魔法と言う非万能の力

 女がテーブルの上に置いた紙の束を持ち上げ、ペラペラとめくるナターシャ。ページをめくるごとにその美麗な眉が顰められていった。


「失踪事件……?」

「調べましたところ、確かにここ最近自由都市国では、子供から大人の男性まで幅広い人々がどこかへ消えるという事件が多発しているようです」

「ふぅん……?」


 深く認識したかのようで、どこか曖昧な返事をするナターシャ。どうやら手元の資料に熱中しているようで、女の言葉にあまり意識を傾けられていなかったようである。女は注意してみてやっとわかる程度に頬を膨らませ、そしてすぐに元の無表情に戻った。


「ん? このザムラビってのは誰だい?」

「ザムラビ・イットロン。サーシルが信頼を置く専属ボディーガードとのことです。先ほどここに来る途中でファンファンロ様とお会いしまして、実力で言えば支給品装備のメイル様より二段くらい下とのことです」


 呆れた声を出すナターシャ。


「二段下って……軍人とかじゃないんだからそんなことでわかるわけないだろうに……あの鳥頭。けど、結構評判は良いみたいだねぇこの男。ボディーガードに評判てのも変だけど」

「そうですね」


 そしてナターシャが資料の最後の一枚を見た。そして瞬間的にその目は見開かれ、女の方を見た。


「馬鹿な……この国に向かって来てるだって!?」

「そうです。大統領サーシルは、今、この魔族領へと魔王表敬と称して訪れる予定のようです。あと半日もする頃には使節が来るやもしれません」


 ◆◇◆◇


 その頃、警察庁最高長官室。

 四時間ほど睡眠を取ったクロノスは、寝ているうちに部下達から届いていた資料の山に目を通していた。ふと、部屋のソファにもたれながら寝息をたてている婚約者を見て、軽く微笑んだのちに再び視線を元に戻す。

 机の上には丁寧に整頓された資料の山がいくつもあり、それを整理していたのが婚約者である。クロノスが寝ている間にずっと資料の整理を始め、室内の掃除や部下達の応対まで受け持ち、クロノスが帰ってきてソファに座ったところで疲れで寝てしまったらしい。


 とはいえクロノスも無理に起こすようなことはせず、内容別に仕分けられた資料について無言で目を通していた。


「ふむ……それぞれの事件の関係性は無さそうに見えやすね……」


 同じ日に発生した二つの大事件。一日経った現在で調べられた内容について、犯行時刻と事件現場、そして事件の要点を新しい紙に記入していく。続いて赤いインクのついたペンで、要点を踏まえた推測や行うべき行動を書きこんで頭の中の考えを整理していく。


「レヴァンズ=キル……擁護士クラウス……何か接点が……?」


 そうクロノスが独り言を言っていると、ソファで寝ていた婚約者がのそりと起き上がった。寝ぼけ眼であったが、妙な笑顔を浮かべているクロノスを視認すると、急速に覚醒して目を見開いた。


「あ……長官、おはようございます……その、申し訳ございませんでした」

「良いでありやすよ。ところで、これを見て欲しいでありやすが」

「なんでしょうか……」


 どこか寝ぼけ眼で起き上がり、クロノスがまとめた事件の概要を読む婚約者。


[最高裁判所自爆テロ事件

事件発生時刻 午前九時

事件現場 最高裁判所


・テロ集団メンバー、グロースブの裁判中に発生した法務大臣マーキュリーを狙った自爆テロ。

・我が国で開発された禁術を使用しているため、禁術の管理、封印を行っている魔法開発局の者が関与している可能性。

・警備員の一名がテロ組織の一員であることを自白。

・なお、警備員の所属するテロ組織は注意組織リストにも載っていない。

・弁護士クラウスの失踪の捜査結果、クラウスを含め一家全員の死亡を確認。死亡推定時刻は三日前の午後

・事件当時、“第一重要参考人である弁護士クラウスは既に死亡していた”。]


「既に亡くなっていた、んですか……?」

「そうなんでありやすよ。全く不可解なことでありやすが……」


 人間なら耳にあたる部分のヒレが伏せられ、クロノスは悩ましそうに唸る。


「あっしは水属性以外の魔法を使えないでありやすから、他の属性に関して知識がからっきしでありやすから……擬態魔法となるとどんな属性になると思いやすか?」


 クロノスの質問に、女性が悩ましそうに目を伏せながら答えた。


「擬態魔法……光、闇大地属性をあたりでしょうか……たしか、闇と地属性の複合魔法と聞いたことがあるような気がします……」

「闇……魔王様も『人体化リ・フューマン』を使いやすが、あれは複合属性であったはず……やはり、我々の知らない新魔法でありやしょうか……されど、魔力の質まで変える魔法など、理論的にも存在するわけが…………」


[*魔力検査をすり抜けたため、変身魔法や擬態の可能性は限りなく低い。新開発された魔法の場合を考え、政府管理施設外及び魔法訓練指定区域内以外での魔法使用の規制を検討を願う。

 また、魔法開発局への捜査には開発局長の許可もしくは五大臣の四人以上の認可が必要であるため、即時の捜査を可能とするため魔王様の許可を取る。]


 ◆◇◆◇


 場所は代わり、魔族領王都インペリアルへと入る為の東側の門。閻魔はそこで天照を連れながら長蛇の列に並んでいた。晴れやかな空の下、紅蓮の髪を下げながら順番を待つ。


「凄い並んでるねぇ……これ何時間くらいかかるんだろう……」

「ちょっと、疲れてきちゃうね」

「天界じゃほぼありえないことだからねぇ……」


 閻魔はそんなことをだべりつつ、チラリと視線だけ天照の背後に移動させた。天照の臀部に迫っているのは背後に並んでいた、いかにも力がありそうな筋肉ムキムキな男二人組の片方の男の手。閻魔はそんな様子を見て、ガシリとその腕を掴んだ。


「お前、何をしてんの? 人の嫁に」

「え?」


 閻魔の声にて、背後の男に気が付いた天照。


「なんだよてめぇ、離せよ。魔力を微塵も感じとれねぇクソ雑魚のくせによぉ」

「は?」


 腕を掴まれた男の挑発に、キレたような冷静なような言葉を返す閻魔。男は勝ち誇っているのか、微塵も動じずにさらに続けた。


「『魔力探知妨害魔法マナズ・ノット・サーチ』でも発動してんのか? いやでもマジでなんも感じねーし。魔力ゴミってことじゃん? 負け惜しみは良いから離せよ。なんならやるか?」

「……何言ってんだお前」


 呆れたような声をあげながら男の腕を離す閻魔。男はそんな言い方が癪に障ったようで、


「てめぇふざけやがって、てめぇみてぇな雑魚がこんなべっぴんな女連れてること自体が生意気なんだよ!! 『上級筋力強化ライ・ハーディネス』!」


 自身の肉体の筋力を一時的に強化する魔法を使用し、閻魔に殴りかかった。割合で言えば、自身の筋力を五割ほど引き上げる魔法。剣士などでは使える者と使えない者で、かなりの実力差が生じるとも言われるのが、身体強化魔法というものであった。『上級筋力強化』という魔法はそれなりの魔力を必要とする魔法であり、ただ筋肉があるように見える鬼にしか見えない閻魔を格下に見ていたのである。

 周りが喧嘩だ喧嘩だとざわめくなか、閻魔は心底嫌そうな顔をした。


「魔力が無いんじゃなくて、必要ねぇだけだって」


 そう閻魔は言い放つと、コンマ一秒以下という速さで男の両足を左足で払い、右手で男の頭を右に払った。閻魔の目には遅く見える一瞬の世界の中、閻魔は倒れてくる男の腹へと軽く膝蹴りを喰らわせた。


「ぐぇっ……!!?」


 五十メートルほど打ち上げられる男。それだけでは足らず、上昇しながら吐しゃ物をまき散らしていた。閻魔はその吐しゃ物をよけるため、打ち上げられた男の荷物から毛布などを取り出して傘替わりのように掲げた。近くに並んでいた人々から上空から吐しゃ物が落ちてきたことに関する悲鳴が聞こえてくると、閻魔はその毛布を相手のバックに入れた。もちろん、大量に吐しゃ物がついたままである。


「ぐへっ!!」


 地面に落下しかけた男の襟首を掴み、自身の目の前にぶら下げる閻魔。男があまりの出来事に今にも気を失いそうになっている中、頭に白い液体を乗せた男の連れに渡しながら閻魔は言った。


「これに懲りたらやめておくことだねぇ。あんまりこういうことばかりしてると、地獄に行っちゃうから」

「は、はひぃぃぃ!!」


 閻魔はやれやれとした後、あたりに散らばった液体の酸っぱい臭いに顔を顰めた。チラと脇に居た天照を見ると、同じく顔を潜め、鼻をつまんでいた。


「こらーー!! そこで何をしてるんだ!!」

「ん?」


 そんな閻魔達の下へと向かって来る門番達。鎧などを纏いながらも走ってくる姿は、相当な訓練をしているのだろうというものを感じさせた。


「貴様か! そこの男性に何をした!!」

「え、こいつが俺のよ「こ、こいつが急に殴って来たんだ! 何もしてないのに!!」は?」


 思わず素っ頓狂な声をあげる閻魔。


「何ぃ? 城門前で暴力とはいい度胸だな」

「は? こいつらが「ひぃっ大丈夫か兄貴ぃ!! ひっでぇ……なんてことだよ……」おい」


 閻魔の底冷えたような声にビクリと震えるも、演技を続ける男。


「なんてやつだ! こんな(素晴らしいカップリングになりそうな)兄弟を!! ひっ捕らえろ!!」

「おい、私怨というか完全に趣味じゃねぇか。小声のつもりだろうが俺にはしっかり聞こえてんぞ。死んだら碌なとこいかないんじゃないか、おい」


 思わず門番達の中でも最も偉いのであろう女性の命を受け、閻魔と天照を取り囲む鎧を着た者達。


「うぅ……」

「もうふざけんなよ……」


 自身にしがみついてくる天照の背中をさすったのち、これ以上事を荒げないようにと両手を上げて降伏するポーズを閻魔は取るのであった。

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