたものと交換し、コンビニオーナーの沢田さんとやるつもりだったゲームをやり始める。


 それは世の中ではファーストパーソンシューティングと呼ばれているゲームだ。とりあえず一人で進めていくのだが、オンラインのゲームなので相手もさすがプレイヤー。今まで負けることは皆無だった俺も沢田さんのサポートがないとそれも難しいものであることを思い知る。


 負けが続いていたが、アイテムを獲得するためにゲームをしていると玄関の扉が開いた音がする。どうやら日向が帰ってきたようなので、今の時刻は午後五時になっているということだ。


「ただいま」 


 下からの日向の女子にしては少し低めの声が家中に響き、重要なことに気がついた。このままだと俺の命が危ないかもしれない。我が家のルールに、夜ごはんに食べる白米は俺が炊かなければならないという決まりがあるのだ。


 もし、そのルールを守らなければ―――。逃げるための案を考えていると俺の部屋の扉がすごい勢いで開かれる。そして扉の前で仁王立ちしている(何故か)ユニフォーム姿の日向がこちらを見て、一言。


「お兄ちゃん? なんでご飯を炊いていないのかなぁ?」


 目が人を怒る目ではない。明らかに獣を狩るときの目だ。しかも口角を上擦らせているのでこれは本当の意味でのお怒りモードだ。これは窓から飛び降りたほうがマシだろう。こんなこともあろうかと、窓に準備しておいた非常用縄梯子を準備して、その一段目に足をかけたその瞬間―――


 見事に腕を押さえられる。流石、運動部である。日向のほうが既に力も、持久力も上なのでこれ以上の逃走はあきらめなければならない。もしここであきらめなければこの後、考えたくも無いことを言い渡すだろう。———いや、この感じだと、逃げなくても言うかもしれない。


「お兄ちゃん、もう一回聞くよ? 何か私にいうことあるよね?」


 うわぁ。この笑顔が一番怖い。怒った顔の何倍も怖い。


「ない。そんなものはない」


「なら、なんで炊飯器がまだ空なのかな?」


「炊飯器? なにそれ、おいしいの?」という定番のボケを俺から召喚したところで、俺の視界は天井と同じ白色になる。しかし、殴られて気絶したのではなく引き倒されただけだったようだ。ただ、俺の上にまたがる日向のスカートの中が、見えそうで見えない。それが、思春期真っ只中の俺には少しつらいのだ。


「っ!?」


 気づいたようだ。顔がのぼせたように赤くなっている。そして、慌ててスカートを押さえた。ただ、それより前に兄として一言だけ言わせてほしい。


「一応、俺が兄貴だよな? なんでこんな目にあってるんだ?」


「自業自得でしょ? 近くのスーパーでレトルトのご飯買ってこないと、お兄ちゃんの夜ご飯はないからね?」


 この言葉、冗談だろうと前に思ったことがある。そのまま部屋にひきこもっていたら、本当に夜ご飯を抜かれた。この時期の男子に一食はとても重要である。部屋に引きこもっているから関係ないのかもしれないが、そんな貴重な一食を彼女は本当に奪ってしまうのだ。ここで奪われるのだけは避けたい。もちろんここでの選択は、決まっている。


「はい、いってきます」


 日向は部屋を出て、下に降りていった。


 ゾンビのようにのろのろと準備を進める。まさか一日に二度も家から出ることになるとは。明日こそはちゃんとやろう。そう覚悟を決めた。しかしまずはこの寒い外を歩かなくてはならないのだ。


 夜中の寒さをかいくぐる程の上着は俺は持っていない。さすがにその心配はしてくれたようで、部屋の前にパーカーがおかれていた。「かわいいところもあるもんじゃん」と思いながらも感謝して、それを着る。


 今の気温をスマホで見てみたら八度だ。もちろん手が少しだけかじかむが、その手をポケットに突っ込みコンビニへ歩く。スーパーではないのは距離の問題だ。何か、冷たいものが頬についたと思って空を見上げた。その正体は、雨ではなかった。


「雪だよ! お母さん、雪!」


「そうねぇ。沢山積もったら雪だるまつくろうねぇ」


「雪だるまー!」


 そんな会話が聞こえてくる。この声は本物ではない。俺の幻聴であり昔の思い出の一部。もちろんこの声の主はもういない。昔の俺は母さんと一緒に死んでしまった。


 この声を、この会話を聞くことはもうないのだろう。なぜか視界がぼやけて、頬が温かくなったと思えば、周りの空気ですぐに冷やされ、顔がしばれてくる。ここから離れたくないのは何故だろうか。どこにでもあるような普通の道なのになぜかここにいたくなる。


 ―――後ろから足音が聞こえる。


 どうせこれも幻聴だ。俺が作り出した幻の音。でもこのなんともいえない歩き方。音だけで分かる。これは俺のお母さんだ。すぐに俺は振り向く。しかし、その足音の正体はお母さんではなかった。


「お兄ちゃん。なんでこんな所で泣いているの?」


 まさか、こんな所に日向が居るとは思わなかった。本当にこれは日向なのか? 幻覚がついに見えてしまったのか? 瞬きを何度もするが、日向は消えない。目をこすっても全く消えなかった。つまり、この日向は本物である。


 日向の肩と髪が白くなっている。体温で少し溶けた雪が水滴になっているらしく、街灯でキラキラとその水滴が光っていた。これが日向ではない別の女性だったらこんな小さなことでさえも、好きになるのかもしれない。


 そして日向は俺の涙を、ポケットから出したハンカチで拭き取ってくれた。その姿は背の高い息子が母にお世話されているような光景だっただろう。


 誰かに見られていたら死にたくなるくらいの恥ずかしさに襲われたが、この時間帯に、こんな住宅街で見ている人なんて居ないだろう。でも、俺が家を出てからそんなに時間は経っていないはずなのに、何故ここに来たのだろう。

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